3日
月曜日
鹿も八橋、馬も八橋
みんな大好き京都の名物。ゆうべ体重を測ったらゲッ、正月2日で2キロも増えている。でも、朝はスジコでご飯をちょっと食べてしまった。朝4時くらいに目を覚まし風呂を沸かして使ったのだが、7時ころ、また入る。登別カルルス温泉の元を入れてじっくりと汗を流しているうちに、去年後半くらいからずっと悩み続けていたある事項につき豁然大悟。ふっきれた気分になる。嘘のよう。これはあれだ、去年後半から始めたダイエットで神経がカリカリしていたのが、正月に腹に脂肪がつき、体型に似合ったゆったりした気分になった利益なのではないか。半ばマジで思う。
10時、家を出て地下鉄で新宿、そこから渋谷。結局三が日とも仕事場に出た。仕事用の資料をごそごそと。睦月影郎さんの官能作家パティオ、三月あたりをもって閉鎖とのお知らせ。あわせたわけでもないだろうが前後してF※もなくなる。官能作家パティオはその前、HP(ホームページではなく、ニフティのパソコン通信のホームパーティ)時代からだから、思えばほぼ10年の間、ここに参加していた。と学会と並ぶ私のネット歴最初期からのコミュニティだった。思い出は山ほどあるが、無くなると聞いての感慨はそう重くない。同人誌や商業誌をここのメンバーで出し、オフもよくやって、まず、使命みたいなものは果たしたという感覚があり、かつ、主要メンバーの多くが現在ミクシィに参加しているからでもあるだろう。連絡用にはMLを残せばいいし。これがもう数年前ならずいぶん惜しいと思ったろうが、最近はインターネットで、かつてのパソ通の利点である“適度の閉鎖性”を兼ね備えたものがいくつもあるのである。変な言い方に聞こえるかも知れないが実感として、グローバルしか能のなかったネットも進化したものだと思う。
メールボックスをチェック。すると『カオルです』というタイトルのメール。開けてみると
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先日はお邪魔しました。帰りの電車で熟睡です。どうも我々はお酒が弱いらしい…。このソネットのinoppi(いのっぴ)というアドレスは仕事で使うにちょっと恥ずかしいので、近いうち変えたいと思います。今年はお仕事が一緒にできるのを楽しみにしております。よろしくどうぞ。下のやつがHPアドレスです。 HPもほのぼのと一般うけする感じに作られております。ミニカオルちゃんのコーナーがわりと人気あります。時間のあるときにでもみてみてください。
カオル
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というメールが。
「ケッ、またこういうエロサイトひっかけメールが」
と思って消去しようとクリックしかけた指が“えっ?”と止まった。あ、これ2日に来たハトコだわ。確かにかなりお酒飲んで帰って、彼女はイラストレーターなのでお仕事お願いして、自分のHPも持っているというんで今度覗くからアドレスを教え て、と言っていたんだった。 危ないところだった。
しかし、若い女の子のメールって、本当にひっかけメールと文体も内容も大差ないのだなあ。いや、向こうがそっくりに作ってあるんだろうけど、そりゃ。“ミニカオ ルちゃんのコーナー”なんて、危なそうじゃないですか。
昼はオニギリ(昆布)と黒豆納豆、根深汁(カップ)。今年の編集者からの初電話は講談社FRIDAYのTくん。でも、原稿は『Memo 男の部屋』から。テーマは“お茶漬け”。それを5時40分くらいにアゲ、そのまま次にFRIDAYに突入し、これも6時半にはアゲ。FRIDAYのはちょっと和歌のネタなど入れて、“高級すぎる”とダメが入る(以前ギリシア神話ネタをやったら“ウチの読者には難しす ぎる”と言われた)かも。いくつか雑用すまし、7時半タクシーで帰宅。
乗り込む寸前に連絡ずっと取れなかったO氏から電話。体調ずっと思わしくないらしいが、とりあえず元気(変な言い方だが)。松あけに打ち合わせ。お正月最後の食事会、パイデザ夫妻とはれつの人形さん。はれつさん持参のワイン、パイデザ夫妻持参のシャンパンで乾杯。メニューはだいたい昨日と同じ。お正月は私はただカズノコとクロマメで飲めれば満足。でも、聖護院大根とホタテの煮物、白菜とジャガイモと豚肉の煮物、鴨雑煮と、少し食べ過ぎ。『世界一受けたい授業』から一月の撮影日確定の知らせが来たというのに。それまでに2キロ絞らなくては。Tくんからメール、コラム“問題なくOK”とのこと。おお、FRIDAY読者のレベルが上がったか?
抱負というのでもないけど思いつくままに。40台に突入したときに
「このまま“いいおじさん”になってしまう恐怖」
にかられて、出来るだけ意地悪で理不尽な人格になろうと努力して、それはまあ、達成できた(と自認するのもなんだが)。変な話だが、評論という分野である程度成功できているのはそのおかげだと思う。評論家というのは嫌われるのが商売なのだ。
最近気を許していると、また“いいおじさん”になっている自分に気がつく。嫌われることへの免疫力がヨワってきている。ひとつ奮起して、また気難し屋のガンコ爺にならなくては。憎まれっ子世にはばかる、というのはいつの世も真実。いい人というのはすぐにどっかにいなくなってしまうのである。だからいつまでも思い出の中でいい人なのだが。平山亨プロデューサー(この人は数少ない、“いい人”で名を残した人だが、やはり定年退職後はその“いい人”が仇になり、業績に見合った扱いをさ れているとはお世辞にも言えない)が、消えた俳優さんたちのことを語って、
「消えていった人たちのことを思い出すと、みんな“いい人”なんだよな」
と言っていたのを聞いたのが、ちょうど30台半ばだった。いい人にはならないといけない。それはアタリマエ。ただし、“ ”でくくられた“いい人”になったらダ メ。難しいものなのである。