23日
日曜日
酒と泪とアラファト女
あのアラファト議長が女に貢いでいたなんて泣ける。イスラム教徒でなければ酒でも飲みたいところだ(PLO談)。朝6時半起床、入浴、ミクシィ、8時朝食。母が昨日観た秀次郎の踊りの発表会での発表者の一人の踊りの話をして、その“奴さん” の手の振りをひょい、と再現し、
「普通は、こう」
と踊りわけて話す。芸能人を一人出しているとはいえ、器用な家系だ。
気圧乱れが凄い。空を眺めても目に見えるわけではないがテンションの下がり具合でわかる。11時まで出勤する気にもならない。11時半、やっと家出。地下鉄でカバンの中にしまいっぱなしだった週刊新潮1/27日号読んだら、佐川明氏の追悼記 事が載っていた。1月4日死去、90歳。
佐川明と言ったって知ってる人は少ないと思うが、“あの”パリ人肉食殺人事件、佐川くんこと佐川一政氏の実父である。驚いたというのは他でもない、02年の8月に雑誌『創』で佐川一政氏本人による、
「父が逝った」
という記事を読んでいたからである。
「ああ、あんなことをした息子をあれだけかばっていたお父さんがとうとう亡くなったか。この人の一生は何だったんだろうなあ」
と、深い感慨にひたったものだったのに。
氏は息子の起こした事件の責任をとって自分が再建させた栗田工業(伊藤忠からの出向)の社長を辞任、以後の人生は全力を挙げて息子を救うことに費やした。つい最近追い出されるまで一政氏が住んでいたマンションの家賃も、すべて明氏が支払っていた。そこまで愛された一政氏は、後の著書の中で自分の起こした事件を親の過保護 のせいにしているが。
佐川氏とのつきあいは、確か映画監督の松村克弥氏の紹介から、だったと思う。彼のマンション近くの公園で毎年五月に行われていたガーデン・パーティに出席した私の写真が『マーダー・ケースブック』に掲載されたりした(この写真には大塚英志氏も映っていると他の出席者に聞いたが、私ほど目立つ格好でないのでわからない)。こればかりでなく、佐川氏はよく、知人を集めて会を催していた。何かのときにやはりそういう集まりで新宿ワシントンホテル内の居酒屋に行こうと、ホテルに入ったところ、ロビーの案内板に“佐川明氏をはげます会/主催・栗田工業有志”と書かれていて、一政氏が
「あ、親父だ!」
と驚き、このホテルはダメです、急いで出ましょうと言い、
「退職したくせにこんなホテルで会をやるなんて」
とぶつくさ文句を言っていた。それを聞いて
「いや、あんたこそあんな事件起こしたくせにこのホテルで飲み会をやろうとしてたじゃないか」
と思わず心の中でツッコんでしまったが。
しかし、その時、すでに明氏は80代に近い年齢だった。
「この親が死んだら、一政さんはどうするんだろ」
と、秘かに思ったものだった。02年、『創』のその記事を読んだときも
「来るべきものが来たか。お父さんにとっては解放だろうが息子はこの先、茨の道だろうなあ」
と思ったものだ。あにはからんや、その記事が大ウソだったとは。
新潮の追悼記事には、その『創』の記事は
「小説として書いたもの」
だという一政氏のコメントが載っているが、たぶん、三度目の脳溢血で倒れて、充分な援助がもう出来なくなった明氏は、一政氏にとっては死んだも同然の身だったの だろう。
一政氏と仲違いしたのも、すでに五年以上前のことである。彼が売り込んで欲しいと持ち込んだ小説原稿に、ちょっと辛口の批評をしたら怒り出して、それを島田荘司 氏のもとに持ち込んだら激賞されたらしく、
「やはり売れっ子作家は違う。それに比べ三流オタクライターの唐沢俊一という人物は……」
と、当時一政氏が連載コラムを持っていたスポーツ新聞紙に、実名入りで罵倒が書き連ねられた。……その後、島田氏ともすぐに仲違いし、しかもその顛末を書いた原稿を『創』と『噂の真相』に二重売りして大騒ぎになるというおまけつきだったが。
その後一回だけ、“大変に申し訳ないことをしたと慚愧の念にかられています。お許しいただけないでしょうか”という年賀状だったか暑中見舞いだったが来て、返事 を出しそびれていたら今度はある人を通して、
「佐川さんが唐沢さんと仲直りしたいと言ってるんだけど」
と伝言があった。このときも忙しかったためつい、返事をしそびれて、そのままになってしまっている。
週刊新潮がコメントをとれたくらいなんだから、まだ一政氏も元気で、連絡がとれるところにいるんだろう。彼の性格から言えば、それだけでも幸運と言えるのではないか。今でも、佐川氏が本当の悪人だとは思っていない。むしろ(裏切られたと向こうで思ったときの逆ギレに目をつぶれば)善人のうち、ではないかと思っている。
ただ、坊ちゃん育ちであまりにも世間を知らず、マスコミが事件当初、自分をちや ほやしてくれたため、
「自分に向けられた好意というものは無限であるべきで、それをこちらは要求する権利がある」
と思ってしまったのだ。所詮は自分の起こした事件の方に商品価値があるだけのことだったのに、彼はそれに気がつかず、その後文化人として自分に新たな価値を付与する知的努力を一切してこなかった。人の好意を得るためには、殊に自分に好意を向こうから寄せてくれる人とのつながりを保つためには、不断の努力が必要(人に好意を寄せるというのはある種身勝手な行為であるが故に、ちょっとした機嫌ですぐに切れてしまう)だという世間の常識を、彼はついに持とうとしなかった。
その元をたどれば、父親である明氏が、息子からどんな仕打ちを受けようと、無限の愛情を注いでくれていたからであろう。この愛情こそが息子の道を誤らせた。やはり、愛はただ与えるだけではダメなのだ。時には苦労を与えることこそ本当の愛なの である。
とはいえ、愛の至高の形は、無償で、ただ与えるだけの愛だとも言う。確かに、自分がそれで破滅するまでにただひたすら与えるだけの愛とは、何と興奮し、また自己満足にもひたれる行為だろう! 明氏の一生は、ひょっとして息子への愛の殉教者として、われわれが考えるよりずっと充実していたのではないか、とふと思った。
仕事場についたらFAX、読んだら某テレビ局からの特番出演依頼。いま、ちょっとあるオトナの事情があるので受けることにして、担当者に電話しておく。もう昼なのでオニギリと納豆、しじみ汁でご飯。原稿書きだそうとするが、何やかやと雑用。
芦辺拓氏から相談事のメール。これは簡単なものだったのですぐお返事。ついでにミクシィにも誘っておく。はれつさん、ユウジさんからメール。いろいろこちらのイグゾーストにつきあってくれて有り難し。気圧乱れの上に寒い、と思って外を見たら雪。積もるレベルではないがしかし驚く。今日のネイキッド・ロフトのライブの客足 に影響が出なければいいが。
原稿書けず、日記ばかり書く。日記で金がとれればいいのに。5時15分、出て新宿職安通りまでタクシー。降りてネイキッド探すがちょっと迷い、もう一度、と思ったところでやはりタクシー降りた開田夫妻と出会う。三人でそこらを歩くがまた一瞬迷う。やっとわかったが、まだ店を開けてなかったのでわからなかったのだった。す でにかなりの人たちが雪の中、並んでくれていた。
三階のロフトプラスワン事務所に初めて入る。ちょっとした編集部なみの設備と広さである。やがてプイ帽子(去年のザ・ベストテンでかぶっていたキャップ。白い部分にマジックで“ぷい!”と書かれている)で現れた関口さんと、一回、今日の節談説経の読み合わせ。今日はネイキッドデビューということで、特にテーマを定めず、語りながらこの店で何が出来るかを探っていくという、いわばチューニング。三部に分けて、最初は鶴岡法斎と裏モノトーク、続いて開田夫妻と怪獣&オタクトーク、最 後は関口さんと“語り”を聞かせるというダンドリ。
ところが鶴岡が迷ったか何かで、開場時間になってもいっかなこない。仕方なく、最初は一人で始めようと一階に下りる。完全にバー仕様の店の作り、壇は一応あるがプラスワンよりずっと低く、客との距離がやたら近い。席数は40席といったところで客全員の顔が見える。壇の右手はガラス張りになっていて、路上から中でやってい ることが見える。なかなか小作りだがいい感じ。
関口さんと合わせている最中の報告で、すでに40席のところに50人以上のお客さんが来ており、やむなくSOLD OUTにして、以降の来場者の人にはお帰りいただいているという。申し訳ないが、しかしありがたし。デビューライブで満員御礼 とは幸先がよろしい。 7時チョイ過ぎトーク開始、
「鶴岡がまだ来ておりません。立川流は師匠が来ないのを弟子が待ちますが、ウチは 弟子が来ないのを師匠が待ちます」
とやって笑いをとるが、ひょっと窓外を見たら、来たはいいが、札止めでドアが閉まっているところで呆然としている鶴岡がいた。急いで入れて、そのまま息切っているところを席につかせてトークになだれこむ。テンション上がっているので向こうもどんどん突っ込む、こっちも久しぶりに二人トークなので負けずにやり返す。客ころがしがうまい男なので楽である。場所がなにしろ場所だけにヤバネタも彼以上にポンポンと出て、
「あれ、最近ゴールデンタイムに顔出しして丸くなったと思っていたら、案外薄氷踏みますね!」
と言われる。テンション上がったのはいいが、最初のこの調子で最後まで突っ走ったので、やたらテンポ早くなり、ついてこられない人とか(テレビで見たからだろう か、カップル客の姿などもちらりほらり)いたのではないか。
鶴岡編つつがなく(?)終わり、続いて開田夫婦編。『デビルマン』ばなし『ゴジラファイナルウォーズ』ばなし。怪獣映画はもはや老人文化になったから、在宅介護士は怪獣映画の知識をたくわえて、オタク老人と怪獣ばなしをしてあげる、などというサービスはどうか、とか。
「“え、おじいちゃん、なに? あ、このあとこの浜美枝が裏切るのね。よく知ってるわねえ”とか」
「最期の言葉が“よし!”だとか」
そこで休息、サインなど数件、いつぞや日記に書いた“向精神薬やたらやっている 女性”もサインくださいと来るので
「クスリ娘様」
と。知り合いも務めている某大手企業から、若手向け講演をしてくれませんか、と いう依頼もあり、名刺交換。
休息後、いよいよ関口さんと。まず関口さんの
「情けなかったのは、ここへ来るまで道に迷いまして、唐沢さんからハローワークの向かいと聞いていたので、ラーメンの屋台のおじさんに訊こうと思って、“すいません、ハローワークどちらですか?”と訊いたら、“今日はもう閉まってると思うよ”と言われて」
という話でお客さんたち大爆笑。まず関口さんの語り『マッチ売りの少女』。それから私の『恋緋鹿子八百屋お七』。関口さんの語り歌いのよさにしびれる。私のはやはりロフト系のお客には難しすぎた。語っている間、店の奥に口ひげのカッコいい親父がじっと聞いてくれているな、と思ったら、終演後挨拶して来る。店長の平野さんだった。立ち上がって表情崩すと普通の小柄なスケベ親父なのだが、顔だけじっ とすましているとハンサムなのである。
ちょっとコンパクトにまとめて10時終演。うわの空公演を昼の部に変更して来てくれたTaka@モナぽさんやIPPANさん、笹公人などに挨拶。FKJさんは結局入れずに帰ったらしい。悪いことをした。次回、こっちはプラスワンの方でエロ朗読の会を一緒にやる二村仁さんにも挨拶。彼も最近はAV監督の方で超売れっ子。そろそろ、普通の活動も再開したいな、と思っていたところにこの話が来て大変に嬉し い、と喜んでくれる。
売り上げも上々で店も喜んでくれた。普通三組も出演者がいるとワリも微々たるものになるが、ここは方式がちょっと違うので、まずまずといった額を渡せるのがうれしい。出演者一同と二村さんとで、すぐ近くの韓国家庭料理店へ。サムゲタン、豚三段腹、カルビ煮込み、豚足など。二村、開田あや、鶴岡というメンツの濃いAVばなしを関口さんと開田さん、私でツッコミ入れながら聞き、ビール、真露、マッコリなど飲む。他の客はみな韓国の人。ラストオーダーを取りに来なかったので少し文句言うが、なんやかやで楽しく12時まで盛り上がる。ネイキッド、かなり店としては気に入った。これからいろいろ使ってみたいものである。