29日
日曜日
快楽亭レポート
『聖水番屋』、オチを聞く前にわかっちゃったけど、プレコグ?朝6時45分起床、K子が早起きをするからつきあって……と思っていたら、今日は日曜で簿記の学校が休みで彼女はずっと9時過ぎまで寝ていた。
入浴してカカトをヘンケルのカカト削りで削る。カカトの皮を削るという無粋な行為なのに快感あるのは何故か。9時朝食、昨日と同じトマト(と、タマネギとセロリとジャガイモ)のスープ。日記つけ、メールやりとりしばし。ザッピングしながらテレビのニュース見るが、各局とも扱うニュースが全く同じ、報じる順番まで同じ。何か協定でもあるのか。
弁当家で使う。味噌汁が欲しいなと思い、冷蔵庫の中を探したら大根があったので、大根の千六本で。カツオだしがないのでパックのカツブシでとる。タラコと卵焼きがお菜。
少し仕事して、2時半、家を出て渋谷へ。車中電話、大島のHさん。すでにアルコールが入ってる感じで、
「俊ちゃん? いま、山の上ホテルに知りあいの結婚式やってるんだ。来ない?」
と言ってくる。
「7時くらいなら行けますよ」
と言うと
「7時じゃダメだよ、俺もうべろんべろんになってるよ。今、来られない?」
と言うので、先約あるので7時に、と言って切る。Hさんはいい人物であるが酔っ払いはどうしようもない。
タクシーの運転手さん、“山の上ホテル”に反応して、
「お客さん、作家さんですか」
と聞いてくる。
「こないだ芥川賞作家さん(名前言わず)乗せたときにやっぱり山の上ホテルの名前が出ましてね。お客さんもカンヅメとかされるんですか?」
「いや、私はカンヅメは苦手で」
「あ、その作家さんも言ってましたね。だいたい、カンヅメ好きな作家には二通りあるんだって。籠もって原稿書く人と、友達呼んで騒いじゃう人と、って」
私はこういう会話は情報収集と思っているのでいろいろと話を聞き出す。
「その作家さんに、“本を書くと儲かりますか”と聞いたら、“君ね、作家が一番儲かるのは、書いたものが映画化されたときなんだよ”と答えました」
とやら。呵々。
3時、渋谷公園通りクラシックスにて東京中低域ライブ。水谷さんに招待受けている旨、伝えて入る。マイミクのけつまんさんこと松本健一さんに挨拶。
「今度また三十朗さんと飲みましょう」と伝言預かる。コバーンは人気あるなあ。
50席ほどの椅子席はすぐに満員、立ち見も出る盛況。和服姿の女性が目立つ(数組、いた)のは何故か。やがてメンバー(域員)登場。水谷さんも元気そうなのでホッとする。実は昨日の朝に
「突然ですが退院しました」
とメールが来たという状況だったので心配したのだが。
オープニングは『キャラバン』〜『ボレロ』で、いきなり小田嶋さんのソロでバリサクの魅力炸裂。体にずーんと響きながらも軽みのある、東京中低域独自の世界にこちらを引き込む。新譜『十一種』のオビを頼まれているので、どうここの魅力を表現するかを考えながら聞いていたがもう、半ばからはただ、空気の振動の心地よさに身をまかせるのみ。『グラスホッパー』『ワルツメドレー』そして『サンフランシスコと違う街』のバリサク伝言ゲームに笑って、ノって。
水谷さんの脱力系トークも、たぶん病み上がりで体力がない分、より力が抜けていて笑える。
「入院中、ずっとテレビで相撲を見てたけど、あの行司の掛け声が“田中! 田中!(域員の田中邦和)”と聞こえて」
などというまったく意味のない話題、それから新メンバー紹介で
「……やめないでね」
と情けない言葉をかけるのも可笑しい。
「ずっと一緒にいられるよう、呪文をかけてますから」
に満場爆笑。ただし、満員立ち見の盛況故に、いつもの、メンバーが演奏しながら客席を回るパフォーマンスは控えめ。これは残念。
中入り(とは言わないか)に水谷さんに挨拶。ハネて(とは言わないか)から松本さんにさらに挨拶。そこからタクシーに乗り、山の上ホテル。途中でHさんから
「まだ?」
と電話かかる。すでにかなりまわっておいでのようで。
ホテル到着、601号室。このホテルは5階建てだが、一室のみ、階段で上がっていく特別室があるのである。部屋に入ると、花嫁衣装に身を包んだ新婦と、白シャツに何故か下はジーパンの新郎、そしてHさん、その彼女、そして新郎の兄と友人。Hさん、
「ホントに来てくれたね! ありがとう」
と握手を求めてくる。会うのは10年ぶりくらいか。さすがに老けたが、ダンディぶりは変わらず。
新郎新婦、その他若い連中は
「わー、ホントにカラサワセンセイだあ」
とか言ってはしゃいでいる。Hさんは電話でテレビに出ている著名な友人を呼びつけて彼ら若い連中に面目をほどこしたわけ。まあ、それも結構。
Hさんの友人の息子の結婚式らしい。すでに4次会くらいになっているとのことで、新婦以外全員ベロベロ。この部屋はモーツァルトの間だとかで、巨大なスピーカーが備え付けてあり、モーツァルトのCDが聞ける。さすが山の上ホテル、と思っていたらさらに、ホテルからシャンパンの差し入れがあった。Hさんの彼女がここのホテルの先代社長と知りあいで、ここでは顔らしい。先代社長は東北出身で、従業員にも東北の人間しか雇わず、それゆえに東北人特有の細やかなサービスが特長だったという。Hさんとその彼女と一緒に一階のバーに行く。
腹が減っているところに酒ばかり入ると酔いが回ってしまいそうだったので、お勧めのクラブハウスサンドイッチと洋風雑炊を注文。雑炊は大したことなかったが、クラブハウスサンドイッチは確かに自慢するだけはある味。これは、これを食べるためにまたこのホテルに来る価値アリ。
Hさんは若い連中によほど信頼されているらしく、
「俊ちゃんとじっくり飲もう」
というのでバーに移ったのに、新郎が裸足のままで降りてきたり、その兄夫妻や友人たちがひっきりなしに来て話しかける。話を聞いてもらいたいらしい。みんな、高級そうなスーツに身を包んだ金持ちのボンボン風。しかし職業を聞いてみるとフリークライマーとか、まあよくわからないものが多い。フリークライマー氏、私と握手して
「わあ、柔らかくて何にも仕事したことないような手ですね」
という。いやあ、たぶんキミの100倍くらいしているよ。
新郎のお兄さん、Hさんに熱く語る。
「Hさん、オレらのやっていることを見てくださいよ。オレら今の若いモンは凄いと思うんスよ、マジで。日本変えられるんですよ、オレらの力は」
「そんなら俊ちゃんに頼めよ。彼はテレビとか出ていて凄いんだから」
とHさん言うと、
「テレビ出ていることが凄いんですか」
と、ちょっとツっぱってみせる。
「問題は実力なんじゃないスか」
と言うから、ワキから口をはさんで
「いや、確かにテレビ出ることと実力は何にも関係ないよ。でも、君たち、Hさんに認めてもらいたいんだろ。それは、所詮自分たちの認識の中だけでの実力というのは第三者的に認められたものじゃない、という意識を持っている、つまり自信がないからだよ。自分たちに力があると思うなら、それを親戚とか知りあいの力を借りずに世に問うて、どこまで通用するものかを身を以て体験して、初めて自信というものになって返ってくるんじゃないのかな」
とちょっとキツく言うと、ややプライドを傷つけられたようで、
「でも、オレ、『ガロ』のファンなんですけど、あの雑誌に描いているマンガ家って、ジャンプとかスピリッツに描いている人よりよっぽど実力あると思うんスよ。でも、世の中から言えばマイナーなんスよね」
「うん、そうだと思うよ。僕も『ガロ』に描いていたけど」
「え、そうなんスか」
「でもね、ガロ系の人って、本当はあそこを踏み台にしてメジャーになって行かないとダメだって、これは長井勝一さんがしょっちゅう言っていたことなんだよ。みうらじゅんさんも安西水丸さんも南伸坊さんも杉浦日向子さんもみんな、ガロ出身でメジャーに行っただろ? 永島慎二さんなんかはガロやCOMで描いていては自分の本当の力がわからなくなる、と言って長井さんの励ましを受けて梶原一騎と組んでメジャーで人気作家になった。晩年の長井さんは作家さんたちがみんな、ガロを出て行きたがらなくなったことを嘆いていたんだよ。そこから出て行かないってことは外にガロの名前も広がらないってことだからね。外に出るってことは競争原理にさらされるってことで、確かに怖いけれど、その怖さに立ち向かえるのが本当の実力だと思うね」
「……」
その会話聞いてHさん、
「いや、俊ちゃん、こいつにいい話、ありがとう。でもね、僕はこういう生意気な若いのが好きでねえ。若い者は生意気くらいでなくちゃ」
そう言ってとりなし、また彼は酔眼を据えてHさんに熱く何やら語っていた。この人が若者にカリスマ的なのはこういうつきあいのよさがあるからだろう。私にはそこまでの親切心ナシ。大人の酒の席に、おごってもらうこと前提でのこのこ割り込んでくる時点でダメだと思う。
彼に
「君、今いくつなの?」
と訊いたら
「36歳ス」
と。若くないじゃねえか。36になってオレら若いもの、とか言っていちゃいけねえ。
しばらく黙々と酒を飲んでいたら、さすがにHさんも彼のクダ巻きに辟易したか、
「俊ちゃん、三人(彼女コミ)で飲み直そう。新宿にいい店があるんだ……」
「いやHさん、今日日曜だから多分その店、休みだよ」
「あ、そうか、日曜か。じゃ、銀座に行こう」
「銀座も日曜は休みだって」
Hさんの彼女が
「じゃ、『山の下ホテル』に行きましょう」
と提案。彼女の家がこのホテルの下のところにあるんだそうである。
なおもついてきたがる若いの二人を突き放して、西神田のビル。一階が浮世絵などの古美術展で、その奥がバーになっている。もちろん、日曜は休みなので彼女(Sさん)が水割りを作ってくれる。Hさんご機嫌で、もうクダ巻きで何度も何度も同じ話。話がクダを巻くごとに少しづつ変わっていくのが面白い。そのあいまに握手と抱擁と、銀座行こうよ、日曜だから休みですよとの繰り返しあり。
Sさんの話も聞いたが、彼女の旦那さんはシップドクターで遠洋を回り、年に一回しか返ってこない、という。息子もいま、慈恵医大で医者を目指しているのだそうな。御本人はどこだったか失念したがアメリカの航空会社の社員として務めていた時代に、そこのパイロット全員にプロポーズされた経験を持つという。世界が違うというか何というか、ちょっと反応に困る。
彼女の甥だかなんだかで、アメリカの大学行っていて、いま日本でJ−WAVEのDJのオーディション受けに来ているという子に電話をかけて呼び出す。やってきたジョージという子(マジにそういう名前)、20歳だというが、まあさっきの自称若い者、よりは数等マシ。目標をDJオーディションという具体的なものに絞っているからだろう(そう言えばさっきの36歳はついに最後まで自分がどういう“凄いこと”をやっているのだか言わなかった)。
デモテープを聞いてみるが、なるほど達者であるがせいいっぱい背伸びしてDJっぽくしゃべっている、という感じがある。ちと気付いたところをアドバイス。
「声、凄いラジオぽいですね」
というので、実はラジオ番組、いまひとつ持っていると言ったら、驚いていた。
Hさんが腹が減ったというので、これまたSさんの知りあいがやっているという近くの中国ラーメン『揚州』に行く。ラーメンの他、餃子やシューマイなどいろいろとってHさん、ジョージに勧めるが、彼はさっきもうメシを食ってしまったから、と固辞。ここらへん今どきの若い子で、何度勧めても固辞、またビールも“酒がダメなので”と断る。ちょっとHさん、ムッとしたようだった。この年代の人は、“若い子というのは飢えている”という先入観があり、若い子に御馳走してガツガツ食べるのを見るのが好き、というところがあるのである。
いつの間にか12時半、Hさんが眠くなったというので解放される。正直、ちょっとホッとした。夜道を少し、ジョージと話しながら歩き、靖国通りでタクシー拾って帰宅。いつもの一日とはちょっと調子が違って、気分転換にはなった。仕事ははかどらなかったが。