裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

金曜日

ぼういずラブ

坊屋三郎×益田喜頓

※F氏インタビュー

朝4時目覚め、ゆうべのホッピーと天ぷらの取り合わせがよくなかったか、
何度もトイレとベッドを往復。
下っ腹がシクシク、コウモンがヒリヒリといったひどい状況だったが
ベッドに横になるとその痛みがスーッとおさまる感覚が非常に気持ちよく、
しまいにはトイレに起きると、それが楽しみになるほどだった。

7時ころやっと二度寝、起床11時半。
その時の夢。
凄まじい金持ちの親戚の家に泊まっている小学生の私。
その親戚は気難しいので使用人頭の方と仲よくなり話しているが、
その最中に若いハンサムな使用人が、ハーレー・ダビッドソンのバイクに
乗って使いから帰ってくる。買ったものは車体に糊付けにしてあり、また
ヘルメットもそこらのものを適当に集めて作った自家製(シールドは
サランラップ)。いいのかな、と思うがそれがカッコいい。

朝食は豆乳飲んだのみ。テレビで国母和宏問題。
国母、鶴岡法斎ソックリで笑う。

しかし、もともとスノボってのはヒノマル背負ってやるスポーツ
ではあるまいに、と思う。
デーブ・スペクターがさすが本質ついたこと言っていて、
もともとスノボを競技の中に入れたのはオリンピック委員会が
若者の興味を集めようという商売根性からだ、と。

私も全く同意見。
むしろ、オレはチームの一員なんかじゃねえぜ、オレ様なんだぜ、
という意識を常に持っているのがプロスノーボードの世界の
常識じゃないのか。そう考えれば、あの国母の行動も態度も
当然のこと。悪いのは商売を考えてそんなオリンピックの美学に
は合わないスポーツを競技に入れた方である。

ここで頑張って雪辱果たすという意識が彼にあるか、疑問である。
むしろやってらんねえ、と投げたすべりをして、
「オレを受け入れようとしなかったオリンピックで、渋いすべり
が出来るか」
ってことを、アピールしようとするんじゃないか。
その方が“渋い”と思う。
まあ、そうであれそうでなけれ、これで国母出場の試合の視聴率は
確実にアップしそうである。

12時、母の室での朝食はもういつものごとく。
豚の生姜焼き、もやし炒め、マッシュポテト、ワカメの味噌汁で
ご飯一膳。

テレビで国母の件につき何やら。街往く人にインタビューしていたが、
20代30代が“礼儀をしらない”“国の代表なのに”とキツい言葉を投げ、
50代60代が“若いんだから、これくらいいいんじゃない?”と
逆に擁護しているという結果がオモシロイ。

某テレビ局から出演依頼、とりあえず来週打ち合わせ、OKなら
再来週にもう収録というあわただしさ。
さらに別の某番組からも電話。こっちは電話でのインタビューのみで
いいそう。

3時、新中野駅前ベローチェ。Fさん打ち合わせ。
これまでに比べて格段に話が整理されてわかりやすくなった。
勧めてくれた割烹店、なかなかよさそう。
今度行ってみるか。

帰宅、電話一本、先走るなよ〜といった感じ。
寒いので風呂を再度沸かし、二度目の入浴。
玉置宏氏死去の報。
1970年代半ばに、よこたとくおの『タマオキくん』という
マンガがあった。おあいそよろしくニコニコとお世辞をふりまいて
オトナたちを煙にまく子供を主人公にしたマンガであり、タアイ
ない作品だったが、子供たちの間でまで、相手をヨイショしまくる
存在として、玉置宏の名前は浸透していたのである。

文化放送の男性アナウンサー第一号、しかしすぐ歌謡ショーの
専属司会者に転身。1950年代、地方を回る歌謡ショーが
歌手の一番のドル箱であり、腕のいい司会者は引っ張りだこで
あった。そして、その仕事先はやがてテレビへと移っていく。
「一週間のごぶさたでした」
というキャッチフレーズは彼の代名詞、というよりテレビ番組の
司会、もっと大きく言えばテレビという存在そのものの本質を
ついたセリフであったと思う。

テレビ草創期の司会者に個性豊かな顔ぶれが揃っていたのは、
まだ生放送が主体で、ショー形式番組のノウハウも局にはなく、
アナウンサーは単に司会役であるばかりでなく、その場その場の
状況を見渡しながら番組を仕切り、盛り上げ、演出する、
ディレクターの役目も持っていないといけなかったためである。
今のように観客がテレビ慣れをしていなかった時代には、
ある種のカリスマを持った人間が、その場の何百人という群衆を、
ある時は扇動し、ある時は鎮静させる必要があったのだ。
さらには、放送機器がまだ未発達の中、どんな会場でも聞き取り
やすく、また、聞いてすぐ、それが司会者の声だとわかる声の
個性が必要だった。多くの司会者がキャッチフレーズを持って
いたのは、その場にいる大勢の観客に”誰が仕切っているか”を、
まず確認させるためだったのだ。

子供にまで知られる玉置宏の名調子の、ヨイショとさえ思われる
過剰な言葉のバリアーは、どんな地方のどんな舞台でも、
その声に包まれることでそこをホームとしてしまうという効果が
あった。
これは以前、あるトーク番組で言っていた
「口をあけると舞台上で蚊柱が口に飛び込む」
ような場末の劇場で、出演する歌手たちの気分をどう盛り上げて
いくかという必要性から生れたものだろう。

そんな歴史を通ってきた玉置氏にとり、番組と言うもの、さらに
言えば放送文化というものは自分の存在とイコールのものだった。
自分が全部作り上げたものだ、という意識すらあったかもしれない。
そこに陥穽があった。晩節に影を落とすことになった落語音源の
著作権違反問題だが、玉置氏の意識の中に、悪意または犯意が
あったとは思えない。そこにあったのは、自分の好きな、集めて
きた落語を皆に紹介し、共に楽しみたいという意識だけだったと思う。
もちろん、落ち度は落ち度。
とはいえ、それを”落語を食い物にしている“という激語で罵倒し、
人格を貶めることが、果たして本当に落語のためになることだったか。
落語ファンを喜ばせることだったか。
私が言うことではない。その結果というのは、彼を批判した相手の
ウィキペディア項目で確認していただきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%88%B8%E8%B2%9E%E5%90%89

ご冥福をお祈りする。

手揚げ油揚と絹豆腐、豚バラ、水菜で重曹湯豆腐。
手揚げ油揚がおいしかったので、残りのものを焼いて
大根おろしで。

氷結小一缶、黒ホッピー。
与謝野馨氏による予算委員会集中審議の模様などを
YouTubeで見ながら。
見る分には非常に面白いが、こういう攻め方でいいのかね。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa