裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

土曜日

早寝ジャバウォッキー

 アリスは健康的生活を送っていました。朝7時15分起床。少しのぼせが来ている感じ。ワインのせいか。朝食、8時。コーンスープとモチ。岐阜薬業組合のKさんから富有柿をいただく。ここに講演に出かけたのも、もう二年も前のことか。と学会年鑑用の図版ブツを段ボール箱につめる。小泉内閣の特殊法人改革に断固反対の道路調査会の古賀誠議員、これが見るだに道路族議員というゴツいツラガマエ、キャラ立ちというのはこうでなくっちゃ、と思う。

 裏モノ会議室で紹介されていた『解放』のサイトをちょっとのぞいてみる。学生のころ、、新宿『模索舎』でこれを立ち読みしては、その時代錯誤的なアジ文体に大笑いしていたものだが、驚くべし、インターネット時代になってもまったく変わっていない。革命用語を駆使してこういう文をスラスラ書くにはかなりの修練が必要なのではないかと思われるが、どこかにアジ文教室などがあるのであろうか。通ってみたいものである。
「わが同盟とその指導のもとにたたかう全学連の学生たちは、十一月九日、ネオ・ファシスト小泉政権が、狂気の対アフガン軍事攻撃を強行する米英軍への軍事的支援をおこなうために長崎県・佐世保港から自衛隊艦隊を出撃させたことにたいして、総瓦解する社・共指導下の既成平和運動をのりこえるかたちにおいて、佐世保現地で断固として実力阻止の闘いに起ちあがった。さらに翌十日には首都東京において、全学連と反戦青年委に結集する労学一千名は、国会とアメリカ大使館に向けての一大デモンストレーションをくりひろげた。
 米英両軍は、アフガニスタンにたいする侵略戦争のゆきづまりを突破するために、アフガニスタン全土にじゅうたん爆撃を加え、狂気の皆殺し戦争を強行している。この米英両国家権力者、さらには参戦に踏みだした小泉政権にたいして、<反米闘争>に決起している全世界の労働者・人民と連帯して、怒りの炎を燃やして反撃の闘いに決起したのだ」
 もうこうなると、『オトナ帝国』の世界である。“ちくしょう、どうしてこんなに懐かしいんだ”と、涙が出そうになった。ノスタルジーサイトだね、こりゃ。
http://www.jrcl.org/liber/l-new.htm#1p

 こんなところをのぞいているうちに2時15分前になり、あわててランチ終了間際のチャーリーハウスに飛び込んで定食。食べ終えて東武ホテル。河北新報と待ち合わせ。いつも通り、そこで待たせてでは時間割へ、と言ったら“あ、日記でよく拝見しているあそこで”。吉例か。で、本日のインタビュー、お題は“シンメトリー”。なんでこんなテーマで、と思ったら“2002年にちなんで”だそうな。なるほど、よく思いついたものだと感心した。フレドリック・ブラウンの『おしまい』(文章が途中から反転して、前後でシンメトリーになる)などのネタは仕込んでいったが、後はアドリブで。シンメトリーな構図は正しさの象徴であるが、日本人はそこにいくばくかの逸脱を加え、完全な左右対称を崩したところに“情”や“乙”といった理知の外の要素を入れるのが特徴、などと話す。裃姿というシンメトリーを片肌脱いで崩したところから、遠山の金さんのお裁きは始まりますよね、などと、われながらよくコジつけること。

 インタビュー終わって仕事場に戻り、『月光(旧ラッキーホラーショー)』の原稿を一本、片付ける。終わって6時、家を出て参宮橋。オリンピック記念センターにて『世界腹話術の祭典』。小野伯父から招待券が送られたので見に行く。この記念青少年センター、はるか25年前に受験で上京したとき泊った施設だが、そのときは古ぼけた建物で、メシのあまりのまずさに仰天した記憶が残っている。改築で、ガラスばりの、科学特捜隊本部が三つか四つ複合したような形状の、やたら未来派の建物に変貌しているのに驚く。ホールも600人以上は入る大ホールで、腹話術なんて細かい芸にちょっと広すぎないか(だいたい、客が入るのか?)と心配になる。

 会場のすみっこに席を定める。小野のデッちゃんが挨拶に来た。娘さんがやたら可愛い子だった。前の席には父と札幌で同級生だった左右田一平氏もいる。それから懐かしや、かつて私が社長をしていた時代のオノプロの社員のナベちゃん(潮健児の付き人もやってくれていて、ハマコンでの地獄大使ショーではXライダーを演じた)も来ている。潮さん亡き後、もう一度芝居をやりたい、と退社していったが、いまも演劇と映像関係で仕事しているそうで、まず、重畳である。後ろの席でいきなり“東洋館で快楽亭ブラック師匠と……”という会話が聞こえたので見たら、桂文福だった。開演までに、客席はほぼ7分の入り。これはなかなか大したものと言える。

 で、伯父の舞台を見る。吉澤忠さんと神山一朗くんのマイムから始まり、伯父が登場して、サッチモ(に見えないけど)人形とかけあいし、歌を歌う。それから合間々々にマイム、そしてチャップリンなどが入り、以前(もう10年前か)の神田公演の時に作った永野のりこデザインの人形や、ガラガラガッチャン、そしてこの人形を手に北海道から上京し、日劇支配人の秦豊吉(丸木砂土)に認められてデビューしたというオペラ人形まで、人形が次々に登場する。というと、にぎやかで結構な舞台のようだが、正直な感想を述べればやたらゴチャついて、まとまりに欠けた印象が強かった。……これが伯父のステージの悪い癖であって、20分程度の舞台に、やたらやみくもにモノを突っ込もうとする。結果、ひとつひとつのものが駆け足になってしまうのである。もう70歳なのだから、舞台に余裕を持たせて欲しい。磨きあげたものだけをかけて欲しい。次から次へとあわただしくいろんなものを見せるものだから、手順を取り違えたり、ピンマイクにハアハアという苦しげな呼吸音が拾われたりする。はっきり言って見苦しい。

 キツいことばかり言うようだが、しかしモッタイナイと思うのである。サッチモ人形とのかけあいの英語の歌は、正直言ってオドロいた出来であった。オペラ人形とのデュエットは至芸と言っていい。最初、てっきり別人が裏で歌っているのか、テープを使ったトリックを用いているのかと錯覚したほどである。どちらも、二人の声が頻繁に入れ代わるうち、どう聞いても二人の声がダブっているように聞こえる(劇場の壁の反響があるからだろう)。観客も驚いていた。これは、どんなに腹話術の技術がある人でも、もともとの人がきちんと歌えないと出来ない芸である。歌える芸人が腹話術の技術を持っているのだからこれは強い。もう少し本格的なレッスンさえ受ければ、本場でも通用する技術だ。なぜ、この二つに絞って、それをたっぷり見せることを考えないのか。これは演出家が不在だからだろう。素材としていろいろとあるうちから、いいものを残して不要なものをそぎとっていく、というのが演出である。そういうブレーンがいない。ついでに言うと、練習量も圧倒的に不足である。アドリブが効く人だけに、アドリブに頼り過ぎる(これは人のことを言えない。そういう血が流れている一族らしい)。いいものがほの見えるだけに、えらく残念だった。

 で、後のドイツやアメリカの腹話術芸もちょっと見るが、通訳のやり方が最悪で、芸の邪魔ばかりしている。結局、途中から通訳抜きになった。やはりコトバを武器にする腹話術に、言葉の壁は厚いというのが現実だろう(その点、忠さんと一朗くんのマイムは強い。空中に停止するトランクのマイムはもはや芸術である)。半ばまで見て劇場を抜ける。K子と待ち合わせて、船山で食事。満席の状況である。四方山のこと、二人で会話しながら9時半過ぎまで。九州の福家書店から、朗読の会を博多でやれないか、という話が来ているそうな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa