裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

火曜日

カネになる一族

まあ、映画化されたかと思えばテレビ化されて、原作者は金になるねえ。

※体調不良 『社会派くん』対談

赤壁の戦いの夢。赤壁の川淵にある茶店が戦い見学の一等地で、
毎日ここに通って、まだ始まらないか、まだかとイライラしながら
川と三国志新聞を見つめている。

朝方、やはり咳と痰に悩まされる。
体に疲れがたまっているからだ、とは思うが。
これで睡眠時間、せっかくゆうべ11時に寝られたのに、
起きたのが5時で、それから3時間半、ゴホゴホゼイゼイで
眠れず。体力を消耗すること限りなし。

9時半、母の室で朝食。
バナナリンゴジュースに、今朝からニンジンも加えてみる。
色が赤くなるのみで、味はほとんど変わらず。

ベッドに横になるとかえってツライ(特に仰向けが)ので、
椅子に座っててすぴす叢書『主人二人の召使』(未來社)読む。
そう、あのルナの『二人の主人を一度に持つと』の、1959年の
翻訳(牧野文子)。探したら家にあった。
……台本の底本がこれでなくてよかったと思う。
「ゴルドーニのものにはベネツィア訛のものが多い」
ということで、それを訳に反映させようとして、登場人物たちが
どこのものとも知れぬ、奇っ怪な日本語をしゃべっている。

「わっしのような頭の弱いもんに、そういちどきに三つもものを
聞かれたんでは、あんまり質問が多すぎて弱っちゃう」
                  (トゥルゥファルディーノ)
「あんたがだれだか知ることはいらん」(パンタローネ)
「なんてこっだ。わしの御主人が死んだって、なんちゅうことか。
わしは、みじめになるばかりだ!」(トゥルゥファルディーノ)
「なんとうるさく、しゃべりおったこった!」(フロリンド)

古い訳だから仕方ないといったって昭和34年、戦前の大久保康雄
なんかの、『風と共に去りぬ』の南部訛などはもっと自然にうまく
訳されていたと記憶するが。

訃報二つ。
コピーライター、土屋耕一氏死去、78歳。
『君の瞳は1000ボルト』も『A面で恋をして』も、土屋氏のコピーを
そのままタイトルにしたヒット曲。
他にも『あ、風が変わったみたい』のように、具体的に何を言っているのか
わからないが、聞いただけで耳に残るフレーズを考案する名人だった。
少年時代の病気のため、高校を除籍になり
「とんねるずは高卒を売りにしているが、僕は中卒である」
と常に言っていた。普通なら除籍であっても高校中退、というところを、
中卒、と言い切ってインパクトを強めるのが土屋式の言葉の使い方である。
正式な高等教育を受けなかったことが、日本語における権威を軽々と否定して
言葉で遊んでしまう感性を育てたのだと思う。
「軽い機敏な子猫何匹いるか」
「力士手で塩舐め直し出て仕切り」
などの回文や、
「後攻の高知高校速攻で工業高校ついに降参」
などの畳句、
「行く春や 時計ばかりがコチコチと」
「古池や 時計ばかりがコチコチと」
「柿食えば 時計ばかりがコチコチと」
のような、“何にでもつく俳句の下の句”などの言葉遊びに、高校時代の
私はハマりにハマった。
土屋氏の遊びの精神は糸井重里や河崎徹に受けつがれ、70年代末に
コピーライターの黄金時代をもたらしたが、現代のCMコピーは、
このような遊びの次元からはちょっと距離をおいて、よりダイレクト
もしくはストレートなものになっている気がする。
遊んでいる余裕がなくなったのか、そもそも言葉で遊ぶだけの教養が
消費者に無くなったのか。

落語家・露の五郎兵衛氏死去、77歳。
陽気で華やかな芸風で、中学生くらいのとき、五郎時代のこの師匠の
『阿弥陀ヶ池』をテレビで聞いて、弟がひきつけを起すくらい笑っていた。
大陸で終戦を迎えただけあって、何か日本人離れした笑いの感覚があった
人であった。『西遊記』なんて話のまくらで、大陸時代の暮しの思い出を
語っていたが、本当なのかホラなのか、使わなくなった校門脇の電信柱を
抜くことを命じられた学校の用務員が、朝晩の校門の出入りのたびに
その電信柱を指でトンと突き、一年後にぐらぐらになった電信柱をひょいと
抜いてかついで持っていった、などという話を普通にして、
「まったく中国の人というのはマンマンデー(漫々的。のんびりとしている
こと)で」
と言っていたが、ご本人の落語もマンマンデーそのもので、あっちへ脱線
したりこっちへ脱線したりしてさっぱり前に進まず、実に結構な
ものであった。
五郎兵衛になってからの怪談ばなしをあまり聞く機会がなかったのが残念。

お二方のご冥福をお祈りする。

4時、家を出て新宿。
『らんぶる』にて、『社会派くんがゆく!』収録。
咳は出ないが喉と胸が何かヒューヒュー、穴が空いているような
感じ。とはいえ、トークはいつも通り盛り上がる。
例の本の件もお礼を言ったが、K瀬さんのみでまだK田さんには
伝わってなかった模様。

何かすんなり終って拍子抜け。その後、二人と別れて、
小田急ハルクへ買い物に行くが、売り場が改装中で、
望みのもの、なし。地下鉄で新中野まで帰り、サントクで
買い物して。

帰宅して、6時。体力使い果たしたような気分。
しばらく横になろうとして、ベッドに入ったとたんにグー。
目を覚ましたら、8時だった。2時間寝ていたことになる。
疲れているのだな。

起き出して、夜食作り。タコのエシャレットサラダ。
酒はマッコリサワー2杯に黒ホッピー2杯。
LDで『未来への遺産』。
シュリーマンを“子供のときの夢を忘れずに叶えた男”として
一切その自伝に疑いを抱かず絶賛している。70年代半ばとしては
これが限界だったか。やがて、シュリーマンが謳い上げたそのロマンは
シュリーマン自身が自分の功名心のために作り上げたフィクション
であるとわかっている。
しかし、そっちの方が、何か私には、シュリーマンが人間として
面白いと思えるのだが。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa