13日
土曜日
あ、きれたぼういず
昨今の17歳(諷刺)。朝5時くらいに目が覚めてしまい、寒くてフトンにモグズリ込むようにして鹿島茂『新聞王ジラルダン』(ちくま文庫)など読む。またウトついてヤな夢を見ながら短い眠り。こっちの寝覚めの方が、なにか寝た、という感じなのは何故だろう。朝食、昨日と同じ。K子にはベーコンサラダ。ノバオレンジという果物を食べる。甘いが、種がやたらある。
一行知識掲示板に、Web現代の今週掲載の原稿ちゅう、チョウチンアンコウのオスに関する記述に誤りがある、との指摘。オスがメスに寄生するのはチョウチンアンコウ亜目のある種のものであって、チョウチンアンコウそのもののオスは、寄生しないのだとか。あわてて事典で調べてみると、確かにズバリ、“寄生しない”と書いてある。その前に“亜目には寄生するものがいるが”という記述がないので、ここに唐突に“寄生しない”と書かれているのは読むものを面食らわせると思うが、つまりはそれほど、チョウチンアンコウのオスの寄生ばなしは有名だということだろう。私が原稿執筆にあたって参考にしたのは田中義弘・赤池学の『ちょっとHな生物学』(みずき出版)という本で、これには堂々と“チョウチンアンコウ”と書いてある。亜目であっても、一般にはチョウチンアンコウという呼称で差し支えないという判断であろうと思う。この本のあとがきで赤池氏は通俗科学書の基本理念として、雑誌『サイエンス』でイギリスの化学者C・E・エイルズの語った“ほんの少し正確さを犠牲にするだけで、説明がぐんと楽になる”を挙げている。いちいち亜目とかその中の数種とかと記述する正確さのわずらわしさは、書く方読む方どちらにとっても、確かに意欲をそぐだろうから、この著者たちの態度は正しい。ただし、一般に思われているのとは異なり、という今回の訂正はそれ自体一行知識として成り立っているし、赤池氏らと自分の読者を比べれば、これは自分の読者をヒイキするのが著者のつとめであるから、すぐに訂正の旨、メールで講談社に送る。週明けには訂正されていることであろう。
週刊アスキー原稿、一本アゲ。ネタが先に決っている(先日チャイナハウスで撮影したスズメバチ酒)のでうまくまとめられるかと思ったら、案外スラスラいく。書きあげたところで、鶴岡から電話。『ヤマアラシ』の感想、求められるままに話す。頭のよい、悪いという話題が出て、その問題についてしばらく話す。
およそ見るところ頭のよいものに、二通りある。直感型と論理型であり、前者を天才肌、後者を秀才肌とも称する。この二つの才が一個人の中で当分に混ざり合っているのが理想なのだが、大抵はどちらかに傾く。論理型は大器晩成、直感型は幼にしてその才気を讃えられ、学校によっては特殊グループなどに入れられたりする。この、年少時からチヤホヤされるところが直感型の不幸と言える。つまり世の中をナメて、その後の努力をしなくなってしまう傾向があるのである。努力などしなくとも、中学生くらいまでは直感だけで、クラス上位の成績はラクにとれる。そのため勉強をバカにし、文学だとか、音楽だとか、年齢の割にはマセた趣味に走る。ところがこれで高校あたりになると、小・中で基礎をしっかりやっていなかった影響がモロに出て、成績がガタ落ちになる。ことに大学受験の際などは、直感型に最も不利な暗記がモノを言う。ここらで、カメの努力をしていた論理型との、立場の逆転が起きる。それがまた、プライドの高い直感型にはガマンできない。比較されるのがイヤでますます勉強から遠ざかり、いわゆるオチコボレになっていく。教育者たちは、落ちこぼれを頭の悪いが故のものと思っているだろうが、実は半数くらいは、頭がよすぎる故に落ちこぼれるのである。
で、最終的にカメの論理型が人生で勝てば、お話はめでたしめでたし(?)なのだが、世の中というところは複雑なところで、直感型にはもう一回、リベンジのチャンスがある。実社会においては、学校では無駄な能力であったその直感がメシのタネになるのである。もちろん、チャンスははるかに少ないが、芸能人や物書きなどの芸術関係、それからベンチャービジネス関係などは、直感力がなによりモノを言う社会である。いや、学者の社会でも、実はスポットライトを浴びるのは直感型が多い。こういう連中は一旦波に乗れば、あとは八艘飛びで人生の階段を駆け上っていく。ここらは論理型の地団駄踏んでもかなわぬところだろう。ただし、その以前にふるいにかけられる数はかなりのものだし、また八艘飛びの途中での高転びも少なくないから、結局、この世の中は論理型と直感型の成功者数が、バランスがとれているのである。私をして、もし現代日本の教育制度に進言せしむるならば、何はおいても教育現場の二元化を提唱したい。そもそも、この二つのタイプを、一緒のワクの中で共に延ばしていこうとするのが無理なのである。
1時、長電話終えて家を出て、神保町へ向かう。ぐろりや会の古書即売会に行くのはもちろんだが、早川書房に、SFマガジン用の図版もついでに届けなければならない。駿河台下の古書会館も、そろそろ改築工事に入るとのことで、見納めになる。とりあえず、ぐろりや会。今回はあまり本業関係の本を買わなかったので、気が楽である。江戸川柳関係の本を数冊、犯罪実録もので有名な永松浅造の、『酒と女は怖い』というふるったタイトルの本、姦通・貞操侵害・性的侮辱など、性関係の法的資料を集めた大野文雄・矢野正則『性の裁判記録』、さらにツマヨウジに関するウンチクの限りが述べられている、冬青社『楊枝から世界が見える』など、いずれも千円以下の安さでウレシイ。その他、怪談ものが特集されている雑誌『面白講談』昭和二十四年七月号(これはちょっと高かった)など十点ほど買って、総額一万二千円。
そこを出て、白山通りをちょいと冷やかし、いもやで天丼。私の前後が何故かえび天丼ばかり注文するので、私もえび天丼(二五○円増し)。ゴハン少な目で。食べ終わって、ややゴマ油で胸焼けしながら、小川町の駅の方まで腹ごなしにぶらぶら歩いてゆく。源喜堂書店に久しぶりに入ったら、青木正児『北京風俗図譜』(平凡社)が九○○○円であった。もとのお値段が一万八○○○円だから決して高くはないが、予定外なんでちょっと迷う。迷うが買う。さらに下のブックブラザーで徳間書店発行の神様雑誌『ゴッドマガジン』創刊号(1986年)を一○○○円で。
多町の早川書房に3時ころ到着。ドアに鍵がかかっているので一階の喫茶店『クリスティー』の主人に訊くと、編集長は地下のレストランで大森望氏などの座談会の司会をやっているとのこと。呼び出してもらい、図版資料渡して帰る。空は暗い。今夜は雪、とかそう言えばテレビで言っていた。
帰宅、さすがにクタビレて一時間弱、グーと寝る。人の死ぬ夢を見た。エンギがいいのか。青山まで買い物に出る。雪は降りそで降らない感じ。この分なら夜まで大丈夫だろうと思う。夕食のメニューをまるで考えてなかったので、なんべんも売り場を往復し、ものを買い足したりもどしたり。帰ってまた少し仕事し、8時から炊事にかかる。甘ダイの蒸しもの、ダイコンと青柳の鍋風、ラーメンサラダ。K子があっさりしすぎていて物足りないというので、メン類が重なるが、肉うどんを作ってやる。ビデオで『透明人間』(1954・東宝)。昭和二十九年当時の風俗がいい。円谷英二の特撮の丁寧さは見事だが、今回改めて見て、小田基義監督の演出力をちょっと見直した。ストーリィにかなり無理があるのだが、新東宝の『透明人間と蝿男』などに比べ、とにかく最後までダレさせず見せるのがえらい。警官隊の出動シーンにコマ落としを使っていて、まるでキーストン・コップスである。『ゴジラの逆襲』でもかなりコマ落としを使っていた記憶があるが、小田監督独自の演出法なんだろうか。演技陣も、見えない相手との格闘など、パントマイムで力演している。