12日
火曜日
断腸亭おじさん
わしが文豪永井ニフウじゃ、ダーンチョッテ。朝8時起床。ゆうべ3時ころから腹が痛みだし、何度もトイレに起きる。腹下しが続き、何かゆうべ食ったものが悪かったか、と思ったが、同じものを分けて食べたK子は何ともなし。風邪が腹に来たものか、と判断。寝つけずに手近な本など読み散らすうち、疲れて熟睡。目が覚めたときには、まだ腹は下り気味だったが、腹痛などはすっかりおさまっていた。朝食は大事をとって、オニオンスープにしておく。コンソメスープに、素材パックの炒めタマネギを絞り込んで即成したもの。パルメザンが切れていたので、冷蔵庫の奥で半ば干からびていたブリーチーズを薄く切って乗っけて、オーヴンへ。案外うまく出来た。
元ロッテの愛甲猛、失踪とのニュース。写真を見て、これがあの“甲子園のバンビ2世”と言われた美少年か、とやや愕然(初代バンビは昭和52年夏大会の愛知東邦学園のエースだった坂本という選手らしい。私は知らない)。甲子園アイドルの先輩の原がいまだ当時の面影を残しているというのに。いやあ、あの当時(1970年代後半)は甲子園球児になぜか美少年ヒーローが続出したのだ(原と決勝を争ったのが鹿児島実業のやはり美形エースだったサダ坊こと定岡だったし)。それをパロディして及川正通が『GORO』のトリップ劇画に“薔薇辰徳”なんてのを出したりしていた。そう言えば愛甲と決勝戦で対決したのが、これまたアイドル系の荒木大輔だったし、やはりこういうことも、不思議と集中する。……あ、失踪に関する感想が何も浮かばない。
昼食はパックの麦飯と総菜屋のカキフライ。名古屋のどろソースで食べる。ずっと書庫にこもって、明日の講演の資料集め。出てきそうで出てこないもの、多し。くたびれたので寝転がって、『黒面鬼』など読む。3年ほど前の12月に大阪の古書店で買ったもの。再読だが、今回は山田俊雄カブレで、大正期の言葉使いをひろいつつ。今の小説にも使えそうないい言い回しがいくつも見つかる。この昭和3年刊の近代文藝社版は作者名が載っていない(近代文藝社編集部編になっている)が、伊藤秀雄の『大正の探偵小説』によれば宮路竹峰という作者らしい。冒頭がルパン、中がファントマ(もしくはジゴマ)、ラストが『ジキル博士とハイド氏』という三重パクリの話であるが、ここに出てくる怪盗の名が“黒澤晃”という名前なのが笑える。タイトルにある“黒面鬼”という名称は作中には一回も出てこない。“怪盗クロサワアキラ”というのが存在した、というだけで記憶しておく価値はある珍作だろう。
6時、外出してパルコブックセンターで資料本を探すが見当たらず。文学の棚にDちゃんの『キぐるみ』が写真入りで山積みになっていた。そのまま駅まで歩いて、銀行に寄る。東急東横の地下の食料品売場に行ってみる。高級食料品売場に変貌したというフレコミで、名前がなんと“フードショー”である。なるほど、見本市みたいにいろんな食材が並べられている。しかし、鮮魚売場の“ヘイラッシャイラッシャイ”は変わらず。並べられる食品はともかくも、ムードまでをいきなり高級にすることは難しいようだ。
帰宅、小説のプロットをあれこれ。講演の準備はめんどくさくなってホカしてしまう。これだから俺はいかん、と思いつつ、だらだらとネットなどを見る。ヒロポンのことを書いたサイトで、戦後のヒロポンブームのとき、昭和天皇までが巡行の途中、“こんなに暑いとヒロポンでもうたなきゃやってられないね”と言ったという記述があった。ホンマかいなと思って、他にも検索してみたら、雑誌『改造』に御製の歌が載ったことで、短歌の注文が殺到したとき、“これではヒロポンをうって書かねばならないようだ”と言った、という記述もあった。どちらが本当かわからないが、ヒロポンと昭和天皇巡行、御製ブームというのはいかにも時代を表している。取り合わせ の妙であろう。
9時45分、東新宿焼肉『幸永』。行ってみると新店鋪の方は灯りを落として休業状態。旧店鋪の方もすぐに入れるくらいの込み様。うーむ、やはりアブナイ状況かなあ、ここ。ひさしぶりだったのでスライステール、極ホルモン、豚骨たたき、レバ刺し、豚足、アゴ、スープと頼みすぎてややもてあました。ホッピー2本。K子とポーランド人の変な名前の話などで盛り上がり。帰宅、あまり寒いので仕事場にあったオイルヒーターを寝室に移す。