裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

金曜日

お中元東京に現る

パイラ星人から地球のみなさまへ心尽くしの贈り物。

※台湾旅行三日目 白河蓮畑 烏山頭水庫 台北夜市

1時ころ、寒くて目がさめる。
冷房を少し緩めにしていたのだが、
部屋の電源を切ると初期設定に戻ってしまう作りで
あるらしい。南極にいるかと思った。

冷房切って、再度就寝、7時起床。
入浴して7時半、朝食。
朝食はバイキングだが、ゆうべと同じ川魚の煮付けなどの
メニューが並んでいるのに驚く。

それ以外のもの中心に、麦蒸包と、キュウリとハムの炒めもの
を選んだが、これが美味いのに驚く。おかわり。
ただし、粥と、台南名物の坦仔麺はそれほどでもなかった。
見ると、麦蒸包と魚の煮付けの取り合わせで食べている
台湾の人もいて、ああ、それもいかにも台湾の朝食という
感じでいいもんだな、と。

何にせよ、朝飯文化に関しては海外の方が絶対に
日本より進んでいると思う。I矢くんが、デザートの
マンゴープリンを食べてごらんなさい、とそそのかす。
取って食ってみると、まるで日本のハウスプリンで、
マンゴーの味などほとんどなし。
マンゴーの名産地で何故に。

ホテル周辺を散歩。
朝飯をたらふく食った後というのに、近くの店に
“魯肉飯”“竹筒飯”などという表記があると食いたくなる。
食い意地の張っていることである。

チェックアウト後、バスで白河蓮畑見学。
今日の陽射しはこれまでの日程の中で一番。
ついてすぐ、蓮の冰沙(シャーベット)を食べる。
ほとんど甘味がないのが逆に嬉しい。

ここの蓮畑、オオオニバスも養殖していて、
その上に乗って写真を撮れる、というサービスをやっている。
オオオニバスと言えばその上に少女が乗っていないことには
完璧ではない。少女はいないが、あやさん、S井さんの奥さんなど
が乗って写真を撮っていた。私も乗るように皆にすすめられたが、
係のおじさんに男はダメ、と拒否された。自分の趣味か?

今回のツアー立案者の本郷さんの用意万端カユいところに
手が届くことは旅行日記で何度も書いているが、成田での出発
のときに、リュックに長いプラスチックの棒を二本、
用意していたのが気になっていた。
現地を集団で歩くときの旗竿かしらん、などと思っていたのだが
この蓮畑で使用法判明。棒の先に鉤(ハンガーの取っ手)をつけて、
それで蓮の花や葉を、写真撮りやすいように引きつけるので
あった。うーむ、凄い。私のついている登山用ステッキ(足の
保護のため、今回持っていった。京都の太秦でのロケハン用に
2年前、買ったもの)も使って、非常に珍しい“双頭蓮”
(一本の茎に二つの花が咲いたもの)も写真に収める。
見た人にはいいことが訪れる瑞蓮(瑞兆の蓮)だそうだ。
もっとも、蘇我馬子も剣池に咲いたこの瑞蓮を見て喜んでいたら
大化の改新で殺されてしまった、というようなエピソードもある。

その本郷さんが、蓮の花を一本、長い茎ごと切り取って、
葉の真ん中をI矢くんの十徳ナイフでくりぬかせていた。
何をするのかと思ったら、茎をチューブにして、蓮の葉の
皿に水を注ぎ、新鮮な蓮の露を味わおう、という試み。
私もちょいとくわえてみる。なかなかの風流。

ロッジのところでは、蓮の果托を剥いて、ハスの実をとって
いる。運転手さんが、茹でたての蓮の実を食べていて、
私にも勧めてくれるので数粒口にするが、クリをうんと
上品にしたような味。

バスでそこから、昼食の場に移動。
白河農会直営の、『蓮子美食大餐』なるところ。
“美食大餐”というと何やら高級レストランを連想するが、
やはりドライブインに毛の生えたような店。
“蓮子”とつくことからもわかるように蓮の料理の店だが、
同じようなメニューだろうな、と予測していたら、やはりそうで
川魚の煮たのや鶏の塩茹では定番といった感じ。
しかし、これはメニューの不足というものでなく、農協直営だけに
土地で取れる食材を使うのが一番のもてなし、ということなのだろう。
現に、魚を養殖している池があちこちに見られたし、地鶏(土鶏)の
養殖場の脇もバスで通った。また、台南名物の竹林も見たが、
ここで出たスープはタケノコがたっぷり入ってダシの出た、
実に結構なものだった。

人間、生れた土地の四里四方のものを食べていれば健康、という
身土不二思想みたいなものが(『メディア・バイアス』では
否定されているが)まだ、この国のこの地方には息づいているの
かもしれない。

食事をはやめに終わらせて、食堂の向かいにある店に行く。
ここはさっきバスの中で見つけた店で、なんと台湾軍の軍用品
の放出品店である。オタク旅行として軍の放出品があるなら
ぜひ、入ってみなくては、とみな駆け込む。
文房具屋も兼ねている店で、一日の客数は、さようさ、多くて
10人いるかいないかという店ではなかろうか。
そこにいきなり14人がゾロゾロ入ってきて、ワイワイ騒ぎながら
商品棚をひっかき回しはじめたのだから、さぞ驚いたろう。
軍歌集とか、歩兵教典とかをみな、争って買っている。
私は、そろそろリュックがいっぱいになりかけているので、
軍用のバッグを買う。ゴムびきで、大変に丈夫そうである。

帰りがけに、文房具の棚に並んでいる『桃園明聖経』という
ノートのような本をちょっと手にして、学習帳かと思い
中をのぞいてみたら、“子宮腫瘤自然消失”とか、
“車禍重傷康復記”とか、“信念戦勝血友病”とか、
“児童近視度数減軽”などという文字が並んでいる。
要するに、これは関羽(関帝)を神として祀る宗教(らしい)
教典の“明聖経”というお経を声に出して読めば、
みるみる病気が治り成績が上がり家庭平和が訪れる、という
トンデモ系の本だった。こういう本を“ふと”見つける
ことが出来るのも、と学会での修練のおかげと思う。
しかも、コレ下サイと店のお姉さんにいったら、
この店の一家がこの明聖経の信者で、そのパンフレットとして
置いているらしいので、タダで差し上げる、もっと
持っていけという。みな、争ってもらっていた。

そこからバスはさらに南に下り、車中で“これはおやつ?”
とか定番のギャグをいいながら、昨日のマンゴー市でS井さん
夫妻の買った台湾バナナをおすそわけしてもらって食べたり
しつつ、烏山頭水庫(ダム)に向かう。ここでも、細い道に
苦戦するバスを、係のお兄ちゃんが自転車で誘導するなど、
台湾人の親切さがよくわかった。

烏山頭ダムと、その建設者である八田與一氏の記念館を
見学する。八田氏の銅像と墓の前で、説明する現地のガイドが
いたが、日本語の出来る通訳が今日は休んでいるというので
温さんが急遽通訳をする。われわれと一緒にその説明を聞いて
いたのは、ごく普通の日本人の老人会のような一行だった。

八田與一氏とその業績については私がこまごまと記すより
http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html
を参照していただきたい。なお、私らしい記述でいけば、
このサイトの末尾に、八田與一の生涯を描いたドラマが製作中で、
八田夫人役に松田聖子が内定、と書かれているが、
その後の情報をネットで追うと、松田聖子は娘のSAYAKA
(神田沙也加)との確執で心痛が重なり降板したとか。
ドラマが完成したのかどうかはわからない。また、それとは
別に、虫プロダクションが八田與一を描いたアニメを作る
という情報もネットにあった。どうなるか……。

ダムの設備をあちこち見学。
八田與一の作った当時の設備(水門とか)は、つい数年前まで
実際に稼働していたそうである。戦時中のものが、である。
日本はモノモチが悪過ぎるのではないか。

屋台で蓮のお茶などを飲み(微糖。台湾に限らずアジアでは
甘くない飲み物を探すのが難しい。冷房のギンギンさも含め、
ウチの女房〜大の甘いもの嫌い〜は台湾には連れてこられない
なあ、と思う)。写真、auで撮りまくる(ICチップは
国際通話が出来るノキアに移したので、今回の旅行では
このauが写真機代わりだったが、よく撮れるのと、
充電器を忘れて三日間、写真撮りまくって、ほとんど電池が
消耗しないのには驚いた。

記念写真を撮り、台南での日程を完全終了。バスで台湾高鉄駅
まで。運転手さんに別れを告げる(K川さんから特別チップが
渡された)。1時間ほど駅で自由行動。みんなおみやげ等を
買うこと買うこと。私も台南のファスト・フード写真集の
『漫食府城(台南小吃的古早味全記録)』という本を買う。
これを見ると、屋台などではまだまだ、うまいものが
あるようである。次回はこれをガイドブックに食い歩きと
行きたいところだ。

温先生(ガイドだが、その教養と人格に先生をつけて
呼びたい気分になる)とちょっと話す。日本に台湾人の
ガイドで行ったとき、羽咋のUFO博物館にも行ったことが
あるというが、“羽咋”が読めなかった、という。
ハクイでありますと教えて差し上げると、
「これが読めなかったのが、私のちょっとした心の悔恨で」
というので、大丈夫です、これは難読地名で、日本人でも
当地の人でなければ簡単には読めませんというと、
「それでコンプレックスが解消されました」
という。本郷さんが、
「もし唐沢さん、今度台湾にお一人で来るときも、ぜひ温先生
をガイドにやとってください」
と言ってくる。同感。

帰りの新幹線はビジネスクラス(商務車)。売り子の
お姉ちゃんの写真を撮ったり、あまりわれわれが騒いでいるので
怒鳴りだした客あり(これは行きのことだったか?)。
ここらへん、オタク旅の悪いところ。反省すべし。

マンゴーの大荷物をかついでホテル(シーザーズ・パーク)に
戻る。明木先生にも合流。台湾のUFO資料館には残念ながら
連絡がつかなかったが、図書館でいい資料を見つけたそうで
ある。『桃園明聖経』一部、差し上げる。温先生にはここで
別れ(明日は私は早く帰国なので)、明木先生と部屋に戻る。
『水は答えを知っている』の台湾語版が明木先生宛に届いていた。
翻訳者が何と知りあいだとか。

そこから今夜の夕食の店に行くまで、三十分ほど時間があるので
ホテルの隣の三越デパート(新光三越)で、キャリーバッグの
安いのを探す。さすがに、軍用の肩掛バッグだけではすでに
イッパイイッパイ。幸い、一階のパソコン売り場にいい
キャリーバッグが半額で売っていた。しかし、今回の旅で
モバイルは結局使えず、重い荷物になったことであった。

夕食は前回の台湾旅行で評判だったという、九番杭なる店。
おしゃれな創作料理の店っぽい。ビールを小鉢のようなもの
で飲むのがここの店の特徴とか。よくわからず。
タクシーでちょいと迷い、あたりをうろつく。携帯で
しら〜と連絡とって、なんとか。この携帯も、いろいろ
調べて日本との通話が出来るようにノキアに交換したのだが
日本から電話があったのは一回、阿部能丸くんからだけ。
台湾での連絡も、この時初めて役にたった。

九番杭ではその店の息子たちにI矢くんが手品を見せたり。
親父さんと名刺交換したり。ここの親父さんは名刺交換が
趣味で、私の東文研のような弱小企業はあまりモテず。
と学会には、誰とは言わないが富士通やNTTといった
大企業が多いので、そういうのを親父さん、大喜びする。
しら〜のK社も、台湾に支社がある大出版社というので
多いにウケていた。

そこからみんなそれぞれに別れ、しら〜、のび太くんなどと
饒河街の夜市に行く。もう、かなり体力が消耗していた
(はやり、傷ついた足で歩き過ぎたか)のだが、これが実に
惜しかった。夜市のイメージ、そのレトロで野卑で大衆的で
適度に観光地化していながら、奥深いところにはまだまだ
怪しげなところが残っていそうで、アジアチックな魅力は、
「これはオレのためにこういう世界を用意していたのか」
と思えるような場所。移動式の遊具(ミッキーマウスや
みなしごハッチのパチもんの乗り物が動いている)の
悪夢的造形といい、売られている食い物(猪血という、豚の
血を豆腐のように固めたものにキナコをまぶして串に刺した
ものが売っていた。恐れを知らぬのび太くんが買って食べて、
私も一口噛らせて貰ったが、さすがに好奇心並びなき
と学会メンバーでもちょっとタジタジする味であった)
といい、ブレードランナーを数倍したような強烈な
エキゾチズムがある。しかもこれが台湾中にいくつも
あるというから嬉しいじゃないの。
今度はこれの見学と取材を目的に台湾に通い詰め、ここを舞台にした
ドラマを書いてみたいと思った。
http://www.youtube.com/watch?v=5D3kwcI-VPM
↑私の撮ったものではないが、まあこんな感じ。

しかしながら、体力既に限界、一往復のみ、途中のビデオ屋台で
台湾の障害者たちの芸術祭のDVDを買ったのみで、
残念ながら退出。しら〜に送られてタクシーでホテルに
戻る。明日の荷物のみまとめ、ベッドで熟睡。
この時点で2時くらい。明日6時迎えのハイヤーがくる。
起きられるか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa