裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

日曜日

瓜売りが瓜売りに来て浦和レッズ

売り売り帰るレッズファンの声。

※あぁルナティックシアター顔合わせ

朝8時起床。
台風一過、イヤになるくらい部屋の中が明るい。
なのにダルいのは何故か。
入浴、9時朝食。
カップで吸い物、スチューベン、リンゴ。
テレビの映りが今日は殊に悪い。
私の部屋はそんなことないので、これは配線の問題だろう。

ベッドに寝転がって、書評候補の本、二冊読む。
一冊は読了。どちらも題材的には面白いが、イマイチ、取り上げるには
弱い内容。どうするか。
読み疲れて、少しウトウト。
何故か昔、札幌で同人誌作っていた頃の知人のことを思いだす。

コンビニで朝日新聞を買って、掲載されている自分の書評を読む。
今回は『談志絶倒 昭和落語家伝』(大和書房。この書名はもう
ちょっと何とかならなかったかな)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4479391622/karasawashyun-22
ここでは字数の制限で言い尽くせなかったが、
この本の解説の談志の落語に対する姿勢でヒザを打ったのは、
談志が“下手な”噺家を認めていること。私も大好きな九代目
桂文治(トメさんの文治。この本の中ではまだ翁家さん馬)を
「一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても
落語研究会の対象にゃあならなかった」
「新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。
精々チャンバラの世界の両刀遣いであった」
とさんざけなし、その持ちネタである『歌劇の穴』のセンスの古さを
あげつらった揚げ句、いま、誰の落語が聴きたいかときかれたら
「迷わずに言う。春風亭柳好の『棒鱈』とトメさん大明神である」
と断言し、
「そして聴きたい題目(ネタ)は『歌劇の穴』」
と言いきってしまうのだ。

下手な同業者に厳しい談志の言としては矛盾しているのだが、
談志のノスタルジーの中にある、古き良き“寄席”の体現である
文治の存在そのもの、生き方そのものに対する愛が噴出した、
素晴らしき矛盾の言であると思う。いや、矛盾ではないのかもしれない。
以前にも人と話したことがあるが、聞いてるときは“下手だなあ”
と思ってる芸人の方が、二十年たってみると無性に懐かしくなる。
上手い芸人が好き、なんてのはまだ、本当の演芸ファンでは
ないのかもしれない。いや、演芸に限らず……。

昼は握り飯とスジコ。
雑用。笑ってしまう一事件あり。
大和書房マンガシナリオ、最後の一本書く。
中途まで書いて、ややヤバい内容(右方面からの圧力があるかも)
になりかけたので破棄して、別口から書き直す。

笑い絵(春画)についてちょっと勉強。
性的な事物が魔除けになる、という思想は古くからあり、
かつては蔵の中や鎧櫃に必ず春画を入れていた。
火除け、弾除けのまじないである。
これについて、亡くなった杉浦日向子女史は
火除けになるのは春画が“濡れる”ものだから、鎧櫃に
入れておくのは敵前に出ても“萎えない”という意味、とやけに即物的に
言っていたが、もうちょっと深い民俗学的意味があるように思える。
もっとも、尾佐竹猛『下等百科辞典』によれば『鎧色談』の
説を引いて、そういう秘事的な意味を付会するのは妄説で、
単に好色人の趣味、と切って捨てている。

7時より荻窪地域区民センターにてあぁルナティックシアター
『アストロ劇団・ワールドエンド』顔合わせ。
地下鉄で荻窪まで、そこからバスで地域区民センター。
今回はやたら出演者が多く、和室にぎっしり。
鶴ちゃんたちも久しぶり。
今回はホントに顔合わせと劇場の説明くらいで、
台本もまだ出来てない状態。
ハッシーはひげ面で、ちょっとやつれていた。

荻窪のやる気茶屋で飲み。
来年の11月には『バスキア』が再演されるという。
小林三十郎にはまた出て欲しいねえ、と話す。
テリー兄さんに、“私がプロデュースするから、ピカレスク
やってよ”と勧める。10時に店を出て、もう一軒行きましょうと
誘うハッシーにつきあい、近くの寿司屋に大和衛さん引きずり込んで。
ノリでいろんなこと安請け合いしてしまう。
焼酎かなり飲んだ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa