裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

火曜日

サカイ系ライトノベル

主人公たちが地球の危機の中で安い引越業者を探し回る小説群のこと。

※三才ブックス書き下ろしコラム エアコン掃除

朝、8時15分起床。
7時ころ目覚めて、布団にくるまりながら、
妙にポジティブ・シンキングな妄想が頭に浮かんでくるのを
楽しむ。オレってこんな前向きな奴だったか?
もっとも、仕事のことではないが。

9時朝食。
メロンとブルーベリージャムのせヨーグルト。
母のテンションがちょっとおかしい。
気圧のせいかな?

宮崎勤被告に死刑執行、というニュースにちょっと感慨あり。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080617k0000e040011000c.html
平成という混沌の時代の幕開けを見事に象徴した事件であった。
改めて犠牲者のご冥福を祈る。

一般にはこの事件がオタクの評価を著しく下げ、後に今回の
秋葉原殺傷事件にまで続くオタクバッシングの元凶となった、
と言われているが、私は逆に、(司馬遼太郎が、池田屋事件が
維新のむしろ必要絶対条件だった、という見方をしているのと同様に)、
この事件があったからこそ、オタクが真剣に“社会と自分の趣味の接点”
ということを考え出し、その後のオタク文化の隆盛が到来したと考える。

オタクたちの中心層はこの事件で
「放っておくと自分たちは社会から抹殺される」
という危機感を抱き、自分たちが社会に対し有用な存在なのだ、と
いうことをアピールしはじめた。社会との接点を模索しはじめた。
嫌がられようが何だろうが自分の趣味しか眼中になかったそれまでの
オタクから、“オタクとはどういう存在か”、対外的に説明を試みる
オタクたちが増えてきた。
岡田斗司夫などはその運動を意識的に行った先導者だろう。
彼の申し出でで、NHKは差別用語として発言を出演者に控えさせて
いた“オタク”という言葉を解禁したのである。

世間の方もまた、それまではあえて敬遠し、知らぬが仏を決め込んで
いたそれまでの態度から、“オタクって何だ?”と、積極的に
意識を向け始めた。被害妄想的にメディアのオタクバッシングの
ことばかりを言い募る人も多いが、あの事件での取材以降、改めて
オタクカルチャーに対して一定の理解を示したマスコミも多い。

こういう言い方も変だが、あの事件のおかげでオタクは日の当たる
場所へひきずり出された。そしてその社会の中でニッチを求め、
世間の白眼視の中で、生き延びる術を必死で習得しようとした。
もともと、社会不適合性をその存在の基幹に持つオタクが、まがりなり
にも社会との接点を持ち、一方に宮崎みたいな人間はいるけれども、
一方で庵野秀明や大槻ケンヂもいるんだ、という事実を認めさせた
原動力は、この世間からの冷たい扱いへの反発がそこに
あったのではないかと思う。
人間、つつかれないと前へ飛べないものだ。

現在、日本文化の一翼を担うまでにオタク文化が成長したのは、
皮肉な見方ではあるが、宮崎事件という外的ショックがあったため、
と言えるのではなかろうか。
あの事件はたぶん、これから半永久的に、オタクのイメージを暗いもの
にするだろう。しかし、そのダークサイドを有することで、オタクは
その存在に奥行きというか、オトナ性を持ったとは言えないか。
原罪を持つ自己を、見据えることが出来るオトナの目を
(もちろん、いまだ持たぬオタクも多い、というか大半だが)。

彼のやったことは許されることではなく、今回の死刑執行も妥当と
結論づけるしかない。しかし、彼の存在なくして、オタク文化が今の
形にはならなかったこともまた、事実なのである。
せめて冥界にあっては、彼の魂の安からんことを。

お仕事依頼、4件ほどまとめて来たのに驚く。
月曜の会議で通って火曜に依頼して、ということなのか。
文藝春秋、博報堂、マガジンハウス、それに某編集プロダクション。
いろいろ稼がないといけないので、ありがたいことではあるが、
一方で書き下ろし小説のデッドラインも通達されたので、
とりあえずはそれを片づけてから、だな。

昼はシャケ弁。塩ジャケの旨みこの上なし。
三才ブックス単行本の書き下ろしコラム、宮崎から書き起こす
ことを思いつき、上の切り口とは全く違った視点で、
ゴジラにまで筆を及ぼす遠大な(?)ものとなる。
がりがりと執筆。

飯田でのサイン会、平安堂書店にて7月12日(土)と決定。
もっと詳しく決まったらサイトにアップするのでよろしく。
ヒコクさんの駆け回ってくださることに、感謝の言葉もない。
6時半ころ、執筆を一旦中断。サントクに出て買い物し、切れた
脱衣場の電球(こないだ変えたばかりなのに)など買ってくる。

妙にジャジャ麺が食いたくなったので、そのソースとして
バーソーをつくる。肉味噌ですな。
長ネギ三本をみじんに切る。これは手回し式のフードプロセッサーを
使うが、これ(東急ハンズで買った)が、1500円くらいの
値段にしてはまことにスグレモノで、ネギもショウガもニンニクも
あっという間にみじん切りにできる。
このネギとニンニク一片、ショウガひとかけのみじんをゴマ油で
炒める。壇一雄の『壇流クッキング』には一時間ほど炒めると
あるが、なに、20分くらいでじゅうぶんアメ色になり、
三分の一くらいの量になる。そこに豚のひき肉を投入、
炒めながらほぐしたあと、水と酒、醤油ざぶざぶ加え、豆板醤、
長野のニンニク味噌、胡椒、それから味霸をホンのちょっと。
それで1時間ほど煮込む。

電球をつけかえるついでに、エアコンのシートも掃除する。
引っ越してきてから一回も掃除していなかったので、
凄いことになっていた。流しで、指をつかって、マットのように
なってこびりついているホコリをこそげおとす。

しあげてシャワー浴び、コラム原稿続きを書く。
書き上げて、Tくんにメールしたのが9時50分ころ。
すぐオモシロイです、と返信あったのはうれしい。
一息ついて、夜食の準備。
冷凍庫にあったカニ爪の肉を解凍し、昨日のあまりのソラマメ
とネギ小口切り、ショウガ繊切りと一緒に炒め、酒と中華スープ
でさっと煮て、カタクリ粉でとろみをつける。
ちょっとチャイナハウス風。
黒ホッピーでやるとうまいこと。

英国の地味なスパイもの映画を録画で見ながら、ジャジャ麺。
残念ながら、麺を間違えてヤキソバ用の蒸し麺を買ってきてしまった
ので、少々ボソボソ。それでも肉味噌は抜群にうまい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa