27日
水曜日
後藤さん小川さんを大切にしよう
ターザン後藤と小川直也はプロレス界において貴重な人材であるということ。朝7時半起床。首の調子、5時ころ一度目を覚ましたときは最悪であったが、7時には回復。風邪の治りかけ時期によくある状態なのだが、頭がボーッとして、やや高揚状態である。夢でもテンション高く、すきやき鍋に母が卵を割り入れるので、そんな卵とじみたいなことをしちゃいけないじゃないか、と親子ゲンカをしていた。朝食、K子にコンビーフキャベジのコンビーフ抜きというのを作る。
アスペクトからメール来ていた村崎さんとの対談に手を入れて返送。海拓舎H社長と電話で打ち合わせ。この社長、このあいだビートたけしの家に招かれて(ホーキング青山の本を出版した関係)、したたかに飲まされ、せっかくたけしと直で飲むという経験しながら、まったく記憶がないとのこと。で、私の本であるがスケジュールが悲鳴をあげるようなことになりそう。事情があって致し方ない。
昨日、母から突然電話があった。当たると評判の霊感師のところに、からさわ薬局の今後などを見てもらいに行ったそうである。それはいいが、その時ついでに私の名も見せて“どうでしょう”と訊いたら、私のことはさておいて、“この人の奥さん、なんでもズバズバ言う人だねえ!”と、感にたえたようにつぶやいたそうである。大笑いしながら電話をしてきた。仮にもと学会運営委員の母親が霊感師などのところに通うなどけしからん、と思うが、しかしその大アタリにはやはり爆笑してしまう。
と学会のMLで、植木不等式さんが六本木にある『マキムシ』というレストランを紹介。ぬけぬけと“類似店に御注意ください”とサイトのトップにある。ところで、マキムシというレストランははるか昔、昭和40年代に藤子不二雄の『フ〜タくん』というマンガに出てきた記憶がある。もちろん、マキシムのパロディで、フランスではカタツムリが高級料理である、という話がネタになっていた。時代なりけり、である。カタツムリ料理だからマキムシ、というのは二またをかけていて、なかなか上手いダジャレだと、子供心に感心したものである。そんなことを書いてアップしたら、またそれに対するレスがあり、時ならぬフ〜タくんばなし。なにしろ、主人公の行動のモチベーションがストレートに“金を稼ぐ”(主人公は天涯孤独のみなしごという設定)というところが当時の少年マンガとしては異色中の異色。安孫子素雄(藤子不二雄A)がメインで描いていた作品らしく、後の『黒イせえるすまん』などの系譜に連なる、ブラック風味のギャグとナンセンスの片鱗が見えていた。一番印象的だったのは、第二部のフ〜タくんの日本全国旅行記(第一部でためた金で日本縦断旅行を計画する)の富山編で、富山らしくクスリマニアの大金持ちというのが出てくる。そのマニアぶりにつけ込んでクスリのセールスマン同士が売り込み合戦を繰り広げ、それにフ〜タくんも巻き込まれる。トド、大乱闘になってその金持ちの屋敷が破壊されてしまうのだが当の主人は精神安定剤をのみ、
「これでもう全然気にならないよ、クスリクスリ(笑い声)」
とニヤニヤしているというウス気味の悪いオチであった。ドラッグ・コミックとしても日本でも最初期のものではあるまいか。
昼はホタテのフレーク缶をあけてスパゲッティを茹で、ペペロンチーノ。トウガラシを入れるのを忘れたので、ペペロンチーノ(鷹の爪)抜きのペペロンチーノと相なる。パティオに扶桑社のと学会本のネタ案などをアップ。扶桑社の本が流れで会員有志の自由参加という性格になったので、メディアフェクトリーは著者特定のものとした方がいいかも、と思う。2時、K子帰ってきて、支度をし、東京駅まで。大阪に、ナンビョーさんのHPの常連さんのぺぇさんという人がおり、この人にある件で取材がてら、オフをしようという算段である。新幹線のぞみで東京を出発。車中、アスペクトとちくま書房のゲラに赤をひたすら入れる。
6時新大阪着、キタのホテルモントレ大阪に投宿。裏から回る形になったので、タクシーの運ちゃんが“これ、どこから入るのかいな”とちと迷った。フロントが8階にあり、ヨーロッパの古城をイメージしているらしく、内部の壁は漆喰塗りのような感じである。中庭をのぞくとゴシック調でなかなか雰囲気が凄い。フロントの脇のロビーというより談話室のような部屋に、ぺぇさんが既に待っていてくれた。荷物のみ部屋に置き、すぐ出かける。小雨が本降りになった感じ。
ぺぇさんはナンビョーY子さんのBBSの常連さんで、御本人も類宦官性という、“日本での記録が他にほとんどない”病気の持主(ナンビョーY子のリカバリ室『破竹の闘病記』参照)。あそこの常連さんたちはいとも普通のことの如くに自分の病気のことを語っていて、難病患者というものに対するイメージをかなり変えさせられるのだが、ぺぇさんも、会って話すと“典型的オタク”そのもので、一般的なイメージ(あるのか)の難病持ちというところはほとんどない。『笑うクスリ指』を進呈。
出た先は心斎橋『西玉水』。もとはと言えばぺぇさんとK子がナンビョーさんのところのチャットで鯨ばなしで盛り上がり、“大阪でまたクジラ食べたいなあ”“あ、私大阪なんで、じゃ御一緒しますか”と、いきなりクジラオフが決定して、私はつきあって大阪までやってきたカタチ。本当は彼の友人のマンガ家さんも一緒に、ということだったのだが、インフルエンザで欠席とのこと。西玉水はひさしぶりだが、御主人もおかみさんも変わらず。息子は元気に立ち働いているがピョンピョンと、ケンケン状態。スノボをやって足を骨折したそうな。もともと、ニュージーランドの大学に入学して、サーフィンばっかりやっていたらしい。『パパズアンドママサン』の息子(彼はオーストラリア)みたいだ。“タトゥーは入れなかったの?”と訊いたら、“いや、寸前までいったんですが”とのこと。
ぺぇさんといろいろ話す。せっかく奇病の人と話すんだからインタビューをきちんとしなくてはモノカキとして失格なんだが、ついオタクばなしに行き、SF大会のことなど話してK子に叱られる。彼のような病気を持っていると、医者がとにかくアコガレの目で(もちろん超貴重な資料として)見る、という話が面白かった。そう言えば右足を骨折して病院に行ったときも、若い医者たちが骨折した足そっちのけで、ポリオの左足をいろいろいじっていたっけ。ぺぇさんの病気ばなしをいろいろ書きたいが、本人が『破竹』に書くだろうから省略。氏は岡山生まれで広島育ちなのだそうでK子が“どんな病気してもオタクでも、「広島ですから〜」で済むじゃない”とヒドいことを言っていた。クジラは恒例でお造り、ベーコン、サエズリと大豆の煮物。それと今回は久しぶりに狩り場焼きやステーキも試みる。私は鯨カツ。これが日本酒にまあ、合う合う。K子とぺぇさんは写真を撮りまくっていた。カウンターの端にいかにも芸能人、という人がいた。白竜だったか?
その他、若竹煮、飛竜頭、赤ナマコなど。赤ナマコは今日は酢醤油が効き過ぎてあまりよろしくなかった。その代わり、“これ、特別に”と出してくれたサエズリの刺身が珍味。馬刺しの畝に近いか。噛み締めれば噛み締めるほど味わい深い。食べて陶然となっているところをぺぇさんがデジカメで撮っている。サイトに掲載するとか。K子は御主人と打ち合わせをして、次は6月だ! と決めて興奮している。さすがに疲れが出たので、後は明日、ということにして雨の中タクシーでホテルに帰り寝る。