裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

火曜日

名犬淋菌チン

 うわっ、犬、寄るな、うつる! 朝7時半起床。ありがたい事に肩の痛み、元々の左肩はまだ残っているが、右肩と背中はほぼ回復している。花粉症で毎朝クッシャンクッシャンやっていたのが今朝はスッキリなのもうれしい。枕のせいかマッサージの効果かはたまたパブロンのおかげか。朝食、ゆうべ小田急で買った聘珍楼のミソ肉まんをふかして。残念ながらあまりうまくない。果物はイチゴ。オリンピック閉会式の模様をテレビでやっている。へえ、まだやっていたのか、という感じ。審判の不正かルールの改訂かなにかしらないが、日本人選手、あまりにどうしようもない成績である。大体、そこまで金使って、出場するメリットってあるのかね。所詮はオリンピックなんて、白人による白人たちの祭典じゃないのか。黄色人種は白色人種の幼生成熟である、という説もあるではないか。なら、どうあがいたって力比べじゃ体がオトナとコドモ。かなうわけもないと思う。

 メール確認。今朝も三十通近い数が来ている。文句は言うものの、これで来なくなると寂しく思うんだろう。人間なんてそんなもん。昨日の日記の一昨日の(ややこしい)談生の『崇徳院』でうまい! と手を叩いたギャグ。
「“瀬を早み”てえのは“川瀬の流れがあまり早いので”ってことだ。“○○を××み”という構文は“○○があまり××なので”って意味だな、例えば“苫を粗み”だと“苫があまり粗いので”だ」
「へえ、じゃあ“あまりにピンクハウスが似合わないので”は“森尾由美”?」
 構文の解説では“へーえ”と客席から感心した声があがった。さすが元予備校教師である。

 先日神田で会った野火助氏から、国立演芸場で見た小野栄一の舞台について、長文の報告をいただく。ありがたし。10月の演出の大きな参考になる。その他、『広辞苑』の新村出が大の駄洒落好きな茶目坊(こんな語彙を日常で使うのも今どき野火助氏くらいだろう)であったという話、こないだの日記で私が書いた“座頭市”の呼称については、『座頭市地獄旅』の中で言及され、成田三樹夫の浪人につっこまれていたことなど。それは知らなかった。『座頭市地獄旅』は以前オールナイトで観ているのだが、記憶にないところを見ると、そこで寝てしまっていたか。

 仕事をしていたら今度は首筋がキンキンに凝りだした。キーボードを打つたびに、それが首に響いていたたた、となる。やはり風邪で筋がカタマっているらしい。昼は冷凍うどんを啜ってすます。アスペクトK田くんから『裏モノの神様』単行本の書き足しの催促が来るが、どうにもならず。2時、家を出て渋谷駅前へ。背筋をのばしているとそれほど苦しくもない。歩きながら首をグリグリ回転させる。キチガイと思われたかもしれない。ハチ公前で石原伸司さんと待ち合わせ。センター街のルノアールにていろいろ話す。いま、F社とM社でそれぞれ企画が進行中。そのことなどにつきレクチャーする。T書店の人の名刺も某所でもらったので営業かけるつもり、というので、見せてもらったら旧知のIさんだった。しばらく会っていないので、そのことは口にしないでおく。ここのルノアール、入ったのは初めてだが店員の女の子がみんな可愛いので驚いた。

 帰宅、なんとか体がほぐれたので、海拓舎の仕事を少しやり、メール。原稿用紙にして3枚程度という情けなさだが、今はそれが限界。あと、毎日新聞からプロフィール送れということなので、それも書いて送る。少し横になり、休む。6時、時間割にてインタビュー受ける。光文社『FLASH』。Yくんの他、インタビュアーが男女二人つくという豪華(?)な布陣。“妹萌え”の歴史について述べる。70年代の秋吉久美子を根元とする流れをざっと述べて、マンガにおける妹のパターンとしてオバケのP子、ドラミ、『アニマルワン』のなな子などの“優等生型”“母親代理型”主流から、『ハレンチ学園』第二部の山岸マミを経て、あだち充の『みゆき』へと到る変遷など。もちろん、妄想系としての兄・妹であるところの『おにいさまへ……』の話も。ロリアニメ系は今、都条例改正をにらんでどこも図版貸しには渋いのだとか。営業も少しする。

 インタビュー後、その足で新宿へ。紀伊国屋前でK子と待ち合わせ。待っている間に何の気なしに“♪セブンは私よ小学生だけど……”などと『アニマルワン』のEDの歌詞を口づさむ。さっき話題に出たので記憶から掘り起こされたためだが、そこから今度はこの替え歌の、ハレンチ学園の十兵衛の歌に追憶が及んだ。“♪十兵衛は私よ、小学生だけど、ボインがでかい……”と、小学4年生のとき、通っていたK小学校開校以来のスケベ少年と言われていた藤田くんが歌っていたっけ。もっとも、その藤田くんにして、男女のセックスがどのようなやり方で行われるかについてはきわめて象徴的なイメージ(男女が性器と性器をちょんとくっつける、という程度の)しか持っていなかった。当時のガキなどというのは可愛らしいものであった。私はそのころ、『漫画読本』などは言うに及ばず、親の書棚にあった医学書まで読破して、温泉ストリップの花電車のバリエーションから初夜のベッドでの下着の脱ぎ方、避妊、堕胎のノウハウまで心得ていて、実は裏の性知識大王だったのだが、オモテには一切そういうことを出さないイイ子で通っていた。ヤなガキだったわけである。まあ、順調に成長してヤなオトナになったのはめでたしと言うべきであろう。ところで、光文社のインタビューでは私はこの『アニマルワン』のなな子と、『てんとう虫の歌』の日曜子を混同して話していた。川崎のぼるという人も同じ設定を何度も使う人だったのだな。佐門豊作の兄弟は何人だったっけ? 大家族願望という点から川崎のぼるを読み返してみると、何か発見があるかもしれない。

 K子とどこへ行こうかとあちこちうろつき、伊勢丹会館3階の『串の坊』禁煙室。お好みコースを取る。気分で言えば今日はもっと肉をダイナミックに食いたかったので、こういうお菓子みたいな揚げ物はもの足りず。しかしアスパラガスがべらぼうに大きくて甘くて、うまかった。酒が入ると首が大変楽になる。都合のいい病気である ことよ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa