裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

月曜日

恐怖の婚礼写真集

 あの美しい花嫁がこんな古女房に! 朝7時50分起き、先に朝食、それから風呂 を使う。このパターン定着するか?

 昨日とはうって変わった肌寒さ、まだ三寒四温か。三寒四温は春先の傾圧不安定波によるものだそうで体調不良(“傾圧不安定波”という用語、いかにもこっちの体調 を悪くしそうだ)だがそうも言ってられないセッパ詰まり。

『社会派くんがゆく!』対談起こし、原稿用紙にして60枚以上をチェック、書き足し。11時半ころまでかかったがなんとかアゲる。地下鉄出勤、仕事場到着してすぐ 昼食。オニギリ、黒豆納豆、明太子にあさり汁。

 食べてすぐ打ち合わせ、東急ハンズ前ルノアール会議室。植木さん、談之助さんすでに来ている。近くの者ほど遅れる法則。扶桑社Yくんと、新刊打ち合わせ。と学会MLで執筆者募集したところ、かなり積極的な会員からの執筆応募があったようで、 あとは私らメイン執筆者がその穴を埋めるという感じ。

 それから、以前出したものを扶桑社文庫におろす打ち合わせ。これももうかなり前なので、時代のズレが出てしまった。原稿の差し替えが必要。三人、いろいろアイデアを出す。本が出るのは何にしても嬉しいことである。こっちの打ち合わせ終わると著者モードから編集者モードになった植木さんから、書評用書籍を手渡される。

 馬鹿話でもしたかったがみなそれぞれ多忙、そこで別れて仕事場に戻り、メール、電話連絡しばし。関口誠人さんから電話、17日ライブの件。また『読み屋』で出ま する。『創』Kさんからメール、対談の他、特集原稿依頼。

 引っかけメールたくさん。これも手を変え品を変えで、
「あえて言おう、巨乳好きであると!」
 と言うのには失笑、その次に来た
「求められるべき保守主義の姿を語る」
 というのもエロメールかと思ったらアマゾンの新刊宣伝だった。これで
「やはりフェ×チオで男性奉仕が大和撫子のあるべき姿です」
 などという本文だったら傑作なのだが。

 5時、時間割。早めに来ていたおぐりゆかから、『ただいま!』のポスター受け取 る。ポスターケースに、数枚のポスターを一枚ずつ丸めて入れており、
「こうすると、貼るとき一枚々々取り出せるんです」
 さすが劇団の人間はそういうことに詳しい、と思ったら
「昔、選挙事務所のアルバイトしていたときに教わった」
 のだそうだ。バイト経験は積んでいる子だなあ。フロムエーにインタビューされるようになったらネタには困るまい。

 やがてライターNくん、編集Mくん来て、対談に入る。前回の原稿、おぐりとみず しなさんに送って反応ないんで少し落ち込んでいたが、稽古場で
「面白いよね!」
 と二人で盛り上がっていたそうな。なら感想送れーよー、と言っておく。

 さて、対談、今回はククリをどうするかが難しくいろいろアイデア出てまとまらないでいたが、なんとか前倒し分も含めて二回分、デッチあげる。おぐり発言もいいの が出た。あまりおぐりの発言が面白すぎるので、不安になったMくんから
「おぐりさんに頼ってオチをつけるのは二回に一回にしましょう」
 とセーブの指示が出るほど。

 対談終わって稽古場に行く彼女を見送る道すがら、紀伊國屋での私の役柄について聞く。二転三転している模様。早く稽古に参加したいものである。戻ってメール連絡その他。懸案事項いくつか、何かこちらで何もしないでもうまい具合に勝手に回ってくれている感のことあり、ちょっと気分がよろしくなる。二見書房の企画、希望イラ ストレーターさんの絵の見本を送る。

 8時家を出て、おとつい壊れたやつの代替で、さくらやで新しいラジカセを買う。ダブルカセットつきのがあり、今日びもうカセットからカセットへのダビングもしないだろうと思うが、以前使っていたダブルカセットデッキも壊れていたので、つい、 それを選んでしまう。パソコンなどに比べるとしかし安い。

 タクシーで帰宅。途中で山田誠二カントクから電話。問い合わせていた企画の話、こちら主導で進められそうである。結構々々。少しマンションのロビーで長電話。佳 声先生のプロ根性のことなど。

 家でメシ。冷や奴、けんちん汁、銀ダラ漬け焼き、牛薄切り炒め。ご飯はカット。ホッピー一本、ビールグラス2杯。NHK『きよしとこの夜』第一回見る。氷川きよしのパーソナリティはいいが、相棒のグッチ裕三が目立ちすぎ。ゲスト呼んでのトーク番組はもっとシンプルでいい。『今夜は最高!』のシンプルさを見習ってほしい。

 自室に帰り雑事片づけつつ水割り缶一本。DVDでまたまた『キング・コング』前半のみ。何度見てもカール・デナム最高。ゴリラも惚れる天下の美女を前にして、そ れを商品としか見ない。興行師はこれでなくちゃ。私のあこがれ。

 1時、就寝。傾圧不安定波にもかかわらず仕事出来たのは、書き仕事でなく打ち合 わせや対談が主だったせいだろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa