裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

木曜日

ベートーベンのDAIGO

「運命オニ熱っす。戸をハンパなく激叩きっすよー!」

※講談社資料室籠り 『コント考現学』@阿佐谷ロフトA

水族館のパンフレットを読む夢。
ここの水族館には私でも知っている有名なエピソードがあり、
それは水棲生物がご専門の昭和天皇がこの水族館を
訪れられたとき、陛下が冗談をおっしゃられた際に
案内していたきまじめ一方の館長が
「陛下、ご専門の分野で冗談をおっしゃられますと、それが
そのまま世に通ることになりかねません。おつつしみください」
と叱った、という話だが、パンフレットを読むと
「ある専門家の著名人が」
となっており、なんだこれは、天皇を叱ったという記事は
タブーだというのか、と文句をつけるという内容。

朝8時半起床。
なんやかんやと雑用多し。
明日はSF大会の前乗りで大阪。
大阪の宿、安いところは無茶苦茶に狭くて圧迫感があるそうで、
結局ル・ボテジュールというベタな大阪チックなホテルの、
ツインを一人で使うという贅沢なことになる。
新幹線はN700系で、これは楽しみ。
最もケチってグリーンではない。

11時半、家を出て新宿『らんぶる』。
メディアファクトリーSくんと会い、『血で描く』見本刷り
受け取る。本になったもの改めて見ると、“仕掛け”の
部分の凝り様の凄さに驚くというか、呆れるというか。
「こういう風にしたりして」
などという、打ち合わせの席のヨタがそのまま現実化した
アイデアもあり、Sくん
「ものは言ってみるもんですね」
と笑う。

帰宅して、弁当(焼肉)使い、その他いろいろ雑用。
荷物を受け取りしたり、発送の準備をしたり。
あっと言う間に時間が過ぎ、丸ノ内線で音羽の講談社へ。
車中、自分の小説を読む。ケアレス(前後の描写の食い違い)が
いくつか見つかる(どうしてもゲラチェックは誤字脱字の
チェックが基本になるため、前後のこういう矛盾は見逃して
しまう)が、筋が通らなくなるような致命的なものではないから
いいか、と自分をなぐさめる。

読み込んでいたら、電車を乗り過ごしてしまった。
あわてて戻り、赤坂見附でエンエン歩いて永田町駅、有楽町線
で護国寺。講談社でOさんNさんと落ちあい、資料室へ。
少年マガジン五〇周年記念本の原稿のための資料閲覧。

資料閲覧室はなんと年中無休、24時間営業だそうである。
編集作業というものが時間割通りに行えるものではないからで
あろうが、それにしても、それを維持する資本というか
企業努力というかの凄さを思う。しかもコピー自由!
そうなるとあれもこれも、となって、最初は2時間くらい、と
Oさんに申請していたのが、なんと7時半まで、
飲まず食わずで4時間半、ずっと資料を読み込んでいた。
懐かしい記事の数々に思わず涙。

7時半、辞去して出る。すさまじい雷雨あったというが
まったく知らないままだった。地下鉄で飯田橋、そこから東西線で
中野、乗り換えて阿佐谷。中野で携帯に電話、ハッシーから。
「もう唐沢さんの出番なんですけど」
と言われてビックリ。今日はカウンタックーズのコントを阿佐谷
ロフトでやる日で、私は単に見学の予定だとばかり思っていた。
あわてて阿佐谷まで急ぎ、壇上に上がって挨拶、休息を
はさんでDVDを見せながら。出るということを忘れていたのに
DVDを持っていたのは、土曜の上野広小路亭の落語勉強会の
ために、とカバンに放り込んでおいたもの。
いや、予行演習にもなってよかった。

おなじみコントや新作含め、後半を見る。T田くんの友人の
ライター・Mさんが“お妃候補”コントでいい味を出していたし、
先月、じげもんで会った介護士という女性のノリが凄まじかった。
体が4時間半の閲覧室籠りで無茶苦茶にくたびれていると
見え、笑うたびに息切れ。

“じげもん”(でじもん、と間違えるのはお約束)に、
オノ&マド、Tくん、Mさん、しら〜、ハッシーとで。
オノとハッシーのツッコミあい、今日はまた凄まじ。
ほとんど口をはさめず、というか、酒の席でそんなにがんばって
どうする。

ハッシーがくたびれたあたりで仕事の話をオノと。
某所の資料制作費がかなり出る、という話に驚く。
1時半までいて、タクシーで帰宅。
阿佐谷駅前の喫茶店、アコヒーダに閉店の貼り紙。
ここ数年は足を踏み入れていないが、利用して二十年になる。
なをきと一緒に住んでいたデビュー前、朝食はおもにここの
モーニングセットだった。デビューした後の、唐沢商会での
打ち合わせもここだった。その前、やはり阿佐谷に住んで
いたマンガ家志望のガールフレンドとのデートの待ち合わせ場所も
ここだった。彼女と別れたあともここで原稿を書いていた。
偶然、彼女が某A書店の編集に叱責を受けているのを見たのも
この店だった。アシスタントで紹介された大物マンガ家の
ところで、彼女のミスで原稿を紛失して首になったということ
だった。その後彼女は占い師になった(それも凄い転身だが)。
それで食えているとは思えなかったが、どうしたろうか。
故郷へ帰ったか、まだこちらで暮らしているのか。
以前、ふと思い立ってググってみたが彼女の使っていた
ペンネームでも、また本名でも、一件もヒットしなかった
(同人誌に使っていた名前では一件あったが、もう何年も前の
ものだった)。
往時茫々にして全て夢の如し。

*ずらり並んだ少年マガジン合本

Copyright 2006 Shunichi Karasawa