裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

木曜日

こりゃまた割礼いたしました!

 ユダヤでない? ユダヤでない。朝7時20分起床。いや、全身肉臭い。天気晴朗精神溌溂という感じ。昨日はドガチャカが過ぎて、講談社のYくんに渡すはずだった図版もそのまま忘れて帰ってしまった。朝食前にメールしておく。朝食、カキにヨーグルト、温州みかん。コーヒー飲みながら、開田さんにいただいた画集を見る。ウルトラQ世代には悶絶失禁もの。本放送で見たのと同じ構図、と思わせて、どれも微妙に異なる。つまり、怪獣世代の頭の中での理想化が加えられているのである。絵のテクニックだけを言えば、これから若い人で開田裕治よりうまい人はいくらも出てくるだろう。しかし、ダイレクト怪獣世代の怪獣にかける情熱の密度は、1953年生まれの特権であって、彼を超える者はまず、出てくるまい。自分は貰っておいてナンであるが、これは4100円、安い。買うべし(『ウルトラQ 開田裕治画集』角川書店)。それぞれの絵に添えられている小林晋一郎さんの詩のようなコピーのような文章、力作であるが力あまって文語と口語がところどころ入り交じってしまっているのが惜しい。“赤き軍神の星より贈られた○○”などはいかにもスワリが悪い。“贈られし”または“贈られたる”としなくてはいかんところである。

 SFマガジン新連載でイラストと画面構成を担当してくれる大竹浩介あらため井之頭こうすけ氏(姓名判断でつけてもらったそうである。若いのにジジむさいことをする人である)の絵がメールで届く。ポップな出来に大満足、やっぱりこの人、天才だわと思う。なんか最近、あちこちで私の回りの状況、面白くなりはじめているんじゃないか? と感じる。アスペクトからもメール、『社会派くんが行く』、書店での注文状況、かなりのものとのこと。部数は『すごいけど変な人』に比べサブカルの現在の平均というところだが、まあこれは版を重ねて取り返していかなくては。ちなみにこちらの表紙イラストは井之頭さんの先生の古屋兎丸氏。世界文化社の世界征服本はDさんがDちゃんに頼むと(日記だとわかりにくくなるなあ)言っている。ふむ、天才さんたちに囲まれている感じですな。

 前書・後書送ったノーザンクロスからも確認電話。今月半ば、上京して幻冬舎(発売元)と打ち合わせ。年末にかけてこれから何かとあわただしいことである。昼は冷や飯にスープかけたもの一杯、モチ二片。時間割にてJCMのMさん、セブンシーズM川さん。これまで試験営業だったガストの一行知識配信、来年から全店に配置されて、一挙に端末数が十倍近くになるということ。やっとオイシイ仕事になるか? それと、別口でちょっと大きめのオタク的事業計画をいろいろミツダンする。商売離れてオタク業界ばなし、三時過ぎまで話し込んだ。

 そこから新宿に出て、銀行により、伊勢丹でちょっと買い物。松竹ビデオショップへ行こうと出たとたん、“カラサワさん!”と声をかけられたので誰かと思ったら、内田春菊だった。俳優だという現在の夫氏と一緒。一瞬、誰かわからなかったほど、以前の春菊とは化粧や服装の趣味が変わっている。確かお腹の子がもう6ケ月めくらいだと思うが、“それほど目立たないではないか”と言ったら、“わたし、ラストスパートでドン、と大きくするタイプなの”って、そういうことあるのか。夫はマンガとかサブカルとかにはまったく興味のない人らしく、春菊がいろいろと私のことを説明してもピンとこない様子。私もこの現在の夫氏という人物がよくわからぬ。

 松竹ビデオショップで、ビデオ数本物色。あれやこれやと買ってレジに持っていくついでに、気軽にもう一本、と加えたら、これがやたら高いやつで、予定していた購入額を大きくオーバーしてしまった。トホホ。帰宅して、土曜のオールナイトのトーク用ビデオを棚から物色する。

 夕刊に『フクちゃん』の横山隆一死去の報。92才。日本のマンガ家の中で一番のモダニストだったのではないか、と思う。私が中学生のときくらいまで、毎日新聞でフクちゃんは連載されていたが、『サザエさん』の泥臭さに比べ(サザエさんの強みはその泥臭さなのだが)、その線の洗練は段違いと言っていいものだった。フクちゃんは代表作とはいえ、『百馬鹿』『人造首相』といった作品の方にその特色はよく表れていて、そのスタイルのスマートさとナンセンスは現在見てもまったく色褪せていない。また、アニメへの興味も手塚治虫に先駆けてもので、名作『ふくすけ』を残している。『フクちゃん』のみで横山隆一が語られるのはいくぶん残念なのだが、それでもその最終回は、極めて印象深いものだった。四コマという形式を取りながらも、ギャグを排した大河マンガ的展開を見せ、でんすけやら、“アカチバラチ”のドシャ子など、他の横山作品のキャラまでが登場して(アカチバラチの意味までちゃんとあかしてくれる。“赤いバラが散った”だそうだ)、一ヶ月かけてこれまで謎に包まれていたフクちゃんの両親の秘密があきらかにされていくという趣向がとられていた。こんなことを新聞の四コママンガでやったのは横山隆一が最初だろう。そういう作品にあふれていたセンスに比べると、漫画集団を率いてのさまざまなユーモアパフォーマンスはちょっと寒いものがあったけれど、とにかく一世の才人であったことは確かだと思う。なお、フクちゃんに関しては下記のサイトがくわしい。
http://www1.sphere.ne.jp/kobataka/manga/hukutyann/hukutyanntop.html

 横山隆一は眠るがごとき往生だったようだが、ジョージ・ハリスンはガンの放射線治療中で衰弱が進み、明日をも知れぬ状態だとか。また、ソニーの大賀社長も脳溢血で倒れたとか。どうも最近、新聞読むとこういう記事が目について仕方ない。自分の健康に不安を感じている証拠か。

 電話あり、来年2月、永田町の憲政記念館で講演してくれという話。私と憲政記念館という取り合わせはどこの誰が考えついたかと呆れたが、このあいだの金沢で御一緒した麻薬覚醒剤乱用防止センターの阿部さんからの依頼であった。ライオンズクラブ相手のものらしい。縁がつながるというのは不思議なものである。

 6時買い物に出て、夕食の支度。8時、メシ。菜の花と鴨肉の鍋、ハタハタ煮付、キュウリとワカメの酢の物。ビデオで橋幸夫『すっとび野郎』。“ビート時代劇”、“股旅ロック”という謳い文句から、沢島忠調のモダンコメディを連想していたのだが、モサい松竹ではそこまでぶっ翔べなかったようで、橋の七変化以外はまっとうな娯楽時代劇になっている(音楽小川寛興。『赤影』ソックリ)。それでも、まだ二十二歳の橋のさわやかな美青年ぶり、まだ精悍な二枚目だった丹波哲郎の好演技が楽しく、ストーリィも起伏に富んで、一時間半、まったく飽きさせないで見せるのは大したもの(監督・市村泰一)。K子が、“登場人物の滑舌が今のテレビドラマの俳優の100倍聞きやすい!”と感心していた。武家の娘役の倍賞千恵子が居酒屋で働くことになるシーンでの口調が、ひえだオンまゆら先生そのままであり、大笑いしながら見た。菅井一郎、宗方勝己、諸角啓二郎、本郷秀雄など芸達者たちの演技がまたいいが、その中の一人で、仏と呼ばれる善人で通っていながら裏では金の横流しで暴利を得ている悪徳商人役の松本染升、『ゴジラ』シリーズ初期などに顔を見せている人であるが、善と悪との腹芸の使い分け、実に達者なもの。経歴をちょっと調べたら面白い人で、兄が新派俳優であったため新派の舞台でデビューし、それから歌舞伎役者に転進、さらに河原崎長十郎らの率いる前進座に移り、そこも退団、映画俳優となって各社の作品に出まくった末、1971年、68歳で10歳も年下の尾上松緑に弟子入りして歌舞伎俳優として再出発、脇役のツボを心得た演技で各舞台にひっぱりだことなり、古典、新歌舞伎、新作、舞踊となんでもこなす人として重宝がられたとある。器用ゆえに一生食うに困らなかったとも言え、器用ゆえに居所が定まらなかったとも言えるだろう。

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