8日
月曜日
検索商売
グーグルのこと。
※原稿書き
朝10時起床。
現在、寝床読書は渡辺保『江戸演劇史』(講談社)の上。
トイレ読書は雑賀恵子『空腹について』(青土社)。
どちらも面白すぎて困るほど。
『江戸演劇史』の方は講談調、というか小説調の筆致が痛快で、
冒頭の第一行が
「慶長三年(一五九八)八月十八日午前二時、伏見城において豊臣秀吉が
六十三歳の波瀾の生涯を閉じた」
という張扇を鳴らすようなテンポ(午前二時、とつけるところ
がいい)で始まり、
「この激動の時代の風潮を一身に背負って疾風の如く一気に駆け抜けた
男がいる」
「その美しさに満員の観客は“生きるは死ぬるは”と叫ぶ声、そのどよめき
雷のようだったという」
という、学術書としてはいささか通俗に過ぎるのではないかとさえ思われる
表現ではあるが(“そのどよめき雷のようだったという”のこの“雷”は当然、
“ライ”と読まなくてはならぬだろう)、目で追うだけでも快感がある文章
が続く。学術書として破天荒なのは取り上げた逸話のことを
「もとより俗説にすぎない。しかしこの伝説の表象しているものこそ
勘三郎の舞台の本質ではないだろうか」
などと重要視している部分が多くあることで、瑣末な部分の考証に
キュウキュウしているような多くの学術書とは一線を画している。
500ページを越える大著で上下2巻、まだまだ楽しめると思うと
嬉しくて仕方ない。
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一方の『空腹について』は再読だが、農学者であり社会思想学者である
著者の透徹した目と、ときにあふれかえる文学的表現のギャップが
無味乾燥なデータの引用時でさえ、奇妙な文学的興趣をこちらに覚えさせる。
とにもかくにも、普通人間存在を考えるときには“食べる者”という方向性で
考えるところを“空腹になる者”という、正反対のベクトルでとらえた発想が
秀逸すぎ。
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朝はコーヒーのみ。
昼は母の室でパイコー麺。揚げ肉にニンニクをまぶしたそうで、この
焦げがちょっと苦かったが、しかしやはりニンニクは美味。
原稿、今日は最初から開き直って、先の〆切りのものをやる。
とりあえずこれを終らせてしまって、背水の陣を引くつもり。
いや、筆が進むことだと苦笑する。こういうときには素材の方で
向うからどんどん飛び込んでくるという感じ。
朝青龍がハワイに行っていることに道徳的潔癖症な日本人たちは
おカンムリの様子だが、正直言ってどうでもいいじゃないか
と思う。ここまでやるのは、要するに日本人の、モンゴル人横綱
に日本人力士がついに勝てなかったことに対するやっかみが
心理の裏にあるとしか思えない。内なる差別感覚に鈍感な
奴らに礼儀だの品格だの言われる筋合いは朝青龍にもないだろう。
原稿、書き進めて熱が入って、入浴時間が延びる。4時ころ、
あわてて風呂を使う。
ソニー・リーダーでもキンドルでもいいが、防水処理がされて
風呂に入りながら読めるのであれば買ってもいい。
執筆続く。
7時、気分転換にサントクで買い物。
ずっと座りっ放し(ここ数日)だったので食欲わかず、
つまみ類ばかり。
帰宅してまた執筆、10時半、筆を措いて飯。
オクラおろし、ササカマ、キウリ漬物。
ご飯温めて、ノリ佃煮と青唐辛子味噌でパック半分。
以上で黒ホッピー二杯。
そのあと、鮭トバで缶チューハイ小一本。