裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

火曜日

今日の仕事はデイジーカッター

あとは爆弾を落とすだけ
どうせ どうせイラクの派遣兵
ほかにやること ありゃしねえ

※幻冬舎原稿

朝9時15分、電話で起こされて、入浴し、
半に朝食。
ブドー、リンゴ、カボチャスープ。
おとついの酒が抜けて大快調。鼻歌も出る。
実際、昨日の夕方くらいまでは、死ぬかと思った
ほどだった。

元・光GENJIの赤坂晃、覚醒剤で逮捕。
mixiニュースのコメント欄が異常な伸びを示す。
その一方で、三遊亭円好が自宅で孤独に死亡、15日以上も
立ってから発見されたというニュース
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=327767&media_id=8

には、ミクシィでのコメントはたった一件。しかも
“円楽さんかと思ったが、知らない人だった”というもの。
といっても、昨日も落語家さんたちと飲んだのに
一回も名前が出なかったが。

確かに私も円好の落語を聞いたのはずっと前で、しかもあんまり
いい印象ではなかった。暗い人だな、としか思わなかったが、
すでに病気だったか?(談之助によると対人恐怖症だったらしい。
落語家なのに)

一番この人のことが記憶に残るのは、本の中、前名の梅生という
名で、三遊亭円丈の『御乱心』に登場する。
円丈と共に、仙台へ師匠の円丈と行き、そこで酔った円生から
新協会設立の大計画を聞いて仰天する仲間である。
興奮した二人は、ホテルの部屋から兄弟弟子たちに次々電話を
かけまくる。『御乱心』の中でもかなり緊迫したシーンであり、
兄弟弟子たちの反応はまちまちで、ここで登場人物たちの
立ち位置が読者に明確になってくるという構成だ。
ただ、逆に言うと、梅生は円丈の行動の見届け人みたいな役柄
だったんで、彼本人がどういう意志で当時の事件に関わって
いたのか、いまいち伝わらない。

もともとは円楽の弟子で、円生のもとに前座がいなくなったとき、
引き抜かれる形で大師匠の円生のもとに入った人間だ。『御乱心』
で徹底した悪役にされている円楽だが、一旦は彼を慕ってその
弟子になった人である。その円楽から、新協会設立のはかりごとに
関し、全く信用されずカヤの外に置かれてしまった彼の心理が
どういうものだったか、知りたいところではある。
後に円生が死んだとき、彼は円楽のもとに戻りたいとは言わず、
円弥の弟子になることを望んだ(結局、円生の弟子は全員協会
預かりということになってそれはかなわなかったが)。

同じく『御乱心』で、円生の死の直前、梅生は円丈に言う。
円生が自分の死後、弟子達がちゃんとやっていけるか、
心配していたと。
「“一番心配しているのは梅生、お前だヨ! チャンと
やってけるのか? とマジに聞かれると返事に困りました」
(そりゃ対人恐怖症なら心配するだろう)
結局、梅生の名がマスコミに最も大きく出たのは、円生が
死んだ日につきそっていた、師匠の最後を見取った弟子、と
いうことでだった。

協会に戻って二年で真打。義理を通して協会脱退に従った
師匠円生の前名、円好(ただし円生が名乗ったときの亭号は橘家)
をもらって、きっと満足だったろう。どうもそこで人生の目的を
見失ってしまったようだ。

ネットでその高座の評価を探してみたが、“無気力な噺家”という
のが一件、見つかっただけだった。平成六年の『落語』誌の落語家
名鑑の紹介では“派手さはないが玄人好みのタイプであり、
どちらかというと軽いさりげない噺に魅力を出す”とあった。
要するに無個性、なんだな。

円生は仮にも病院で最善の治療をつくされた末に死んだ。
数人がかりで胸を叩いて心臓を蘇生させようというその治療の
様子を、
「弟子として、師匠がいくら意識不明といっても、あんなに胸を
思いッ切りひっぱたくのを見るのは辛かったですヨ」
と言っていた自分は、マンションで、だれにも見取られず孤独に
死んだ。仕方のないこととはいえ、ちょっと悲しい。

原稿書き、幻冬舎文庫、爆笑問題の『ニッポン犯罪12選』
解説。依頼枚数は5枚から10枚で、5枚でも10枚でも
原稿料は同じ。とはいえ、じゃア5枚、というのでは
あまりにケチくさいので、7枚くらいは書こうと思って
書き始めたら筆が進み、結果9枚半。

書き上げて4時。外はもう、薄暗い。今日は事務所出ないで
おこうかとも考えたが、荷物が届いているかと思い、
一応事務所には出る。届いてなかった。
書庫で資料探し。思っていたもの一点、思いがけなかったもの
一点見つかるが、帰るとき事務所に忘れてきてしまった。
留守録二件、どっちも原稿催促。

ネットにちょっと書き込み、夜バスで帰る。
驚くほどセンスのいいおしゃれをしている美女が乗っていた。
夜バスに乗る客の顔には、みんなどこかにドラマがある。
いや、そう見えるだけだろうが、何かワケアリに見えるのである。
車内でメモ。創作の覚書。

サントクで買い物。
鳥鍋もどきを作るが、ほとんど食べられず。
食欲がないのは、胃とかのせいでなく、今日はもの思い
少なからざる日であったせいだろう。
ワイン半ボトル分と、ホッピー一本。
鳥鍋とワイン、合うようで合わないようで。
終戦の日の、永井荷風の家の食事メニューだったな、これは。

DVD、新東宝の『憲兵と幽霊』(中川信夫・昭和33)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000B63DCK/karasawashyun-22
例の、なをきがスクリーンの天知茂に向かって
「こんな悪いヤツ見たことない」
と口走ったという作品。映画冒頭から、もう悪く、
ラストまでずっと一貫して悪の限りを尽くすのである。

同じワルでも『不知火検校』の勝新太郎にはどこかユーモラスな
ところがあるが、この作品の天知茂は心底陰湿である。
好きな女を手に入れるために、その女の夫をとして逮捕し、
家族に非国民の汚名を着せ、母親を自殺に追い込み、
と徹底して不孝な境遇に追い込んでモノにし、モノにしたかと思うと
すぐ捨てる、といった所業を見せる。ワルというより鬼畜である。
それなのに、その存在が魅力的に映ってしまうのは、人間の奥底に
あるサディスティック感覚を大いに刺激するためだろう。
そして、徹底してクールで、かつ目的遂行の姿勢を
ブレさせないそのキャラクターがカッコいいからである。

監督の演出意図はあきらかにこの憲兵に大日本帝国と天皇を
ダブらせ、国民をだまして捨てた国家の犯罪を糾弾することだった
と思うのだが、あまりにその意図を明確に出し過ぎた故に
反対の結果を生んでしまった。
黒澤明も、『酔いどれ天使』を撮ったとき、テーマは暴力否定なのに、
出来上がってみたら三船敏郎のヤクザがカッコよく見えてしまった、
言っている。悪とは、その本質にカッコよさが含まれている
ものなのである。

天知茂に利用されて最後は殺される部下の軍曹役、三村俊夫
(後の遊星王子、村上不二夫)が印象的。死体は軍用行李に
詰めて海に捨てられるのだが、その捨てる行李が二つというところ、
何も説明なしなのがブラックユーモア。そんな大きな軍用行李は
ないからねえ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa