5日
火曜日
牛丼大盛り、ねぎぬき、千代田区!
吉野家皇居前店にて。朝7時15分起床。曇り空。体がダルいのは風邪か、気圧の案配か。K子はノドをやられたらしく、ハスキーな声。朝食、昨日買ったスターバックコーヒーのミートパイ。ミートがハンバーグみたいに固まってしまっていてうまくない。果物は富士リンゴ。朝刊に、ロシアで徴兵拒否のため性転換して女性になった男の写真が出ていた。これがマライア・キャリーそっくりの“美女”である。しかしロシアという国は昔から女性部隊で有名な国ではなかったか。性転換ごときで徴兵をまぬがれ得るか? 細川隆元が以前、竹村健一との対談で、終戦時に満州の日本人男性が、侵攻してきたロシアの女性兵士に“強姦”されまくった話をしていた。どんなに恐怖におびえていても、手に油をつけてシゴかれると、男性の悲しさでツイ立ってしまい、またがられてやられるんだそうである。男にとってあれほど恐ろしいものはないという。ましてそれが性転換女だったとしたら。マライア・キャリー似ではあっても。
11時、お掃除のおばさんが来る。私は仕事。肩の凝り様から、こら雨になるな、と思っていたが、やはり降り出した。おばさんは1時半にK子の仕事場へ。もってきてくれた自家製山菜オコワで昼飯。タラコを魚焼き網で焼いたら掃除したばかりのレンジ台を汚してしまった。
雨、本格的に。キーボード打つ手がずしりと重くなり、放棄して『詞苑間歩』・上を読み進む。著者の日本語に対する知識と取り組みにほれぼれし、彼の作った『新潮国語辞典』が欲しくなる。こうなると惚れ込む、といった感じだ。もちろん、新語に対する非寛容性に年寄り臭さがただようのはやむを得ないが、その非寛容もきちんと言語学者としての理屈があってのことで、江國滋のような感情論による排斥でないと ころに好感が持てる。若者の使う“やっぱし”“やっぱ”を
「あまり由来の遠いものと思はず、大抵、ごく近頃の物怖ぢしない十代二十代の小娘などの云ひ草だらうと高をくくつてゐた」
ところ、北原白秋の文章の中に“矢つ張し”を発見して驚き、調べてみると江戸時代初期の安原貞室の著作中に
「一其儘そこにあれと云べきを、やつぱり、やはり、やつぱし、などといふは如何」
とあり、やっぱ、もやはり近世末以来存在する言い方であるとわかって納得し、これを受容するところなど、言語史研究者らしい合理性だとほほえましくなる。
3時、SFマガジン図版用ブツを井之頭こうすけ氏に宅急便で出した後、東武ホテルにてコミックス編集部次長K氏と待ち合わせ、時間割に移動。コミックスとはまたずいぶん単純明解にすぎる社名だと思ったが、これは講談社の関連会社らしい。K氏は富久町のころのロフトプラスワンで私のトークをよく聞いていたとのこと。以前、水木しげるの貸本復刻のとき、私に解説を書かせようとして、講談社の寄稿家名簿に記された電話にかけてみたり住所に手紙を出したりしてどうしても連絡つかず、見送りになったことがあったとか。『パーティ』に書いていたころのがそのままになっていたのだと思われる。これは私にとっても惜しい仕事を逃したものだと思う。今回、Web現代の仕事で(たぶん)、名簿が更新されたために、めでたく初仕事となったもの。『鉄人28号』の研究本の中のコラムの依頼である。話がはずみ、持論の大衆文化における“量”の評価説などを述べて賛同を得る。話がまとまって帰りがけに、もうひとつ、仕事の依頼があった。これもうれしい。
帰宅、まぶたが重く立っていられない状態になり、横になったとたん、グーという風でない、ズヒュアー、とでも形容したいような風邪っぴき特有の呼吸で寝込んでしまう(なぜ自分のイビキの音色まで覚えているのかわからない。半覚半醒状態で聞いているのだろう)。歌謡ショーを劇場で見学している夢を見た。目が覚めたらもう7時半なのに驚く。
8時、神山町『花暦』でK子と待ち合わせる。K子は熱が38度あるという。それでもメシが食えるなら、まあ大丈夫だろう。おでん数品、こないだ感服したサヨリの刺身とカンパチの塩焼き。やはりうまい。カウンターの隣の席に、学術書の編集者らしい二人が、酒の席とは思えぬすさまじくアカデミックな会話。一人は超高名な哲学者Y氏の担当編集らしい。“法然の悪人正機説による往生の正因を親鸞が受け継いで発展させた際に、念仏というものを……”と、ほぼ五分以上の長広舌による仏教論を講義のような口調で語り、その最後に“……と、あの爺さん(Y氏)は言ってるんだけど、どうも屁理屈ぽいネ”とオチをつけたのにひっくり返りそうになった。さっき寝たばかりなので、睡眠薬代わりに日本酒をちょっとすごし、いい機嫌で小雨の中を 歩いて帰る。