裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

金曜日

スカイラーク対負け犬

 ロートルSFファンにしか(もはや)わからぬシャレですいません。朝7時15分起床、入浴、ミク書き込んで8時朝食。クロワッサン一個とミルクコーヒー、ミカン小一ヶ。スーパーモーニングで、“フィギュア萌え族”発言の大谷昭宏が、自衛隊のスマトラ沖地震支援の人数が足りない、
「なぜ数百万出さないのか」
 と小学生みたいな無茶を言っていた。そもそもあの地震は……と説明するのも荷である。この男はもう、理も非もなく、ただ目の前の報道に対し文句コメントを垂れ流すことしか出来ない。こういうボケ男にテレビ出演をさせ、講演させるのが世間というものだ。マジに相手をするのは徒労でしかないとオタク諸君も知るべし。

 風呂場で体重を計る。正月太りだった数値も無事、平常に戻る。体重で思い出したが、昨日観た歌舞伎座に三代目中村歌昇が出ていた。『石切梶原』では赤面の悪役・俣野五郎。金太郎そのままみたいな丸顔で、背丈もあまり高くないのでキューピー人形みたいなイメージだった。凄んでも毒づいても滑稽味が出ているところがよかった が、やはり役者としての華には欠ける。

 しかしこの人、私と同世代(向こうの方が二つ上)で、私の子供時代は天才子役・中村光輝としてテレビに映画にひっぱりだこであった。大河ドラマ『天と地と』では謙信の少年時代を涼やかに演じていたし、小学校の映像授業で見た映画『ママいつまでも生きてね』では骨肉腫に冒され左手を失い、がんばりながらも、やがて病魔との戦いの中で死ぬ主人公を演じて涙をさそった。てっきりこのまま成長のあかつきは映画界に残ってスターとなるか、または歌舞伎に戻って一枚看板となるか、と前途洋々 たる未来を誰もが信じていた。

 ところが、少年時代を過ぎて青年になったころから、この元・光輝少年、どんどんと体重を増加させていった。デブになっていったのである。青年期後期の姿は『赤穂城断絶』などでチラと見たばかりだが、見る影もないまん丸な体型と、ふくれた容姿になっており、あの影虎少年の面影はどこに、といった感じであった。

 山本夏彦が
『役者のくせに勝手に太る』
 というタイトルのエッセイ(彼のことではないが)を書いて、
「俵はごーろごろ、である」
 と、歌舞伎役者たちの身体管理のなってなさに怒っていたが、まさにそれを地でい く変貌ぶりであった。

 同じ梨園出身の天才子役に中村勘九郎がいるが、彼も一時、青年期への移行時に人気の低迷があったが、持ち直して今や勘三郎襲名を控え平成の大看板にならんとしているのは、他にもそりゃいろいろ要因はあるにせよ、ひとえに、体重管理という役者の大事を怠っていなかったかどうかということにかかっているように思う。

 歌昇ばかりではない。今回見たベテラン俳優陣も、も少しシワ取りとか頬のたるみの除去だとかに務めれば、まだ十年は若く見られるだろうにという人が多かった。福助も、去年の舞台写真とは見違えるくらい頬がふくれた(まあ、だから悪女のお兼役がピッタリきたのかもしれないが)。幸四郎、吉右衛門はやはりそういう意味ではさ すがである。人前で堂々と裸になれる体型をあの歳で保っている。

 最近は美容エステだエクササイズだと、身体の美を保つ技術は長足の進歩を遂げている。モデルやタレントは収入の大半をそれに費やして、財産であるところの自分の美の保全に務めている。なんで多くの歌舞伎役者たちはそういう努力をしないのか。役者から美しくなる努力をとったら、もうそれは役者としての値打ちがなくなってしまうのではないか。名演技なんて、所詮、見巧者とか通にしかわからないものだ。そんなものに頼っていたんじゃ歌舞伎はほろぶ。役者は美しくあること。これが一番世 間にアピールする、最大のウリであるはずなのに。

 9時半、通勤。コンビニで週刊誌類買い込む。例のお姉ちゃん、また質問で“お正月に『トロイ』って見たんですよ。プラピが“戦士の名は残らない”って言ってましたけど、あのブラピがやった人の名前って残ってないんですか?”と。一般の若い女性の知識の領域がわかって非常にためになった。
「残らないどころかアキレスの名はキミの体にも残っているよ、アキレス腱として」
 と教えて、われながらカッコよく決めたな、とか思っていたら、彼女、アキレス腱を知らなかったようだ。ふひゃあ、一般なのかな、このレベルは?

 仕事場で電話数本。去年打ち合わせた仕事が本格的に動き出したものあり、白紙にもどってしまったものあり、いろいろ。関口さんと土曜に荻窪のライブハウスビンスパークなる場所で急ごしらえのコラボで朗読と伴奏で出る。節談説経を自己流にアレンジして読むつもりなので、その原稿を録音しようと思ったが、家のMDレコーダーの調子がよくない。出てさくらやまで行き、ちょうど取材用のテープレコーダーが欲 しかったので一台買ってくる。

 昼はオニギリとクロマメ納豆。食べてから秩父説経節『恋緋鹿子八百屋お七』吹き込み。ところどころのユーモラスさは自分で読んでいて気持ちいい。それから講談社の新雑誌原稿5枚、まだ改訂が必要だが一応会議向けのものとして一本アゲて担当Iくんにメール。タクシーで新宿東口別館滝沢に向かう。途中で携帯におぐりゆかから電話。道が混んで、行くとすでにおぐり、鶴岡、柳瀬、野田、OTCの人、それから今回の総合進行の大塚ギチがいた。ギチ中心にいろいろ説明を聞く。少し滝沢で話して、それから近くのカラオケボックス(このあいだまでビックカメラだったところ)に場を移して、進行台本読み合わせ。鶴岡は例により方向性定まらないテンションの高さ。本人が気がついているのかいないのかわからないが、これは悪印象与える。ギチが案外しっかりと締めていたので救われたが、緊張度高い人と低い人の落差が激しくてちょっと形つかめず。おぐりが不安がっているのではないかと心配になる。

 と、いうか、これまでの三回が、あきれかえるほどのダンドリの無さ(悪さ、ではない)の中で、出演者一同“なんで?”というくらい最終的にすごいまとまりを見せてしまったわけで、その奇跡が“今度は起こるかどうかわからん”という懐疑派と、“三回起こったんだから四回目も起こるだろう”という楽観派にスタッフが完全に別れている。私はまあ、当日のメンツから言って楽観の方に傾いているけれど、最初か ら神風を期待してはいかんだろうと思う。

 そのあと、おぐりと少し話したあと、地下鉄駅まで送る。滝沢に引き返して関口誠人さんと、打ち合わせ。こちらが朗読したものを録音したテープを渡し、当日の伴奏(即興)の参考にしてもらう。私なりのアレンジ読みだが、インパクトだけはかなり ある、と思う。

 たまたま居合わせたプロダクション“CUBE”の人に挨拶。以前、関口さんのマネージメントをやっていて、現在は劇団新☆感線のマネージメントをしている人だとか。新☆感線はいつも観せていただいておりますと言ったら向こうも驚いていた。世間は狭い。いや、世間というより、『談話室滝沢』は狭い、か。関口さんとは、今年は大いに一緒にやらせてもらう予定なので、その件でもかなりツッコンだところを話 し合う。

 帰宅してと学会の面々、みなみさんなどと食事、ほとんどソルボンヌK子サロンの様相を呈す。植木不等式氏がやたらご機嫌だったのが印象的。最後のおせちに王子サーモン、白菜と豚肉薄切りのニンニク入りポトフ、豚肉塩漬けソテー、大根と餅入り巾着のおでん風煮。その後、“まだ食べたい人に”と、選択メニューが出る。レバ・パテまぶしのポテトと、オムレツを注文。みんなでスプーンを伸ばし、巨大なオムレツがあっというまに原型をとどめない姿となる。
「これが本当の支離オムレツだ」
 などとかます。最後はシャケご飯。デザートはパスする。11時過ぎ解散。部屋に 帰ってメール見たら、さっそくテープを聴いた関口さんから
「いやーびっくりしました!」
 と絶賛の感想来ていて、うひひひ、と喜ぶ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa