13日
土曜日
スカシコシパン
みんなに顰蹙を買う棘皮動物(周囲にトゲを立てる)。
元ネタは上記の写真。
※原稿書きばかり
夢の中で私はロシア農奴一揆の先頭に立っている。
はるか広がる荒れ地を農民たちは耕しているが、実は全部ホリゾントに
描かれたセットである。
黒いドレスの女地主は年貢の軽減を認めてくれた。嬉しくなって、
何か贈り物をと思い、ポケットを探ると手帳用の小さな鉛筆が何本か
出てくる。手帳の背にさす昔風の金属製キャップのついた鉛筆で、
そのキャップについている赤白のしおり紐がからまって全部つながっており、
「地主さまと我々百姓もこのようにつながっております」
と言ってわたす。
しかし、手帳用の小鉛筆なんて、これまで気にかけたことなど人生で
一度もないと断言できると思うのだが、なぜこれが何本も夢に
出てくるのか。夢に出てくる人物や小道具の係ってのは実にこっちの
想像のスキをついてくるのがうまいと感心する。
昭和40年代には手帳といえばそういうもんだと思っていたが、
最近みないねえと思っていたら、まだあったのですね。
http://www.daigo.co.jp/products/techou/jpg/techou_04.jpg
8時、編集部から来ていたメールに携帯で返事。
9時起床。久々に(4日ぶり?)にストレッチ。
焼き芋と黄ニラスープで朝食。
日記つけなど。
テレビでバンクーバー五輪の中継を見る。
スノボの国母はどこにいるかと思って見ていたが、どうも
開会式に出席させてもらえなかったらしい。
何かこれで私も含めオリンピックにも興味がない、スノボ競技なんて
見たこともないという人たちにだいぶテレビのチャンネルを
あわせしめたたのではないかと思う。
12時、母の室で昼食とりながら、開会式続き。
昼食、酢豚と味噌汁でご飯一膳、それとパイナップルと林檎二切れ。
読売新聞コラム欄の“(オリンピックの日本選手)ほぼ全員の健闘を祈る”
という文章に笑う。健闘を祈りたくない選手、つまり、国母がいるわけだ。
“腰パン王子”という呼称をしているところがあって笑ったが。
母は、各国選手がほとんどバラバラと入ってくる様子を
「閉会式みたい」
と言う。やはり、東京オリンピックの開会式のように、全員一糸乱れぬ
行進というのが母の世代のオリンピックのイメージなのだと思う。
”規律“に安定を求める人間の本能は強い。朝青龍叩きも国母叩きも
要は規律を守らぬ人間をみんなで叩くことで、社会の安定性を確認する
作業なのだろう、あれは。いや、これがよくないこととは思っていない。
こういう作業は必要だと思う。社会は安定性を必要とするからだ。
しかし、一方でそれがいきすぎることは社会のスタティック性を強め、
変化に対応できなくなってしまう。戦前の日本のように。
そこで必要とされるのが横紙破りである。
たまたまだが、ベッドの中で読んでいる『江戸演劇史』に、シンクロニシティ
的にそれに関係する記述があった。坂田金時(マサカリかついだ金太郎、
の後の姿である)の息子、坂田金平(キンピラゴボウの語源である)
を主役にした金平歌舞伎について語られた一節であるが
「個性がもっとも意味を持つのは、集団と対立する個性をもった存在に
おいてである」
「そこで集団を破壊するほどの、集団と等価の可能性を持つ存在は誰より
も坂田金平であった」
「金平は若くなくてはならない。血気の若者、既成の秩序に反抗し、
新しい世界を求める者、若さの持つ特権」
とあり、そして
「しかし破壊的な力は最終的には集団の秩序に吸収され、それがまた
秩序そのものを再生し、新しくするという構造であった」
と締めくくっている。
朝青龍にしろ国母にしろ、そういうトリックスター的存在が間歇的に
出現することで、規律というのは逆になしくずしの崩壊に至らず
保たれ、変化していくのであろう。
自室に戻り、原稿。今日は気を散らさず某創作にかかる。
話のキモになるある架空のプロジェクト、やっとストーリィ
にうまくからまる設定にまでまとめられてホッとする。
関連して、最終の幕切れのアイデアも浮かんだ。奇麗にまとめるまで
まだ時間がかかりそうだが。
B社との打ち合わせ日程もやっと出て、編集部に送る。
某テレビ番組からメールがくるはずが来らず。
6時、サントクに出かけて買い物。
寒いが“寒々しさ”は感じず。
と学会運営MLにメールなど。
ふと脳裏に浮かんだ古い少女漫画の作者の名前が思い出せず、
イラつく。『ラジオライフ』原稿ゲラチェックも。
10時過ぎ、夕食。
マグロ手こね寿司。ブログで検索した、ごま油をつけ醤油に加えると
いうのをやってみたが、なくもがな。
それと酢辣湯。黒ホッピー三杯、サントリーハイボール一缶、
ハイボール缶は好みでなし。