10日
日曜日
サン・サーンスマンボ
「お父っつぁんアンドおっ母さん、謝肉祭ざんす」朝、7時半起床。4時に一度目が覚めたとき、えらい肩凝り感があったが、起床時は何でもなし。朝食、カキフライサンド、ブラッドオレンジ。テレビで小泉内閣のこといろいろ。以前はウィークディのモーニングショーでは事件・芸能ネタ、土、日は政治経済などというおカタいネタ、という区分けがあったが、最近はウィークディでも政治家の話題ばかり。政治家のスキャンダルを取り上げる方が、ジャニーズやバーニングのスキャンダルより圧力が少ないらしい。まったく、最近のアイドルネタのつまらんこと。
講演用のネタをネットで勉強。いろいろためになる。頭が疲れたので、このあいだから舐めるように読んでいる『詞苑間歩』。“ドグラ・マグラ”という言葉が江戸時代の“取切紛(どぎらまぎら)”を源流にして、これはまた“どぎまぎ”の変化でもある、などという知識のうれしいこと。ところでこれだけ博学な著者でも、追い切れない資料もあるらしい。“徳川家”と書いて“とくせんけ”と読む読み方について、羽賀矢一の『言泉』の中の説明である、“漢學の流行せる時代なりしかば、徳川(トクガハ)を重箱讀(ジュウバコヨミ)なりとして、殊更に稱へしものか”という説明しかあげていないが、これは三田村鳶魚によれば、江戸人が将軍家のお膝元で、その姓を口にすることを恐れ多く思い、わざとトクセンという読みにした、と言うことである。そう言えば名古屋に『徳川』という名前のラブホテルが建ったところ、徳川家の子孫から苦情が来たので、仕方なく“とくせん”と振りがなをうった、という話もある。まあ、そんな私向きのB級の下世話な話は学者の家に生まれ育ったこの著者に似合わないからともかく、江戸学の泰斗である三田村の説を無視するのは、この言葉を取り上げるに際しては片手落ちであろう。……ところで、山田氏がこのトクセンケという言葉を初めて聞いたのは映画で、板妻演ずる勝海舟の台詞であったそうだ。私が聞いたのもやっぱり勝海舟で、NHKの江藤淳原作・脚本になるドラマ、『明治の群像・海に火輪を』の中の勝海舟(役者が残念ながら記憶にない。中村翫右衛門だったか? 乞御教示)の台詞だった。やっぱり、海舟みたいなチャキチャキの江戸っ子に言わせたくなるような言葉なのである。
昼はミョウガタケの味噌汁で稲荷寿司。UA!ライブラリの解説原稿を書かねばならないのだが、書きかけて資料調べしているうちに、またネット散策に走ってしまい時間をつぶす。いかんなあ。母から電話。9月に店を引退してニューヨークにしばらく住むという計画を立てているのだが、友人連に“ちょっと今年じゅうに驚くような計画があるのよ”と言ったら、6人に話して6人から“あら、再婚?”と言われたそうな。68になってまだそのような色気があると思われるのは結構である。1時ころ芝崎くん来。片瀬捨郎名義で執筆(共著)した著書、『ニッポン漫画名言集』(角川書店)を持参してくれる。彼にとってはあまり本意ではない仕事になってしまったようだが、しかしライターというのは自分の本意でない文章がスラスラと書けるようになって一人前である。
外に出て買物兼散歩。休日の渋谷は地方ナンバーの車の流入で大混雑。目も覚めるような真っ赤なオープンカーが二台、岸体育館の脇に堂々と違法駐車した。用事を思い出してそこからタクシーを拾ったら、若い運転手がその赤いクルマの話を始めた。あれは暴走族仲間では有名な改造車で、スイッチひとつで車体がかしぎ、片輪走行をしているように見える仕掛けがしてあるんだそうである。仕掛け、というところが情けない、と笑う。自分も一時暴走族経験があるというその運転手、“まあ、しかしよく真っ赤っ赤なスポーツカーなんぞで都内を走れますねえ。所詮は足立ナンバーのセンスでさ”。彼に言わせれば湘南か品川ナンバー以外のプレートで走る暴走族は野暮の極みであるらしい。いろいろと人によっての美意識があるものだ。
帰宅して、仕事にかかる。今度の好美のぼる作品集には『ネズミ娘』『ネックレスは笑う』『青い蛾』の三本が収録されるが、中でも『ネックレス……』が凄い。主人公の男女の他、10人以上の登場人物全員が悪人という世界。これと『青い蛾』のラストには読者クイズがついているが、その問題が“この作品の中で何人の人間が殺されたでしょう”。今、こんなクイズを漫画につけたら、親が何というか。……しかし考えればこの残酷さはグリム童話や、『枯木に花咲かせ親父』に通じる、むしろ子供に与えた方が正しい、現実を突き抜けた残酷さなのではないかとすら思えてくる。
7時半まで原稿書き続けてしまい、8時の夕食の支度が遅くなって、K子に叱られる。確かに時間配分のミスがこのところ多い。執筆に必要なテンションを自分で調節できなくなっているのかもしれない。夕食は新タケノコとワカメの煮物に、鯛めし。それとオーヴンでの野菜焼き。鯛めしは少し柔らかかった。やはり最近、自分で料理することが減っているので、カンが鈍ってしまっている。料理や文章は常に反復してやっていないとガタリと腕が落ちる。ビデオで『悪魔の毒毒モンスター東京へ行く』をK子に見せる。ああ、B級バカ映画の黄金時代のノリが懐かしい。ヘンなニッポンギャグは公開当時は大喜びだったが、今みるとそこそこ。再開発前のお台場の映像が非常に貴重だが。逆に、意味なくしつこい残酷ギャグだとか(魚屋で全身切り刻まれて殺される安岡力也のシーンの後に、その切り刻まれた首や腕が値札つきで並べられているカットを一瞬ぽん、と入れるあたり、トロマ映画とは思えぬセンスである)、施設の盲人たちが皆殺しにされるブラックさが、そうそう、これが80年代のノリであったのだよ、とうれしくなる。主演女優がAV界のアイドルだった桂木麻也子。彼女も懐かしいが、鎖鎌使いの役で出て、素っ裸にムかれてしまう役の女優も懐かしいというか、何度かお世話になった記憶のある顔だ(白木摩耶だったか?)。とにかくK子も大喜びだったが、彼女が一番笑ったのは、本編の後に入っていた松竹ビデオ新作の予告の、ロシア名作大文芸映画・『持参金のない娘』のタイトルであった。あまりにロコツな。その後、大魔王の炭酸割りを飲みながら、文春ビデオの『吉田茂とその時代』を見て寝る。