裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

金曜日

グンバツ高校野球大会

「今の投球はグンバツでした!」
「それ、死語じゃないですか?」

※休養日

9時起床。どう考えても12時間近く寝ていた勘定。
よくまあ眠れるものである。
やはり、心臓中心に内臓がくたびれているのかと思う。
9時半朝食。桃ジュース、カブのスープ。スープ美味々々。

盆進行も終り仕事スケジュールにも余裕できたので、
今日は一日のんびりしようかと思う。
仕事らしい仕事は次の次の次の次、くらいの本の企画書書きと、
こないだ出たテレビ番組が本になるというのでその
承諾書を書いてFAXしたくらい。

山城新伍死去の報、さらに海老沢泰久氏死去の報。
海老沢泰久氏の『監督』は、日本の小説を翻訳小説の文体で
書くという大胆な手法で、理知が情に打ち勝つという非・日本的
ストーリィを成立させてしまった壮大な実験小説、みたいな趣で読んだ
ことを思いだす。“架空の”広岡達郎の、何とカッコよかったこと。
そして、映画のラストシーンを見るような最後の一行の印象的だったこと。
広岡の役をポール・ニューマンにやらせたかったねえ。

一方の山城新伍、この10年は老人ホーム住いだったという。
70年代末から80年代の彼を知る者の誰が、彼がこんな寂しい
人生の終焉を迎えると想像したことだろうか。

バラエティ番組を見る習慣のなかった70年代の唐沢家だった
が、初めて毎回チャンネルを合わせるようになったのが和田アキ子
司会の『うわさのチャンネル!』だった。
もちろん、『空飛ぶモンティ・パイソン』で知ったタモリを
追いかけるためだったが、山城新伍の三日月刑事と、せんだみつお
の痴漢満五郎のコントが見られることも大きな理由だった。
さらに一時期、エンディングで山城新伍が歌っていた、
『おじゃじゃばやし』が傑作だった(なぜレコード化されなかった
のかなあ)。ほどなく私は上京するが、私にとり、東京で一人暮らしを
始めるということは、テレビで山城新伍を見るというのとほぼ、
同意義だったように思う。

もちろん、お定まりの名画座めぐりでも、山城新伍の姿には
しょっちゅうお眼にかかっていた。『仁義なき戦い』の江田、
『不良番長』の五郎、『歌麿・夢と知りせば』の嶺山月など、
いずれも印象には残ったが、しかし同時期にテレビのバラエティで
文字通り水を得た魚のように我が物顔で毒舌を吐き、洋画の蘊蓄
を振りまき、また司会をつとめる姿の方が絶対的に光り輝いて
いて、やはりこちらの方が本領だったような気がする。
映画の中での山城新伍は、自分がかつてその息吹を浴びた黄金時代の
映画人を意識しすぎて、それがモロに出てきていたような演技だった。
『歌麿・夢と知りせば』の剣客役など、『キネ旬』で
“本人は大真面目だが、観客は爆笑”とか書かれていたくらいである。
『不良番長』でのアドリブの連発はさすがに圧倒されたけれど、

しかし、さしものバラエティの帝王にも、世代交替の波は押し寄せる。
『笑アップ歌謡大作戦』の司会だったとき、ゲストのタモリを執拗な
くらいいびり、
「さあごらんください、実はタモリという男がいかに引き出しが
少ないかをこれからごらんに入れます」
などと言っていた。あれは一種の、追われる者のあせりだったの
だろうか。

私が再度上京し、潮健児さんとつながりが出来、そして
潮さんが亡くなる前日の出版パーティに、山城氏も梅宮辰夫氏などと
一緒に駆けつけてくれた。点滴を受けて楽屋でベッドに横たわっていた
潮さんに、梅宮さんは駆け寄って涙を流しながら、
「先輩、御免よ!、オレ、先輩がこんなになってるなんて全然
知らなかったんだよ!」
と話しかけたが、山城氏はその姿を見るなり、
「なに潮ちゃん、これシャレ?」
と言った。潮さんの“ううん、マジ!”という受け答えが、
そんな状況の中で奇妙におかしかったが、二人の性格の違いが
見事に表されていたと思う。

さみしがり屋で、人懐こく、でもプライドが高くて、何かにつけて自分の
突出性を誇示したいパフォーマンス的人格で、それが毒舌につながる。
実は凄く孤独な人だったのではないか。
そんな気がする。

個人的にはNHKの連続ドラマ『中年ちゃらんぽらん』
で演じたエピキュリアン独身男の役が、いい具合にアクが抜けた
演技で好感を持った。
兄の藤木悠が真面目一方で家庭を守ってきた
のに対し、40過ぎても独身で、“UFO研究クラブ”などを作り、
同好の士を集めて
「これは去年、アメリカで録音された宇宙人の声のテープでな、
ちょっと音質が悪いんやけど、貴重なもんなんやで」
などと子供っぽい、実に嬉しそうな表情を作っていたのが
印象的だった。
最後は、かなり歳の離れた女性(紀比呂子)と結婚するのだが
このドラマに出演を依頼されたとき、ギャラの安さに出演を
渋る山城氏に言った、NHKのプロデューサーの殺し文句が
「相手役には絶対山城さんが抱きたくなるような子を連れてきますから」
だったそうだ。NHKにも粋なプロデューサーがいたものである。
俳優・山城新伍の黄金時代は、そういう、彼のことを理解し、
わかるスタッフあっての黄金時代だったと思う。

日本アカデミー賞の司会を務めたとき、そのシンボルのブロンズの
映画神像の、凸凹の多いデザインを指して
「この形が日本映画界の屈折をよく表しております」
と言っていた。その屈折は、本人の屈折でもあった筈である。
もっと言いたいことはあったろう。70歳という現代では
早すぎる死。諸行無常。

二人の偉大なエンターテイナーに黙祷。

昼は母の室で、粕漬けのシャケと野菜の酒粕和え、茄子のしぎ焼き。
ごはん軽く二膳、二膳めはお茶漬けにして。

K子から連絡あり、健康保険の組合を変える手続きをしていて、
それに一ヶ月くらいかかるので、次回の病院の診察は10割で支払って
おいて、と。そうすると薬代などは2万円以上支払うことになる。
クスリ九層倍、などとクスリ屋の息子が言ってはいけないが、
高いものだなあ。

ひさびさに天気、夏らし。
しかしいまだに東京の夏は体に合わない。
夏期間だけでも札幌で暮らせないものか。
この年齢になってそう思う。

エアポケットみたいに、今日一日、いい感じのこともトラブルも、
共に進展なし。何かウソみたいに体が空いている。
買い物に行こうと思ってバスで新宿まで。
思ったものなく、下北沢まで足を伸ばして何とか見つける。
新宿まで戻り、地下鉄で帰宅。帰宅途中で、大阪に
同人誌送らなくては、と思い出す。何もしないでいいどころか
大きいのがあった。
6時半に黒ネコに電話、集荷を頼む。電話でお姉ちゃんが、
地震の影響で到着日が遅れるかもしれないから、配達予定日を
日曜日にしてくれと言う。遅れたときにブウブウが出ないように、
であろう。まあ、日曜でいいかと思い、そう書く。

シャワーを浴びて汗を流して、甚兵衛に着替えホッと一息、
ついたところで集荷のお兄ちゃん、やってきた。グッドタイミング
と荷物を配送票つけて渡すと、
「あれ、日曜でいいんですか? 明日届きますよ」
という。そう書けと言われたというと、
「大丈夫ですよ」
と、土曜日に書き換える。何だかよくわからず。

8時、夕食。レタスと豚シャブ肉の鍋。昆布だしで茹でて
ポン酢で食べるというごく普通の鍋だが、胡椒をたっぷり挽いて
鍋の中に加える。
DVDで『国盗り物語』総集編の前編。
当たり前の話だが役者がみんな若いこと。ウィキペディアによると
この作品の信長役で高橋英樹がブレイクしたが、本来は藤岡弘に決まって
いたのを、仮面ライダーの主役と重なったので降り、高橋になった
とある。

『国盗り物語』が1973年放映、『仮面ライダー』が1971年放映だから
藤岡弘が信長に決まっていたのが仮面ライダーと重なって、というのは
彼が一号ライダーとして復帰が決まった当時、ということか。
あと、『国盗り……』では近藤正臣が明智光秀役で出ているが、
実は本来は本郷猛役は近藤で決まりかけていた、というのも偶然とはいえ
面白い。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa