13日
木曜日
メイドの飛脚
「メイドさんが郵便配達している姿、萌えー」(近松門左衛門・談)。朝7時15分起床、入浴、7時55分朝食。クロワッサンとミルクコーヒー(昨日はミルクティーだった)、ミカン。10時までミクシィつけて(これは仕事逃避ではなく、原稿のためのメモつけである)出勤、コンビニのTちゃん(こないだの年賀状で名前知った) とちょっと言葉交わしてから。
取材申し込みのあった某編集部から電話。今週は編集部員全員海外取材で出払っているので、来週に回して貰えないか、と。全員海外取材というのは豪華なのか、それ とも人員が不足しているということか。
昼は変わらず、おにぎりと黒豆納豆、豆腐汁。それにツケモノ。1時から第一弾打ち合わせの予定だが、10分前にもう
「いま、着きました」
と携帯に電話。あわてて出る。東武ホテルロビーでひろって、
「ランチどきでここは騒がしいので、打ち合わせ用の喫茶店へ」
と言って時間割へ。無事、打ち合わせ済ます。帰りがけ、マスターに
「今日はあと、二度来るから」
と言ったら笑っていた。打ち合わせたIさん、ここのアイスコーヒーの氷(溶けても薄まらないよう、コーヒーを凍らせている)を見て感心していた。
帰宅して、図版資料の件でフィギュア王にメール。先日の某社某氏の件でいろいろと連絡事項。3時、第二弾打ち合わせ。これも東武ホテルでひろい、時間割に誘導。講談社Nさん。私の仕事をこの日記で見ているらしく、
「しかし、間口がお広いですねえ」
と感心(だか、呆れだか)される。打ち合わせは問題なし。帰りがけにマスターに
「あともう一回」
と。Nさん、アイスコーヒーの氷を見て
「これ、なんですか!」
と驚いていた。なにかデジャブのような。
帰宅して原稿にかかる。メール、講談社Iくん。送った原稿ベタ褒め。いつもならちとテレるところだが、今回は前に書いたようにこちらのプロとしてのテクニック全投入、といった原稿であったので、そこを認めて褒めてくれたのは正直に技術への称賛と受け取ることにする。ただ一カ所、〆切までギリギリで書いたもののため、ギャグを練り込みきれていない箇所があり、そこが自戒。やはりも少し余裕は持つべきな のだが、そうするとテンションが上がらない。難しいところだ。『鈴木タイムラー』 カンさんから電話。
6時三たび出て、仕掛け人形みたいに同じルートで東武ホテルロビー〜時間割。小学館Yさん。
「しかし、間口がお広いですねえ」
と、どこかで聞いたような言葉をかけられ、ちとデジャブ。打ち合わせ終わった後マスターに
「今日はここまで」
と告げる。ちょっと連絡事務を済ますというYさんを後に残してきたので、彼がここの氷に関心を示したかどうかはしらない。
とにかく、打ち合わせ仕事は多い男だが、ここまで詰まったのも久しぶり。会った編集者が全員初対面というのも初めて。最初のIさんとはちょっとスレ違う。向こうは私の姿格好を知らなかったらしい。私に仕事依頼してくる人としては珍しい方に属する。前の会社を定年退職して編プロを二年前に立ち上げたという年齢の人だから致し方ない。で、今作っているのがガス組合の会員への広報誌。こういう業界誌専門の人かと思って前の会社名を聞いたらなんとマガジンハウス。全然私の知っているマガジンハウスの編集のイメージと違うんで驚く。実はマガジンハウスという会社、よその会社の社内報編集などという地味な仕事もコツコツやっているのだ。たぶん、そっ ち方面の人だったんだろう。雑談も、
「孫が『トリビアの泉』喜んで見ていましてねえ」
というような、そんなほのぼの会話。別段とりたててオイシイという仕事ではないが、母から“カオルを何かで使ってあげて”と頼まれていたので、ちょうど、こういう仕事のイラストレーターで使えば、お堅いところなのでプロフィール的にいいだろ うと思い、それとはなしに
「……こういう子がいるんですけどねエ」
てな感じでフッてみる。むしろ原稿料安いイラストレーター紹介してくれた、と喜んでくれた。
次の講談社Nさんは、こっちがロビーに入った瞬間にどうもどうも、と挨拶してきてくれた。半白の髪の親父です、とメールで待ち合わせ用の風貌の自己紹介をしていたが、親父とはいえ年齢的に言えばたぶん、私より向こうが二つ三つ下ではないか。何かイヤンナッチャウね。雑談、講談社が私にトリビアの泉本の印税を一円も払っていないと聞いて、担当氏驚いていた。でも、もっと悲惨な話も聞いて、某学術系雑誌の連載をまとめた本が以前某社から出たとき、雑誌の連載時のアンカーをやったライターが、自分に一円の支払いもないと裁判を起こしたという話をしてくれた。そもそも、印税支払いをしたところで学術書だから大した額にもならないのだが、そのライターさん、プライドをかけて裁判をおこし、最高裁までねばって、とうとう敗訴したそうだ。もちろん、訴えらた出版社からはもうお仕事は入らない。馬鹿なことをしたとは思うが、その出版社だって、最初に幾ばくかでも支払っておけば、こんなどっちにもソンの行く裁判なんか起こされなかったのにと思う。青色発光ダイオードばかりではないのだ、そういうケース。
三度目の小学館Y氏。今度もさすがに私の顔は一発で認識したようだ。今日打ち合わせた人の中で一番編集者ぽい風体顔つきの人だった。講談社と小学館というライバル社と同じ日に打ち合わせというのも凄まじい。文庫解説のお仕事。水木しげる先生の『憑物百怪』。前の日記にも書いたが、解説くらい別に打ち合わせしなくても資料など送ってくれればそれで書けるのだが、なにしろ小学館文庫とは初めてのおつきあ い。 こちらもそうだったが向こうも、
「どんなやつか。うまく行けば今後仕事して貰いたいが」
という値踏みに足を運んで来たらしい。ざっとした解説の腹案述べて、もうお一人(上下巻あるうちの私は上を担当)の解説者である小松和彦先生とカブらないように 気を使う。
「ところで小学館文庫と言えばFさんはまだおられますか」
「あ、Fは外れて、いまは版権管理部に移っております」
「あ、なるほど、なるほど、版権管理部、そうですか」
「Fとは以前お仕事を?」
「イエ、お仕事以前というか……学生時代、Fさんがいた少年サンデーに原作を持ち込んだことがありまして」
「あ、その頃の話で……じゃ、先生のデビューは弊社だったわけで」
「イエどういたしまして、Fさんにさんざしごかれた末にボツくらって、引き下がりました」
「……」
「その後、モノカキになってパーティでお会いしたときに、“センセイ、今度小学館文庫で何か書いてくださいよ”とか言われましたが」
「アハハハ」
「……まあ、お元気なこと確認して嬉しいです。よろしくとお伝えください。今後ともどうかご別懇に」
「こちらこそよろしく」
実を言うと名物編集者だったF氏には持ち込み時代、兄弟揃ってさんざいじめられた経験がある。なをきと二人、阿佐ヶ谷の飲み屋で何度、グチ酒を飲んだか。いま、彼が現場をはずれて版権管理の部署に回されているのは気の毒ではあるが、どこかで“ザマミロ”的感覚があるのは否めない。不遇時代の恨みというのは、後を引くものだからねえ。
さすがに三件、いずれも短時間の打ち合わせだったとはいえバテる。うわの空のツチダマさんとメールやりとり。原稿も書きかけたがすでにエネルギー使い切った感じで、半ばで切り上げ、帰宅。家でメシ。母とK子と。鶏の醤油漬け唐揚げ(札幌風に言うザンギ)、ミョウガとセロリのサラダ、山掛けマグロ、それに牛薄焼き。明日は談之助たちが家で食事会らしいが私はくすぐリングスで不在。明日のメイン料理である牛すじ煮込みを少し貰い、飯にかけて牛すじ丼(カメチャブ)にして食べる。口の周りがそれだけですべすべになる濃厚さ、うまさ。