裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

水曜日

ホンダワラ、ホンダワラ、ホンダワラホダワラホーイホイ

 サルガッソー行進曲。朝7時起床。ちびまる子ちゃんをちょっとマニアックにしたような絵柄のアニメ・ミュージカルの夢。朝食はフランクフルトソーセージと黒パンのトースト。果物はポンカン。『クルー』原稿、昨日書いたものを読み返してみて、少し気にいらないところがあり、あっちをこう変えてこっちをこうして、と、手を入れ手を入れしているうちに、ついに丸々書き直してしまう。ネタが新聞マンガで、この歴史を調べると実にエキサイティングで面白く、知らなかった事実がボコボコ出てくるので、つい手を入れたくなる。担当編集者さんが出張中なので、代理の人にメールする。

 鶴岡法斎から電話。内田春菊の話、大和魂の話。“いいポルノ小説はいい小説だがいい小説は必ずしもいいポルノ小説ではない”“いいチャンバラ映画はいい映画だがいい映画は必ずしもいいチャンバラ映画ではない”という話。昨日も睦月さんと話したことなのだが、これを思い違えて、いいポルノを書こうとしていい小説を目指してしまう人、チャンバラを褒めようとして映画として褒めてしまう人、等々のいかに多き。その結果、ポルノ、チャンバラ共に衰退した。大事なのは結局、そのジャンルを成り立たせているところォの本質なのである。これをつかまないとヒットしない。

 その後、新宿に出て、マイシティの一階のチケットぴあに行く。……つもりであったが、ここはチケットぴあではなかった。仕方なく紀伊国屋に行く。驚いたことにここもいつの間にかチケット売場が無くなっていた。時間的に諦めて地下一階の釜あげうどん屋でうどんを食い、書店とアドホックのマンガ売場で、書評用本何冊か。マンガ売場で私の『スゴいけど変な人』、春菊の『わたしたちは繁殖している4』と並べられていた。

 紀伊国屋地下のDVD売場でも、数枚買い物。昭和38年放映の『宇宙Gメン』のボックスが出ていた。なんとまあ、古いものを、と、古いものキチガイとしてすぐ買う。それから鶴岡から“三池崇史批評するならこれ見とかないとダメです”と教えられた『デッドオアアライブ』。確か昔、映画会社から三池作品数本まとめてビデオで送られてきた中にあったと思ったが、ケースに題名が書かれていなかったので、もうどこかに埋もれてしまって見つからない。

 帰宅、週刊読書人マンガ批評コラム。最終回は何を取り上げようか迷うが、結局、倉田真由実の『だめんずうぉ〜か〜』。2枚弱の原稿、書き上げたところでチャイムが鳴り、講談社Web現代のYくん、Hさん、Wくん。時間割に場を移して単行本第2巻の打ち合わせ。Hさんは倉田真由実のこないだまでのダンナさんである。別にそれだから『だめんず』を取り上げたわけではないが、表面裏面から話を聞くとなかなかオモシロイ。次の単行本の構成をどうするか、の話。これも社内の裏話がいろいろあって、裏者的には興味深いがソレが自分の事に関わってくるとなると単純にオモシロがってもいられない。

 打ち合わせ後、また仕事場へ戻ってYくんに図版資料を渡す。開田さんの画集なども渡して、書影載せてくれるよう頼む。私はさらに仕事。狂牛病2頭目が発見されたとのことで、ニュース持ち切り。困ったこっちゃ、である。政府の安全宣言がまた、ウソであったということになる。幸永でも、こないだまで貼ってあった安全宣言のビラをはがしてしまっていた。かえって疑心暗鬼を生ずると判断したためだろう。週刊ポストの『シュレック』評書くがなかなか筆が進まず。

 7時半、外苑前へ。談之助さんと冬コミの立川流同人誌の構成打ち合わせ。K子とユキさんも来て、この近くの『蟹漁師』という店でカニを食いながら。志ん朝師匠がいかにおかみさんに苦労していたか、という話などを聞く。落語界に残る“おかみさん”という制度(制度といっていいほどのしきたりや制約がある)の話を聞いていろいろ驚く。それに公然と反発したのが談志家元のおかみさんだったそうな。さるにても、談志のモダンぶりは当時の落語界をいかに震撼させたか、と思い、ニヤつく。談志がそれだけの革命児でありながら、今、古典落語の最後の砦足り得ているのは、彼が“古典落語”というものの、犯すベからざる聖域というものをきちんと心得た上で改革を断行しているからだろう。聖域なき構造改革は小泉首相だけで結構。落語も怪獣映画も、“原点”をきちんと把握しないままに突っ走ると、最初こそ目新しくとも結局、迷走した末に立ち消えになってしまう。円丈さんの新作革命は、彼が円生門下できちんと古典を叩き込まれた末に生まれたものだからこそ、根付いて今に発展して いるのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa