裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

日曜日

サラブレッドサラブレッドわが暮らし楽にならざり

 じっと馬券を見る。朝7時半起き。朝食、コーンブレッドにソーセージを挟んだもの。果物を切らしているのが寂しい。ブルワー・リットン曰く“友達がいなくても、本がなくても生きていける。しかし文明人は料理がなくては生きていけない”。名言集を買うと、いろいろ含蓄あるコトバが覚えられますな。フィギュア王用のブツ(温泉地で売っていたエロ写真)をK子に渡す。

 日記書きと、週アス原稿(年末に書いておいたもの)の手直しで午前中つぶす。今日は開田裕治さんのお誘いで、快楽亭などと一緒に成城の本多きみ夫人(本多猪四郎監督未亡人)のお宅へお邪魔することになっている。開田さんから“くれぐれもおなかを空かせてくるように!”とメールがあったので、昼はミニカップラーメン一ケのみとする。 このカップラーメンは札幌のホテルから送ったミソラーメン。これ含めて、札幌の荷物類、届くので整理する。母に電話。父は元気だが、ほとんどコトバをしゃべらなくなってしまったとのこと。少しなぐさめる。SFマガジンの資料用に、三田村鳶魚『大衆文芸評判記』を読み返す。“目貧乏”という言葉が出てきた。読書経験が貧しくて、まだ目にしていない書物の多いことである。昔の言葉にはいいものがあるな、と感心した。

 成城には2時半集合だが、ちょっと早めに家を出る。週アスの図版用ブツを探すためであるが、昨日はたぶんあるだろうと予測をつけておいた、紀伊国屋地下のタバコ店にそれがなく、今日は渋谷のオカルトグッズショップへ行ってみようと足を向けたが、なんと店自体なくなっていた。

 新宿へ出て、小田急線準急で成城へ。有名な洋菓子店『アルプス』の二階喫茶部で待合せ、と指示があったので行くが、喫茶部は満員。待っているうちにロフトの斎藤さんが来る。しばらく立ち話する。オタクアミーゴスに、第二世代以降のオタク文化人たちを総あたりで対談させる企画はどうでしょう、と言われる。

 やがて開田さんもやってきて、ようやく空いた二階の喫茶店に入る。安達Oさんも来るはずだったのだが、松戸の親戚に東京案内をしなければならない、というので欠席。朝これを知って、“なんで松戸あたりの親戚に、先約断ってまで東京案内するんだろうね”と言ったら、K子がすかさず“金借りているのよ!”と断言した(笑)。快楽亭は正月からこっち、ずっと宿酔い、と言いながら現れる。まあ、噺家さんは正月はそんなもんだろう。三木助のことを言ったら、「アタシも三木助も、どちらも骨折して芸術祭をキャンセルして、その翌年に受賞してるんですよ」と、ウレシそうに語る。やっと噺家らしい反応に出会えた。

 それから、本多監督のチーフ助監督として長年ついていた梶田興治監督がおいでになる。正直言って、本多監督という人は子供時代、すでに私らには雲の上の人。あの『マンモス・フラワー』の梶田監督とお話が出来る、ということに、いささか舞い上がってしまった。思えば、私と弟の二人が“絶対に招来は東京に住もう!”と決意したのは、はるか子供時代、あのマンモスフラワーに蹂躙された丸の内のビル街のカッコよさにしびれてからなのである。山中貞夫のこと、先代の金原亭馬ノ助の話などでしょっぱなから盛り上がってしまう。

 総勢6人で、本多邸へ。壁にかけられた写真の、本多監督の笑顔の実にいいこと。きみ夫人はもう八十いくつとはとても見えない、背筋のシャッキリしたかた。しゃべり方もハキハキと歯切れよく、最初から“これア、かなわん”になってしまう。何故いつも開田さんたち夫妻でお年始にうかがっているのを、今年は快楽亭と私にまで口がかかったかというと、きみ夫人の口からポンポンと、当たり前のように出る名前、エピソードなどの中に、日本映画黄金時代の貴重な証言が山ほどころがっているためであり、それを開田夫妻だけで聞いているのはモッタイない、ということで、古い映画に詳しい私や快楽亭を連れてきた、というわけだが、山本嘉次郎や本木荘二郎などという名前が“お知り合い”という感じで飛び出すんだからタマラナイ。いくら日本映画にちょっとばかしくわしくても、これではもうオテアゲである。本で読み齧った知識で応対しても“あ、そんなのはウソよ”と軽くあしらわれる。上流の人らしい毒舌もすごく、梶田監督と口をあわせて、われわれの世代が神のごとく尊敬していた、いわゆる“ウルトラマンを作った人々”のことを「ああ、あれは映画のこと何にも知らないテレビの人だから」 と切って捨てるところなど、実にカッコいい。なにしろ黒沢天皇を「クロさんはウチの本多と違って大学出てないからよ」 とスッパリ、しかもまったく嫌味でない(黒沢監督が聞いていても笑い出したであろうような)スマートな口調で片付けるところなど、もう何も言えません。

 梶田監督の、本多監督をどこまでも師匠として慕う態度にも非常に美しいものを覚えた。唯一、本多監督の不興を被ったのは、ずっと後年、本多監督が黒沢監督の作品の助監督を務めたことについて、“監督、監督ともあろう方が、いくら黒沢さんとはいえ、いまさら助監督にならなくても・・・・・・”と言ったときで、そのとき本多監督は“ボクとクロさんの仲は特別なもんだからね”とだけ言って、もうそれ以上、そのことに関しては語ろうとしなかったそうだ。何か、涙が出てくるエピソードだ。

 映画ファンとしては至福の時間で、できればずうっとそのままお話をうかがっていたかったのだが、なにしろ、令嬢のたかこさんの手料理が次から次へと運ばれ、お酒がないとなると、休みの日にもかかわらず酒屋さんに無理言って届けてもらったりしていただき、食べると飲むの両方で忙しい。開田さんがあまり飲まず、快楽亭も二日酔いですすまず、なので、いきおい、私の方に倍増して酒がつぎ続けられる。そのうちヘンな酔い方になってきて、わけがわかんなくなってくる。緊張しながら飲む酒が回ると、もうどうしようもなくなる。途切れ途切れの記憶の中で、かなり傍若無人な発言もし、ベロになってミットもない真似をし、あまつさえ、斎藤さんに向かってセクハラまがいの発言までやった、ような気がする。四二にもなって何たる酔い方か。自分で情けない。咄!

 外は雪がヒヒたる降り様。タクシー呼んでくださり、梶田監督と私が先に、同じ渋谷方面ということでご一緒する。車内でまた、マンモスフラワー撮影時の話などを聞かせていただく。聞いていてうるうるするほどいい話であって、こっちがベロベロ状態だったのが生涯の後悔になりそうである。参宮橋で監督を送り、家に帰りついたのが10時半ころ。K子はフテ寝していた。

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