17日
月曜日
ワレ紀州ニ成功セリ
「いや、新ネタなんでどうかと思ったが、ウケたよ」(某落語家・談)
※帰京 週刊現代原稿
朝6時ころ眼が覚めるが、8時過ぎまでベッドで
ごろごろ。ホテルの部屋、いい具合にエアコンが効いて快適。
ただ、私は自宅で寝るとき、いつも枕をやたら高くしている
(普通の枕の上に座布団を二つ重ねにして置いて用いている)
習慣なので、洋風ホテルの、あの薄べったい枕にはどうも違和感。
8時過ぎ、シャワー浴びる。安全カミソリが備え付けてあるが、
これが、コドモ用か、と思えるほど小さいカミソリで、
剃りにくいったら。思わず笑ってしまう。
9時、階下の食堂へ行き朝食。
ごはんに納豆二パック、漬物、味噌汁のみ、シンプルに。
ところがこの納豆の小パックが旨かった。
どうも、スーパーなどで普通に買うものより、ホテルなどに
卸している納豆の方にオッと言うような旨いものが多いような
気がするが、どうだろう。まあ、とはいえ生涯で食った最もまずい
納豆も旅先でのものだったが。
頼光くんとここで待ち合わせていたのだがなかなか来ない。
おかしいな、と思ったら急いで来て言うには、少し早めに来て
私をフロントで待っていたら、頭のおかしい爺さんにからまれて
急いで逃げた、と。外で待ってますとのことだったので、
それは大変、と思いながら急いで室にもどり身支度整え、
チェックアウトすます。私のときにはそういう人物いなかった。
外で落ちあい、タクシーで新大阪まで。
からまれ話を聞く。しかし一流ビジネスホテルのホテルにそういう
のがうろついている、というのが、大阪の人には悪いが大阪らしい
混沌的光景であり、何か面白い。頼光くんも、わざわざそういう
人に出会い、からまれる、どこか一般人と違うオーラを発して
いるのではないか。
新幹線の席を予約し、車中、今回のライブのこと、快楽亭のこと、
語り芸のこと、前回の文芸坐のこと、古い共通の知人の話、
などなど話題つきず。やはり古い映画の役者の話に収斂するけれど。
あっという間に東京。
話に夢中で、イラスト代をもう少しで払い忘れるところ。
駅で別れて、中央線で新宿。昼飯を食おうと思ったが
車中で冷凍ミカン三ヶも食ったせいか、あまり腹も減らず。
自宅に帰り、サントクでごはん買って、塩辛とつぼ漬けで茶漬け。
週刊現代の書評原稿を書く。
初めての文字量なので内容の調節に留意。
5時までには書き上げ、メール。
それから、昨日の日記つけ。
なにしろ普通の日記のまる2日分あるような内容。
書いても書いても終らない。
昨日のプロジェクトの件、さらにもうひとつの方でも
プッシュして置きますとSさん。これもテンションあがる。
新企画打ち合わせ二つ、9月アタマに延びる。
大きなものなのでかえってよかったか。
昨日のテンションのあげ過ぎか、ちょっと夕方から夜にかけて
鬱気味。新幹線の中での会話、ああ言えばよかったとか、
ラチもないことをぐずぐず。
9時過ぎ、日記書き上げてアップ。
少し気分もよくなり、サントクで買った小イカの丸茹でを使って
ギリシア風サラダ。
DVDで『国盗り物語』後半を見る。駆け足すぎて、前半の方が
見ごたえあり。
新幹線の中でも話したことだが、最近の『天地人』などと比べると
カメラアングルや人物の撮りかたなど、シンプルなもの。
しかしこれは時代の違いというよりも、むしろ、演技者の存在感に
頼れない昨今の大河ドラマが、カメラワークと演出でそれを
補わざるを得なくなったため、ではないか。
『国盗り……』の後半では、三方ヶ原で家康をたたきつぶし、
あともう一歩で天下を、というところまで軍を進めながら病死する
武田信玄の役に、大友柳太朗を配している。本編でも、彼の出演シーンは
ここだけだったが、いまだに明確に覚えているくらいの圧倒的
存在感の信玄だった。死の床での無念のつぶやきをただ撮影する
だけで、そこに武田軍団の長がいる、ということが伝わる。
いま、これだけの“顔”を持った役者はちょっといない(うまい
役者はいくらでもいるが)。いきおい、演出に凝らざるを得なく
なるのである。
マッコリサワー2ハイ、黒ホッピー2ハイ。
服薬して1時、就寝。