裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

木曜日

機械獣の誰よりきっと

熱い夢(世界征服の)見てたから
                      ……ドクター・ヘル
※病気療養

朝、6時ころからまた気管がヒューヒュー。
長引くなあ、とイヤになる。
今日は一日、何もせず休息の予定。

9時半、朝食。
バナナリンゴジュース、スープ、コーヒー。
オノから、事務所の備品類の始末についてメール。
こっちも手をつけねば。

福田繁雄氏死去の報。76歳、クモ膜下出血。
大坂万博のポスターデザインで著名だが、日本のトリックアートの
第一人者として、わが家の書棚にもその作品集が何冊もある。
70年代文化の尖端であるポップカルチャーの軽みを作品の
中に取り入れ、“いたずら”“遊び”の精神を通し、“見ているものが
正しい姿とは限らない”という、価値観の混乱を軽やかに作品に
表現していた。そのあたり、いかにも70年代文化人の代表と言える。

数多くの輝かしい受賞歴があるが、ちょっと奇妙なのは1977年に
受賞した“文春漫画賞”で、受賞作品はマンガではなく、
“住宅から玩具にいたるユーモア”という、非常に曖昧模糊とした
くくりで受賞対象になっていた。
これを“非常に柔軟な姿勢”と評価する(例えばウィキペディア)
向きもあるが、私は10年ほど前、実際に文春漫画賞関係者から、
「あれがそもそもの間違いだった」
と聞いたことがある。
「マンガでないものに漫画賞を与えることで、もともと性格が
あいまいだった賞が、いっそう存在意義のわかりにくいものになって
しまった。あれからです、あの賞が迷走を始めるのは。
福田さんには、賞を与えるより、ユーモアの専門家ということで
審査員になっていただきたかった。そうすれば……」
確かに、ユーモアとは何か、を見極める目は、当時の文春漫画賞の
審査員たちなどよりはるかに高い人だったろう。
彼が審査員になったら、今の日本のように(ギャグはあっても)
ユーモアがほぼ絶滅に瀕する、という状況は変わっていたのでは
あるまいか。いや、希望ではあるけれど。
合掌。

昼は味噌オムスビを握ってもらって。
コミケット準備委員会から、いつぞやコミティアでやった米澤嘉博追悼
トークのweb転載許可を頂きたいとの連絡。応諾の返事を。
4時過ぎ、仕事ちょこちょこ再開。
資料が必要になり、サントクも休みだし買い出しがてら、と
思い(体力回復の調子を見るためもある)、バスで新宿へ。
資料簡単に手に入り、そのあと、恒例の京王デパート駅弁大会へ。
京王デパートの作りは昭和のデパートを思わせる懐かしいもの。
大催事場という表記もレトロである。
いろいろ回って(名物類はかなり高めの値段で最初から相手にしない)
厚岸のかきめしというのを五分待ちで買う。

それから地下の食料品売り場。さすが、サントクなどより品が豊富で
あるなあ、と感心。
帰宅して、原稿続き。マイミクさんの日記に書き込みなど。
あっという間に9時過ぎ。黒ホッピー飲みつつ、時代劇ビデオを
ザッピングして見ながらかきめし、鶏モツ煮込みなどを食べる。
かきめし、味付けが甘すぎてちょっと。
12時、就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa