18日
水曜日
偽善者操業
社長がいい人のふりをしてお世辞をふりまき、なんとか経営を成り立たせている会社のこと。朝7時、起床。
腹が減って目が覚める。もっとも、皿数はたくさん出たが昨日の晩、量はそんなに行っていない。呆れるのは、見た夢が、昨日西玉水で切り落とされていたクジラ肉をうまい具合に調理して出してもらったのを食べる夢だった。われながら自分の意地汚さに呆れる。K子と連れ立ってホテル1Fのレストランでモーニング。
ベーコンとフライドエッグ、クロワッサンにブドウ。新聞数紙チェックできるのはホテルのありがたさ。当然と言えば当然だが産経新聞がホリエモン叩きがキツい。産経抄など、光クラブの山崎晃嗣に彼をたとえて暗に“死ねば?”と言っているようである。それにしても吉川ひなのというのも男運の悪い女だ(IZAMってどうしちゃったのかな?)。
荷造りして(私はそもそも一泊なので荷造りというほどの荷は持ってきておらず)新大阪駅へ。
土産物街で551蓬莱の肉まんを買おうとしたがまだ開店しておらず。仕方なく蓬莱本店のぶたまんを買う。
9時53分ののぞみで東京へ。車中『狂気とバブル』(パンローリング)読む。大衆心理の巻き起こした愚行録の古典だが、版元は素人向け株式投資テキスト本の専門出版社で、読みどころは第一部の経済バブルの章だろう。18世紀フランスを襲ったミシシッピ開発会社への投資バブルとその崩壊の顛末。あまりに今読むにはタイミング良すぎの気が。人間というものの愚かさは永遠に変わらない。このパンローリングという会社は株式投資をあおるような本を山のように出しているがが、こういう本まで訳出するのは罪滅ぼしか。
11時半、車中でうなぎ弁当を食う。東京風と違い、蒸さずに直焼きしたウナギをタレをまぶした海苔飯の上に載せ、錦糸卵と紅生姜、山椒の葉が散らしてある。タレの色が濃いので味も、と思うがそれが薄味でしつこくなく、鰻の脂とよくマッチして、折り詰めにギュウギュウに詰まった飯は多すぎないかと思っていたのだが、ぺろりと胃の腑に収まってしまった。
携帯に電話あり、アスキーの旧知の編集者さんから久しぶり。十年前出した本を春に改訂新刊で出したいというお話。非常にありがたい仕事で結構。打ち合せをしたいのでマネージャーに連絡を、と言っておく。
思い出したが昨日の行きの車中でも、世界文化社のD女史を通じて、『東京中低域』の新譜にオビ文をぜひ、とのありがたい申し出があった。
新幹線の中でかかる電話は縁起がいいかな?12時半、東京着。
中野の仕事場に行くK子と別れてタクシーで渋谷へ。六花マネにおみやげ渡して、いろいろと仕事の話。能登と金沢でのトークの打ち合せのことなど。
新規のところから講演の打診(まだ打診状態)あったとか。そろそろサイトに講演用の資料を乗っけねばなるまい。フジテレビから入金。
『トリビアの泉』のバイザー料だが、額がちょっといつもと違う。あれ、と思ったら、アメリカ放映分のものだった。へえ、ちゃんと入るんだとちょっと感心。こないだ春菊との電話で、彼女がアメリカ行ってテレビをつけたらトリビアをやっていた、という話になって感心されたので、
「でも、あれ、私には一文にもならないんだよね」
と言っていたが、これは訂正せねばなるまい。もっともまあ、かわいそうになるくらい微々たる額ではありますがね。
ツチダさんにメール書いて送る。5時、時間割に六花マネと。
メディアファクトリーSさん、東雅夫さんと打ち合せ。『幽』に持ち込んだ企画の件。前後して大きい企画が動く予定なのだが、その中心になるものに関連させて、夏の『幽』を使わせてくれまいかというお願い。幸い好意的な反応を得て、大いに自信つく。
また、ペンディングになっていた某企画も
「あれもそろそろ……」
と軽くハッパかけられる。これで今年から来年にかけて、これらの企画が動き出せば、“トリビアの次”の準備がやっと整ったということで、こちらも安心できるのだが。時間割を出て、六花と別れ、仕事場に戻って雑務片づける。
7時半、タクシーで東新宿。幸永においてIPPAN、しら〜、I矢、談之助、植木不等式の各位と、と学会トンデモ本大賞に関しての会合。今年も開催は千代田区公会堂であるが、なんとあそこの会場、今年限りで閉館だそうだ。来年はイイノホールを押さえてあるのだが、
「押さえておいてよかったですよ」
とIPPANさんつくづく言う。まぎわで知ってドタバタしても、なかなかいい会場というのは押さえられないものである。と学会もまだ運には見放されていないようだ。植木さんが進行台本の叩き台を作ってきてくれたので目を通す。
私は今回は司会を談之助さんに譲ったので楽、とか思っていたら冒頭のナレーションを担当。ワイワイ話しながら極ホルモン、豚骨たたき、桜カルビなどがっつく。少し食欲が暴走気味。
ホッピー三杯飲んでフラフラになり、タクシーで帰宅。半身浴も何もあったものでなく寝る。