裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

月曜日

お前の母ちゃん英米ソ。

冷戦中の子供の悪口。お前の家の母親は第五列であるという意。

朝、9時起床。珍しく寝坊。朝食を30分ずらしてもらう。その間に入浴、洗顔等急いで。9時半朝食、コーンスープ冷製、スイカ。どこだかで買ったという、肉質よく甘い極上スイカ。

日記つけ。インタビュー依頼『オトナアニメ』(洋泉社)から。『超人戦隊バラタック』のことを語れと。バラタックをいばって語る時代が来たか、とちょっと感激。昼ごろ、mikipooさんの書き込みで犬丸りんの自殺を知る。私と同い年であった。仕事の悩みを持っていたとか。そのことに関しては理解できすぎるくらいに理解できるが、しかし作風から言って、そういう死に方をしてはいかん人間の筆頭だったはず。うすいさちよはリアルキャラだったのだねえ。

週刊朝日で、『デキゴトロジー』を夏目房之介の休暇中の交代代理執筆を何人かの漫画家がやったときのメンバーの一人で、それの打ち上げで食事の席をご一緒したことがある。まだ『おじゃる丸』でブレイクする前である。このとき、他の担当者が(私ら唐沢商会も含め)いろいろ週刊朝日に載せる作品、ということで頭をひねったものを描いた(そもそも夏目さんの作品がそうだった)中で、最も何も考えていないような作品を描いて人気をさらったのが犬丸さんだった。それを指摘すると、笑って“私、難しいことを考えるの嫌いですから”と言った。それが大変にカッコよかったが、しかし、もう少し、難しいことを考えるのに慣れていれば死ぬこともなかったのに、と思う。

“幸せ”に関する著作も多かった人で、
「人生はほんのちょっとしたことに満足することで幸せに生きられる」
という、ある種“日常教”とも言える思想の教祖的な人だった。
「ちくわを見よ、妙に明るい」
などの名言(?)もある。
しかし、“創作”に拘わっている以上、どこかでそれは真剣、真摯に悩まないといけない部分もある。商品としての“幸せ”を読者に与え続けねばならない立場の人間が、ハッピーハッピーでい続けられるわけもない。そういう意味で、今回の自殺、私には理解できるし、同じ職業にあるものがみな背負っているリスクであると思う、けれども、“あなたを信じて幸せを求め続けていた読者に対する責任はどうするの?”と一言、言いたいのだけど。
なにはともあれ、ご冥福をお祈りしたい。

NHKの昼のニュースでは(NHKのアニメ原案が代表作だった人なのに)死の報、流れず。代わりに、というわけでもないだろうが小林久三氏死去の報。事件が起こるたびテレビで“当たらない推理”を繰り返すキャラとして愛されていた。後釜に座るのはさて、誰になるだろう。個人的には日本有数のカルト映画である『吸血鬼ゴケミドロ』の脚本家(高久進と共同)、として永久に脳裏に刻まれる名である。

そう言えば阿部謹也氏も亡くなっていた。
『ハーメルンの笛吹き男』を高校生くらいに読んで、一種の衝撃を受けた。中世の世界というものが、今とは全く異なる規範で成立していた、ということを教えてくれたからである。中世を語る、いや、それが古代であれ近世であれ、歴史を、また歴史上の人々を、現在の価値観や規範、イメージでとらえては決して本質は見えてこない、とつくづく思い(要するに進歩史観の連中と同じに見てはダメということである)、また、そこからさらに考え方を進めて、
「人間は画一の価値観、画一のものの見方で動いてはいない。その規範の多様性を知り、その考え方の違いを理解しないと、世界は決して理解できない」
と信ずるに至った出発点がこの本である。

今にいたる私の基本思想は、この本、阿部謹也という人が教え込んでくれたものだった。あたかも911テロの5周年にあたる今日、通り一遍の平和論でこのテロ事件を収拾しようとする人々の意見をネットで散見する現状を見ると、もう一度、われわれは阿部謹也の語るところに耳を傾けないといけないのではないか、と思う。

2時、青山のエースデュース社で東京新聞インタビューを受ける。『猫三味線』について。記者のKさん、昔から『猫三味線』のファンで、記事にしたいと思いつつ地方に転勤してしまい、本社に復帰して、さて猫三味線はどうなっているか、と調べたらDVDが出たというので大喜びで取材を申し込みしたとのこと。ここまでインタビュアーが入れ込んでくれていれば気軽に話せる。掲載は再来週くらいの予定とか。
「私と机を並べている女性が唐沢さんのファンで、ぜひと頼まれて」
と、DVDにサインを求めらる。

終ったあと、エースデュースK社長と打ち合わせ。『猫三味線』関係の新事業展開について。それと、以前より懸案していた件についてちょっと。無事、エースデュース社での進行を明言してくれて、ホッとする。来年夏に販売である。しかし、これともうひとつの別企画、一緒に動き出すとなると、火を吹きそうな予感。すでにいくつかの企画、同時進行で火を吹いているというのに。

事務所に戻ってオノとそのスケジュールの件、詰める。間抜けなことに自分で企画を持ち込んでおきながらアッと気がついたが、“夏に商品化”ということは夏に作ればいい、のではなく、遅くとも春の終りには完パケで会社に渡さねばならないのであった。
なかなか凄いことになりそうだ。

原稿書き、DVDデラックス。書庫をざっとあさるが、さすがに伊達に四半世紀以上古書店通いを続けていないというか、自分でもへえ、と思うようなネタ本がぞろぞろ。6時半までかかって5枚。ちょっと遅めなのは気圧のせいか。タントンに出かけ、揉み込んでもらう。
かなり痛い。

終って帰宅、半身浴30分。それから夕食、到来の毛ガニの残りを片づける。うまし。DVDで『電送人間』。好きな映画であるが、どうして東宝はこう、怪奇映画の中で人間をうまく使うのが下手なのだろう。主人公の鶴田浩二(どう見ても科学部の記者に見えない)もヒロインの白川由美も、全然ピンチに陥らない。せいぜいが山小屋に閉じこめられるだけ。電送人間に命をねらわれ恐怖するのは河津清三郎や堺左千夫ら悪人だけであって、これでは観ている報も主役に感情移入など出来はしない。“恐怖”という概念は人間の感情の中でも最も原始的なものであって、情動に訴えかけるものであり、それはある程度
野卑なものにならざるを得ない。そこまで描くのには、東宝という会社はややぼんぼん過ぎたのだろう(山本廸夫が出てくるまでは)。何とか怪奇映画の基本をこの映画が押さえられたのはひとえに中丸忠雄の顔と演技があったからだったと思う。

鶴田浩二のセリフで
「あいつは密輸に関わりがある。モノはなんだ。麻薬か、南京虫か」
というのがあって笑う。今はもう通じまい。私の子供時代にはまだ生きていた言葉で、女性用の金無垢の小型時計を言う。

夜中の2時ころ、ノドが渇いて目が覚める。日本酒の飲みすぎである。台所に行ってオレンジーナをぐっと飲み干すその快感。このために生きている、というような気になる心地よさである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa