裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

月曜日

ローマ帝国衰亡史ギボーン

 2ちゃんねる歴史板。朝7時半起き。その時間は窓を開けると涼しい朝の風が吹き込んできたのだが、三○分も立たないうちにもう、炎天。朝食、ソーセージとナス炒め。モモ。官能倶楽部パティオで安達Oさんから9月のヨーロッパ旅行の件。ポーランドで予約しているホテルが一流のところで、ひょっとしてディナージャケットが必要とか。ひえー、着たこともないぞ、そんなもん。海拓舎から原稿催促。学陽書房に 営業催促。トーク原稿に手を入れる。

 札幌の古書店から当たった本、届く。今回はほとんどの品がオークション対象になり、スカばかり。それでもお値段はかなり行っていたから、全部当たってたらいくらになっていたことか。NHKから電話。『妖怪伝・咲耶』の公開に合わせ原口監督と短い対談インタビューしてもらいたいとのこと。ひさしぶりにK子に弁当。タラコ入 り卵焼き。

 昼飯はミョウガの冷やし味噌汁と春菊ご飯一杯。風呂浴びて本代振り込み。それから新宿へ出かけ、買い物いくつか。時間にして一時間半強の外出だったが帰ってくると、もう体力が汗と共に絞り出されたような案配。少しベッドにぶっ倒れる。電話、SFマガジンから。SF大会でのサイン会依頼。結局、今回もカラサワ縛りとなりそ うである。

 午後もずっとトーク原稿直し。だだだとやるも、資料探したり引っ張り出したり、ついでにまるで関係ない本を立ち読みしたりした時間の方が総計では多いかも。この数日、外出の仕事がないので何かタラけているように見えるかもしれないが、実はこういう日記内容の日が一番原稿書きでヒーヒー言っているのである。

 忙殺などと言うが、人間どこまで忙しくなったら死ぬのか、また死ぬほど忙しくなれるのだろうか。試みに、故・荻昌弘氏の、五四歳のときのある数日間のスケジュールを書き写してみる(近代映画社『荻昌弘の映画批評真剣勝負』より)。
・某日、軽井沢のログハウスで休息。ただし原稿二つ。夜、東京へ帰って長編映画のビデオを二本見る。朝、放送局の番組審議会に出席のあと、FMラジオ番組の録音二時間半。その後、沖縄出発。夜、ホテルで原稿を書き、翌朝飛行便でそれを送ったあと、飛行機と船を乗り継ぎ、日本最南端の小島へ渡って特別番組取材。翌日東京へととって返して午後二時、映画の試写数本。夜はモスクワ・オペラ。翌朝、『月曜ロードショー』用の映画を見る。昼はラジオ『子供電話相談室』生放送。NHKホールでN響定期演奏会を聞いて、寝台列車“天の川”に乗り、翌日フェリーで佐渡へ。“観光とは何か”を講演後、土地の人々との会談。その夜、新潟へ戻って原稿書き、翌朝は長野県との境にある山の里、津南で山菜の取材。熊の肉を味わうのが楽しみの旅だが、ゆっくりする間もなく夜、車で東京へ走り帰り、翌日一日は仕事場で書き下ろし本の原稿執筆。その翌日は大阪へ行き、テレビのトーク番組を二本、収録したあと、見逃した映画を封切り館で見て、京都の仕事場で泊まる。翌朝新幹線で東京へ戻り、一時の試写、三時のラジオ番組録音。夜は食事をしながら対談、その翌日は都立大学で三時間ぶっ通しの講義を昼夜二回。
 もちろん、このあいまを縫って自家製コンビーフを煮たり、梅酒を漬けたりもしていたのだろう。このような生活を荻氏は二十数年続け、一九八八年、六二才で彼岸の人となった。そら死ぬわな、と思うのは私だけではあるまい。もっとも、フリー職業としてこの売れっ子ぶりに憧憬を抱かないような奴もまた、モノにはなるまい。難しいところだなあ。

 8時半、ブックファーストでK子待合せ、ドリフの仲本工事の店『名なし』に行ってみる。居酒屋、ということだったが、ホントウにただの居酒屋。入口に数枚の舞台講演の写真と、仲本グッズの宣伝が貼ってあるだけで、店内は地味もいいところの調度であり、芸能人の店という感じでなし。メニューにあるナスと春雨のミートソースやイカバターなど、大変家庭的な味で、たぶん、家で仲本工事が好きな食べ物なんだろう。帰りにエプロンかけたおばあちゃんが“またどうぞ”と愛想よく話しかけてきたが、ひょっとしてお母さんか? 食い足りないので花菜に行き、ソバ湯割焼酎などでつまみ何品か。酔いを調節しそこねて、深夜、暑さに目が覚めて弱った。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa