17日
火曜日
モーオタで首を絞める
お前は一人だけ仕事を放り出してモー娘。のコンサートに行って、さぞ楽しかったことだろうねえ。朝7時起床。
日記つけ、メールチェックなど。入浴、9時朝食。
ニンジンのスープとミカン。
「果物から生野菜に替えない?」
と言われたが果糖を朝、体に取り込みたいから食べているのである。
ライブドアの騒動をいろいろチェック。アサヒ芸能の〆切を一日延ばしてしまったがこんなニュースが入ってきたというのはかえってよかったかも知れぬ。
メールやりとり等で午前中は暮れる。『社会派くんがゆく! 維新編』は発売直後に紀伊国屋で50冊、ネットで200冊ハケて、これまでのシリーズ中一番の伸びを示しているとのこと。まずめでたし。
12時半、家を出て仕事場へ。
打ち合せしながら弁当(シャケ粕漬け)使う。それからすぐアサ芸にかかる。
今日は4時03分の新幹線で大阪なので、3時までにはアゲねば、と思いつつも雑用多く、結局アゲたのが3時15分。
荷物持ってタクシーに飛び乗り、東京駅へ。お堀端で渋滞に引っ掛かりイラつくが、なんとか10分弱の余裕で到着した。ホーッと息をつき、大阪までの3時間を寝て過ごそうと缶ビール小買って飲むが、窓外の景色にみとれて、結局名古屋過ぎて少しウトウトした程度。西へ西へと走るので日がなかなか沈まず、夕暮れの景色をずっと眺めていたのであった。暮れそうで暮れない黄昏時の景色は私の最も愛するものなのである。
車中古いミステリ短編集など読む。黄金時代というのはカスみたいな作品でもちゃんと通用した、という時代でもある。そこがよろしい。6時40分、新大阪着。
スイスホテルに直行、K子と落ち合ってすぐ出て、宗右衛門町『西玉水』。今回の下阪は(ナイショの一件を除き)ほぼ、“クジラを食う”ためにのみ。
などと書くといやに豪勢っぽいが何、いや、時間がそのギリギリしか取れない貧乏旅行なのである。ぺぇさん、えふてぃーえるさんも加わって、四名でカウンターに陣取る。西玉水、すでに常連客。初めて行ったのはもう10年も前になるかも。月日の経つのは早い。
突き出しが氷頭なます、それからイワシクジラお造り。口の中に入れるとすぐトロけて形を失うほどの熟成の素晴らしさを味わう。それからベーコン。もちろん、市販の赤く着色したベーコンなどとは同日の談に有らず。とはいえ、最近このベーコンのありがたみさえ薄らぐのは、生サエズリというものがメニューにあるためである。要するに鯨タンであるのだが、クジラの舌というのは下あごにくっついて動かないため、筋肉が退化してスポンジのようになっている。その分、旨みが全て吸収されているわけである。口に含んだ感触はとても哺乳類の肉とは思えない魔法の国の食い物のような触感と味である。
噛むとにじみ出る旨みが、舌先から脳の頂点にまで染み渡って快感神経がいきなり興奮しだす。食べ終わって酢みその残る皿を眺めて、はあ、と深くため息をつく。これがもう一皿あったらという幻がチラつく。次の餅鯨の白味噌仕立ての濃厚な旨さを経て次のサエズリと大豆の炊き合わせで、もうたまらず、2人前を四人で分けて食べただけでは足りずに、もう一人前特注して、これはかかえるようにして一人で食べた。
店からは特別の季節料理としてフグの白子汁も出たし、他にK子は鯛の塩焼きなども食べていたようだったが、私はとにかくこのサエズリさえあれば。
「黄菊白菊そのほかの名はなくもがな」(服部嵐雪)
のデンでいけば
「造りさえずりそのほかのメニューはなくもがな」
なのである。
お母さんの作ってくれたゼリーをデザートにしておしまい。おいしい店から去るのは後ろ髪引かれる思いなのだがここでそういうことがないのは、明日のお弁当を作ってもらえるから。
毎度夏はハモ寿司なのだが、今回は冬なのでうなぎ寿司を作ってくれた。うふふふと微笑みながら辞去。
「夏にはハモ用意してお待ちしてますわ!」
との声がかかる。働こう、稼ごう、また来ようと呪文のようにつぶやきつつ、宗右衛門町を歩いてホテルまで帰る。
途中にある『故郷羊串店』というの、ずっと気になっていたがこないだ行ったモンゴル料理『故郷(ノタガ)』と同じ系列か?
メールチェックもなにもせずにベッドに倒れ臥して寝る。