裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

水曜日

広告塔、広告塔、広告塔の本来は

「お前、あの新興宗教で何をしてたんだ」
「広告塔、広告塔」
                 (落語ネタ)

※『八起』肉オフ

朝9時10分、携帯で起こされる。
2年くらい前までは7時台に起きていたのではなかったか。
どうしてこう眠れるようになったのか。
まあ、夜更かしになったということはあるけれど。

で、起きて新聞取りに出てびっくり、一面の銀世界、というのは
オーバーだが、東京で見る雪としてはかなりの降り。
今日、相模大野なのだが、さて電車大丈夫か。

朝食、風呂前に。
リンゴ、イチゴ、ペッパーたっぷりのポテトスープ。
元NHKアナウンサー、藤倉修一氏11日に死去と。
仕事場の書棚に『らく町お時』(昭27,村松駿吉)があるが、
ラク町(有楽町)のパンパンをたばねるお時姐さんと言えば、
敗戦後日本のいわば代表的人物の一人である。しかし、実際には
そんな大物ではなかったらしい。
それがパンパンの代名詞になったのは、藤倉アナの街頭録音
(まだポータブル録音機などのない時代、袖にマイクを隠し、
コートの裾から長いコードをひきずって、疑われると“電話線の
架設工事だ”と言い張って録音した)による昭和22年のラジオ番組
『ガード下の娘たち』のせいである。

ラク町お時に人気が出たのは、藤倉の質問に対し、
「好きでパンパンになっているわけではないが、世間の目は
自分たちに冷たく、ここを抜け出ても結局つまはじきされて
戻ってきてしまう。私たちも人並みに希望を持って生きている。
こんな状態を誰もいいとは思っていない」
という、NHK(当時の世間一般)の意識に合致した回答の
出来る、頭のいい女性だったからだ(パンパン社会の実像はもっと
複雑でいろんな条件がからみあっている)、と評論家の赤塚行雄は
『戦後風俗史』の中で言っている。それは、そのような
回答を引きだすことのできる藤倉の質問の巧みさにもよるだろう。
今なら誘導尋問とされかねないが、その時代、増加と混乱の一途をたどる
闇社会に対し、一般の人々に偏見やいらぬ恐怖からくる混乱を
与えないために、それは必要な情報操作だった。
いや、そう藤倉は信じていたに違いない。
藤倉や、その後輩にあたる宮田輝、
高橋圭三くらいまでの時代のNHKアナウンサーには、
NHKすなわち世論である、というような、絶大なる自負が
あったのだと思う。

日記つけ、午前中は雑用でつぶれる。
雪、霏々として降りやまず。
昼はゆうべ買った紀ノ国屋のやきそば。
量が少ないがまあ、今日は夜が大食なので。

今日は本来は朝日書評委員会。
出られないので、メールで送られてくるリストから
書評候補本の希望を担当K藤氏に伝えておく。
雪、午後からは雨になるという予報なるも2時過ぎた段階で
まだ降っている。

4時、新宿に地下鉄で出て、小田急線の窓口で、ロマンスカーの
指定券を買おうとしたら、全席満席、空くのは9時台のものから
と言われて愕然。仕方ない、特快で行こうと決める。
調べてみると、ロマンスカー(特急)だと相模大野まで30分、
特快だと32分。もちろん、座ってはいけないが、2分の差しかない。

一旦事務所に行き、いくつか雑用、連絡事項すます。
やっと郵便受けのペンキ塗り替え完了、明日から使えるとのこと。
新宿にトンボ返り、小田急地上改札口でみんなを待つ。
さすがに雪は雨に変わっていたが、地上口は風が吹き込んできて
寒い々々。

麻衣夢ちゃんは経堂から直接向かうとのこと。
彼女との連絡用に、形態からmixiメールが見られる設定にする。
これまで、めんどくさいのでやってなかった。
どこで背中を押されるか、わからんもの。

田中邦和さんが最初に来て、いろいろと立ち話。
なんと昨日までカリフォルニアだったとか。
もひとつなんとで、今日は東京中低域メンバー(域員、と称する)
10人中9人までが集合(田中さん曰く打ち合せでもこんなに
出席率良くない、とか)だが、唯一松本健一さんだけ仕事で不参加
とか。オノも欠席だし、麻衣夢ちゃんの顔見知りが一人もいない!
すまんことをしたな、と思う。
それでも、来られるスケジュールだったのがほとんどいなかったのだ。
域員8人集合して、残り二人は後から追いかけてくることに。

特快に乗って、立ちっぱなしだったが32分なのでさまで
つらくもなく相模大野。麻衣夢ちゃんとも無事落ちあい、
小雨もよいの中、八起へ。
http://www.yakiniku-yaoki.com/
唐沢ご夫妻(偶然同姓なのである)に挨拶。
お母さんの相変らずの歓待を受ける。

さて、肉は当然、タン塩から始まってカルビとロース、レバ、
ホルモン、レバ刺し、レバ刺し角切りと続き、みんな歓声。
ことに後関さんや小田島さん、柴野さん、新しいメンバーの
上運天さんのチーム(ガス台の割当でチームが必然的に出来る)
が食うこと食うこと。
沖縄出身の上運天(すごい名字だ)さんのキャラがトボけていて
実に面白い。

遅れたメンバーの鈴木さん、水谷リーダーも無事到着。
水谷さん曰く“出席率なんでこんなにいいの?”
と。田中さん曰く“肉のパワーですよ”。
本日のクライマックスは、いつもの倍くらいの厚みのある
ラムチョップ。

お母さんに東京中低域のCDとDVDを差し上げる
(いや、私が差し上げたわけじゃなく、ここへのプレゼントで
持ってきてくださいと田中さんにお願いしたんである)。
「田中さんと麻衣夢ちゃんのコラボライブをここでお願いしますよ」
と言ったら、お母さん大乗気で“日取りはいつがいいかしら”と
もうはしゃいで予定表持ってきて、ちょっとあわてる。
しかしコレハ面白そうだ。

予定表と言えば、食べている途中で私に電話。
何でここで私に、と思ったら、相手が快楽亭。
「6月に旭堂南湖くんとアタシとセンセイで、名古屋の“楽”
(ゆめすけさんのお店)で会をやりませんか」
とのこと。いいですねえ、と承諾。

ワイワイしゃべりながらふと気がつくともう11時近く。
集合写真、恒例で撮ってお開き。
帰りの電車の中でも雑談や仕事の話続く。
域のみんなや麻衣夢ちゃんなど、音楽関係の知り合いが多くなった
なあ、最近。
この関係をいい方に利用させてもらいたいものである。

12時、帰宅。
メールをチェック。
朝日の書評用本、三冊ゲットできた。
ゲットという言葉が定着したのは70年代末、『POPEYE』などのカタログ誌の
「速攻でゲットすべし。」
という文章が嚆矢だろうか。

*ラムチョップと、それに齧り付く麻衣夢ちゃん、そして集合写真。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa