裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

木曜日

男どアホウ中耳炎

 あんさん、耳ダレが出てまっせえ。朝8時起床。二日酔い、というのでない、何か妙な感じ。腹具合も胸のむかつきもないが、脳にちょっとケミカルな酔いが残っている。酔いというよりマヒか。歩くと少しフラつく。昨日は植木氏がすさまじく変てこな酔い方をした(金の計算が出来なくなり、あれ、あれと言いながらえんえん数え続けていた)のを覚えている。多分、私も似たようなものだったろう。

 やらねばならぬ仕事山積で、アスペクトなどから催促電話あるが、そんな状態なので今日は休み、と自分で決め、整体を電話予約。メールに返事など書く。こないだのロフトのトークに感想&御意見を送ってきてくれた人がいた。真剣に落語の将来を案じていらっしゃるようで、前回は残念ながら過去への懐旧と雑談に終始した、次回のライブではよりテーマを絞り、前準備を整え、脱線した場合は軌道修正をして、有意義な“落語のこれから”への答えを出してほしい、と、そのためのさまざまなサジェスチョンまでしてくれている。感謝と感嘆(それと反省)の念には大きなものがあるが、私はそんな大学の講義のようなトークライブをやるつもりはない。有識者の壇上からの討議と結論を客がノートにとるようなライブは、およそ“落語”を語るに最も相ふさわしくない形状であると思う。過去を語るのは懐旧ではない。落語というものは伝承芸である。あの革命的だった談志の『現代落語論』の、全五章中四章が過去の歴史の記述である事実をもう一度思うべきである。である以上、そもそもから着きにけりまでの経緯をたどらずして、現在の問題点があきらかになるわけもないし、壇上のメンバーも意識無意識は問わず、それを基準点にしてオノレの立ち位置を決めている。これまで、を熟知するものがこれから、を見通せる。例えば談之助が口にした、志ん朝没後の小三治の変貌、などという情報ひとつから、聞く者に耳あらば、今後十年の落語界の展望が大きく見えてくる筈であり、メールくださった方の“なぜ談之助師匠が落語に「未来がある」と断言したのか”の疑問に対する、回答ではないにしろ大きなヒントになっていると思うのである。

 昼は新宿に出て、雑用すませた後ザルパイコー。二日酔いの身には結構な食い物。書店のエロ本の棚を眺めていたら、ロリ規制法案で姿を消したさーくる社の少女写真集と、ほぼ同じ版型、装丁のヌード写真集が某社から出ているのを発見。もちろん、胸もちゃんと発達したオトナのヌードであるが、ロリ顔のモデルを集めており、さーくる社時代の、無毛の股間に細い葉っぱを張り付けて隠す、という形式もちゃんと伝承させている。これ見よ、ロリ写真集ですら伝統を重んじている、いわんや落語においておや、と変なところに連想を走らせる。紀伊国屋のDVDショップに行こうと地下街を歩いていたら、ササキバラゴウ氏にばったり。コミケの申込み書を喫茶店で書いていたそうである。立ち話でいろいろオタク情報交換。帰宅、ソロリソロリと仕事にかかる。

 ネットで漫画家の訃報リストのサイトを見つけた。案外、亡くなったことを知らぬままにいた人が多いのに驚く。青春もののはしもとてつじ、テレマガでミクロマンを描いていた森藤よしひろ、漫画ゴラクで料理勝負ものをやたら描いていたたがわ靖之などもみな彼岸の人なのか。鋭角のアゴの描線が特徴的だったはしもと氏などは、私にとってリアルタイムの青春ものマンガ家だった。とりたててストーリィのない、たあいない男女の誤解ものなんかが上手くて、『GORO』でよく読んでいた。『GORO』といえばやはりここでバイク漫画を描いていた小野新二も亡くなったとか。なにか、ガックリと年をとったように感じる。『青春どくだみ荘』の福谷たかしの死はどこかで目にしたかもしれない。なをきとコンビで『近未来馬鹿』を出したばかりのころ、知人が実は福谷氏と知り合いで、よく一緒に飲むという話をし、“今度カラサワさんも紹介してあげますよ”と言った。そのころ、トンガったギャグばかり考えることに熱中していた私は、あんな絵の汚い三流マンガ家になぞ紹介してもらう必要はない、とかなんとか、かなりひどい言葉を発して、その知人をしらけさせた記憶がある。若かったとはいえ、視野が狭かったなあ、と反省しきり。そうか、もう会うことも出来なくなっていたのだな。

 なかでも一番のショックは、1999年の森安なおや氏の死であった。新聞などにはかなり詳しく報じられたそうだが、見逃して3年間も知らぬままでいたのは痛恨である。その死の二年前、手塚治虫文化賞の審査員を務めていたときに、私のもとに、突如、森安氏から、著書『烏城物語』が送られてきた。たぶん、審査員全員に送っていたのではないか。発行は『森安なおやを岡山に呼ぶ会』。“このような地方出版の本を対象にすることにも意義があるかと思います”との手紙が添えられていた。要するに売り込みである。森安氏の若いころの短編が載った貸本は何冊か持っているし、『トキワ荘物語』(翠楊社)でも、彼の作品の才気の際立ちが非常に印象的だったので、さっそく読んでみたのだが、長年の不遇の間に、かつての奔放な才気は失せ、その代わりにきわめて緻密に描き込まれた静かな叙情が作品の中に完成されていた。ある種の感動を覚えたのは事実だが、私はこれを賞に推すことはしなかった。手塚治虫文化賞の性格とはやや方向性が異なっていた他に、漫画とは、常に外の社会とのリンクを必要とするものなのではないか、と思ったからだ。この作品は、残念ながら、ベクトルが内側にしか向いていなかった。他の審査員からも、翌年の候補にこの作品を推した人はいなかったように思う。しかし、賞を取る取らぬにかかわらず、森安氏の内面では、漫画への熱情がひとつの形へと結晶していたことは確かだろう。これもま た、極めてマンガ家らしい一生と言えないか。
http://picnic.to/~gogowest/main/mourning.htm

 フィギュア王原稿とコミックスの『侍ジャイアンツ』解説、平行して書き進めて、結局どちらも半チクで投げ出す。肩がズキズキという感じになってきた。新宿にタクシー飛ばし、サウナとマッサージ。水風呂の水が氷のように冷たく、神経が賦活される。マッサージのセンセイ、私がここに通いはじめたばかりの腰のひどさを必ず話題にし、いや、見事によくなった、と、自分の作った芸術品に見とれるように、腰ばかりさする。肩をやってもらいたいんだって。

 渋谷に立ち戻り、チャーリーハウスで酒とメシ。今夜はアップリンクで卯月妙子さんと睦月影郎氏のトークがあるのだが、K子は風邪のため、欠席。ここで早めの夕食にする。ビールと老酒、腸詰に蒸し鶏。また麺ゆで係が変わっており、トンミンを最後に食ったがちと茹で過ぎ、という感じだった。K子を返して、スタバで談之助さんと時間をつぶし、9時にアップリンク。安達OBさん、開田夫妻もくる。切通理作さんとも挨拶。こないだのロフト(『GMK』)、唐沢さんが来るというのを楽しみにしていたのに残念です、と言われる。ビデオ上映、睦月さんがゲストというのでフェチ度全開の『ヘンデルとグレーテル』。女の子を縛って、その全身にいろんなものを塗りたくるビデオ。最初が卵、次が納豆、それから筋子、トンブリとナメタケ。フェチというより珍味ビデオだ。責められる女の子(レズという設定)二人がいずれもすごい反対咬合(ウケクチ)なので、彼女たちのキスシーンがうまくカミあうか、見ていて心配になった。そんなことを心配していてはいけないと思うが。トークのとき、私も名指しでちょっと出される。こちらのしゃべりは極めて不出来。卯月さんは学生服姿だったが、人がしゃべっている前でいきなり、ごくフツーのテンションのまま脱ぎ出す。下は全裸にふんどし、亀甲しばり。背中には見事な彫り物。トーク最終日のサービスだそうだが、客が引く引く。私はこの程度ではオドロかないが、一番グッときたのは、彼女が靴下をぬいで、それをクツの中にきちんと収めたこと。非日常的空間の中でちょっと見えた日常、というのが極めてエロティックであった。

 11時15分、トークアガり。お客さん数人に握手、サインを求められる。手帳を出してサインを求めてきた女性は、駕篭慎太郎さんの連れの人だった。佐藤寿保監督とも久しぶりに挨拶。卯月さんはファンの人や仕事先の人といろいろ話していたが、裸に縄つき、ふんどし姿のままで“はじめまして”とか“そのせつはどうも”とか、挨拶して頭を下げているのがヒジョーにおかしい。アップリンクから下まで階段で降りる。開田さん曰く“『仄暗い水の底から』の黒木瞳さ、あれたった一階上にいくのにもエレベーター使おうと不精するから幽霊にとりつかれるんだよ”。

 二次会は勤労福祉会館前の通りの『和民』。以前は聘珍樓があったところである。開田夫妻、談之助さんと四人がけの席につくが、注文の取り違いで、この席だけ、飲み物も食い物も何も持ってこない。お腹を空かしていたあやさんがキチキチとカン立ちはじめた。ミスで隣の睦月さんたちの席にこちらが注文したものが来てしまい、それをまた疑わずに睦月さんがバクバク食べていたのである。まあ、私はそれほど腹も空いておらず、梅干しサワーに枝豆をつまんだくらいで、K子が寝ていることもあって、12時半でおいとま。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa