裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

土曜日

※『南極(人)』5日目マチソワ

10事過ぎまでダラダラ。
年末に入って多くの訃報あり。

講談師・田辺一鶴師22日死去。80歳。
私が子供の頃はオリンピックの開会式を講談でやって、
入ってくる国の克明をスラスラと並べ読み立てるのがネタの芸をよく
テレビでやっていた。途中で釈台の裏のカンペをチラチラ見る、と
いうところで笑いを誘っていたが、もちろんそんなものを読んでいる
はずもなく、全て記憶していたわけだが、私の両親などは、一鶴は
滑舌がよくない、噛みが多い、下品だ、と徹底して嫌っていた。
当時講談界の人気者は二枚目で洒脱な芸風の一龍斎貞鳳であって、
大きなヒゲをはやし、いかにも怪しげな風貌でポルノ講談をやり、
エロ雑誌のお色気記事などにも平気で名前を出していた一鶴師は、
あきらかに異端の講談師、であった。そう言えば松鶴家千とせと
二人で、三流雑誌のエロ通販広告にも名前を出していたっけ。

とはいえ、それらは昭和40年代の芸人たちにとってごく普通の
仕事であった。特に、落語の人気に押され凋落の一途にあった
講談界にとり、田辺一鶴の人気は貴重なものだったろう。
談之助から聞いた話だが、一鶴さんの高座のとき、袖で当代の
馬琴と人間国宝の貞水の両師が聞いて
「これはうかうかしていると俺達はみんなこの人に
吹っ飛ばされる」
と危機感を抱いていたそうだ。

とはいえもともと生真面目な人で、ある程度の年齢になってから
エロ系の仕事は控え、古い講談本のコレクションを元に古本屋を
開業したり、呼吸法やボケ防止に講談を、と地道な普及活動に
身を呈したり、業界のために力を尽くしてきた感があった。
もう少しこまめに追いかけてみたかった人である。残念。

もうひとつ、同日にマディ上原氏死去の報。
年齢をまだ確認していないが、私と大して違わない筈(後で
確認したらひとつ上、52歳)。
ここ二十年くらい会ってなかった。
私が新婚当時参宮橋に住んでいたとき、まだ原律子さんと
結婚していたマディさんもご近所だった。もう一人、まだ前の
旦那さんと一緒だった内田春菊もすぐ近くの初台に住んでおり、
マガジンハウスの編集が“ここらはいいな、ぐるりと回れば
原稿が集まる”と言っていたのを思い出す。まさかそのせいでも
ないだろうが、やたら一緒の雑誌での仕事が多かった。
パーティで初めて会って名刺交換したとき、向うもそれで名前を
覚えていてくれたのだろう、
「今度原作を書いてください!」
と開口一番に言われた。もちろん実現はしなかったし出来も
しなかったろうが、唐沢俊一原作・マディ上原絵、だったら
どんな作品が出来たことだろうか。

そのうち原さんとは別れ、私もマンガ関係の仕事から徐々に文章
オンリーにシフトしていき、音信もなくなったまま、ときおり、
昔のあのマディさんのぶっとんだセンスの作品を思い出しては
今、何をしているんだろうな、と思ってはいた。
訃報に接して、彼の事を語っているあっちこっちのブログを見ると、
分野を変えていろいろ活発にやっていたようで、これまた、
ああ、もっと意識して追いかけていればよかった、と悔やまれる
ばかり。

ユニークな才能で世の中を楽しませてくれたお二人のご冥福を
お祈りいたします。

12時小屋入り。15分ほど遅刻。
足にかなりキているのは、昨日のオマケ芝居のせいだろう。
昨日あまり受けなかったのでオマケは一日のみでナシになった(笑)
とかで、ホッとする。

舞台監督の早さんが酔っぱらっている。
ゆうべ、いや今朝5時まで飲んでいたとか。
フラフラして楽屋に入ってくるので、何かと思ったら水を飲みに
来たのであったり。それでもするべきことはキチンと
するのがさすがと言えばさすが、だが……(笑)。

母の作ったオニギリ(シャケ)みんなに持っていく。
マチネ、手に入っていてもう長ゼリフも演じていて楽し。
しかしその分、トチリも出る。
人のセリフを飛ばして自分のセリフを言ってしまうのは慣れから
来るミスである。思い掛けない一言セリフが飛んだり。
ま、進行に支障ないものばかりだったのでよかったが。

ダンカンさんがグレート義太夫さんと来てくれていた。
夕幾子ちゃんのセリフにハッシーが名前を足していた。
ここらへん浅草風。

シャケおにぎり、みんなに好評。とはいえ量は圧倒的に足りず、
またサイゼりますか、とシヴさんに誘われ、一哉、シヴさん、
夕幾子ちゃんでサイゼリアへ。先日はハッシーも後から来たが、
スダレカツラ、メガネ、よれよれシャツという姿でサイゼリアで
パスタ食っている様子が、舞台の扮装と知らないとホントにそこらの
哀れなオッサンに見える、とみんな大笑いした。
今日はどこか別の店に行ったらしく、後ろ姿をみたら、スダレハゲの
かつらの様子が、温泉マークが歩いているようだった。

ソワレまであまり時間なく、ドタバタ。
永遠に続くかと思われた11月からの公演連続も、明日で
終りと思うとちょっと感慨あり。

ソワレ、まず傷なく出来たと思う。
マチネの『海で乾いていろ』のくだりのセリフがちょっとモヤ気味
だったとシヴさんに言われたので、注意深く演じて切り抜ける。
私の役はまるきりマンガ風に演じている。
マンガ的な役をマンガ風に演じる、これほど楽しい芝居はない。
リアリズム演劇は性に合わないのである。
とはいえ、シヴさんの言うように、あと一週間、稽古期間が
あれば、とはつくづく思う芝居ではあった。

終って、10数名という大所帯で安居へ。
豆乳コロッケのビスクソース、やはり大人気。
みんな疲れも出ているが、まだ意気軒高。
と、いうか意気で保っている感じ。
トリトメのない話が延々続く。

終って、豊田くん、ハッシーとタクシー乗り合わせで
帰宅する。通りで足が全く効かなくなり、ベタッと
車に引かれたカエルみたいなスタイルでぶっ倒れてしまった。
幸い、怪我も打ち身もなし。
コンドロイチンとバファリンのみのんで
12時半、就寝。

*受付やってくれる舞ちゃんと、手伝ってくれる由賀ちゃん。
中国人役のテリー。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa