裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

金曜日

グラムシごーろごろ

 共産ぽっくりこ。朝7時半起き。朝食、シイタケサンド。シイタケの肉厚のやつを薄切りにしてバタで軽く炒め、これをシラス、シソの葉の千切りと一緒にパンにはさみ、マヨネーズで食す。和とも洋ともつかぬ面白い味。母から電話。いろいろ考えさせられる。仕事関係の電話、数本。こういう電話は出来るだけ短くしようと心がけているのだが、昨日も今日も、そのホンの数分の間にキャッチホンが入り、そのどちらも、かなり重要なやりとりの最中ですぐに切り替えられず、あわてて切り替えたときにはもう向こうで受話器を置いていた。いくら盆進行中とはいえ、個人宅の電話数など知れたもの。長い一日のうち、ホンの数分の間に私に電話をかけようと思い立つ人 間がこんなに重なるものか?

 お盆進行々々と言っているが、新暦の盆というのは一体いつからだったか、自分が盆休みをとったことがないから覚えてない。グリーンアローは来週一週間会社ごと休みだそうな。ここの『Memo男の部屋』の連載のタイトルについて編集部とメールやりとり。これまでは通しタイトルがなかったので新たにつけることにしたのだが、数案出して検討した末に、向こうの希望で『裏亭先生雑々録』という現代ばなれしたものに決定。これまで句会などでは頻軒(ひんけん)という名を使っていた(ドイツ語のhinken=跛から)が、これの意味を説明すると大抵の人が引く。裏亭(り てい)はなかなか響きがいいので今後あちこちで用いようと思う。

 昼飯はチャーリーハウスの定食。7月中にやっておかねばならぬ仕事、まだまだあり、考えただけで体も頭もグッタリとなる。それで思い出した話。確か数学者の吉岡修一郎の本で読んだのだが、アメリカである会社社長が旅行をしていると、さびれた町で、インディアンの老人が木彫りの熊を彫っていた。民芸品として売れると思った社長、老人に“その熊はいくらだね”と訊くと、“五ドルでがす”“それを三百個欲しいんだが、その数だと一個いくらになるかね”“そうだね、七ドル二十五セントでがす”“なんだって多く頼むと高くなるんだ?”“それだけ彫らにゃなんねえと思っただけでウンザリするからねえ”・・・・・・。原稿料もそういってもらいたいもんだネ。

 こないだの日記に書いた☆社から、△社の××の文庫化の件で電話。なんとか、その件ではこちらの言い分を聞いてもらってホッとする。もちろん、☆社には引き換えに別の本の文庫化の約束をする。その本は◇社で文庫にする予定のものだったので、今度は◇社に代替として何を差し出すか、で頭を悩ませる。結局、めぐりめぐって文庫書き下ろしをどこかで一冊、やらねばならんハメになりそうである。ウンザリなどと言ってはバチがあたるが、それにしても。Web雑誌の方からサンプル原稿を早く してくれと電話。それもあったなあ。

 2ちゃんねるで話題のカフカ『変身』文体模写に“と学会”登場。山本会長の文章の模写らしいが、軽妙さがイマイチ出ていないようにも思う。このスレッドの元ネタは和田誠の『倫敦巴里』か、やっぱり。7時、青山まで出て買い物。帰って夕食の支度にかかる。コンソメをゼラチンで固めてドレッシング代わりにしたポテトサラダ、ホタテと牛肉の煮物、じゃこご飯。ビデオで日本海軍史。

 夜、寝つかれないまま筑波昭『津山三十人殺し』(草思社)を読む。犯人、都井睦雄が自宅の屋根裏部屋に篭って書いた原稿用紙四○一枚に及ぶという長編冒険小説というのが中に引用されていて、世界に勇躍する主人公の冒険と犯人の孤独な田舎での心象との対比が強調されている。孤独な精神が産み出した長編小説、ということでおお、日本のヘンリー・ダーガーかい、と思ったが、内容を呼んでみると、矢野龍渓の『浮城物語』の単なる口語訳、というか一般向け書き直しである。都井の書いた前書きにも矢野竜(龍)渓の名は出てくるのに、著者の筑波昭は“矢野竜渓は明治時代の実在の小説家であり、彼がすでに発表したものを子供向けに改作したという意味なのか、それとももっともらしく思わせるために矢野竜渓を持ち出したのか、そのへんがはっきりしない”などと書いているが、改作どころかストーリィまる移しです。ここまで当時の資料を掘り出している著者にして、なぜ名前までわかっている矢野龍渓の作品を調べてみようとは思わなかったのだろうか(岩波の明治文学全集とかに載ってるじゃないか)。しかも十二刷まで行っていて一行の注釈も書き加えられてないと言うことは著者のみならず読者もそれに対しなんの疑問も抱かなかったということだろう。明治の小説というのはそれほど現代人から遠いのだねえ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa