裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

金曜日

君のゆく道は果てしなくTOY

 オモチャコレクションは一生続くいばらの道だ(贈・加藤礼次朗様江)。朝方の夢で、S山さんと一緒に新幹線に乗る。新幹線が何故か赤い色なのは、小田急の昔のロマンスカーのイメージか。乗り込むと、その中でおばさんたちが中華料理でパーティをやっていて、ご相伴にあずかる。白酒もいただき、大変おいしいので、どこの料理かと訊くと、幡ヶ谷のチャイナハウスだとのこと。アア、あそこは知ってます、よく行きますよ、と話して、おばさんたち(正体不明)に、まあお二人ともおいしいもの好きでいらっしゃる、と褒められる。白酒に大変に合うという、百合の花みたいなものの醤油漬けをふるまわれる。すると植木不等式氏が、オシベの部分が一番おいしいのに列車が揺れたので床に落として踏んづけてしまった、と言って嘆く。植木氏がここでいきなり出てくるのが何故かわからないが、たぶん、チャイナハウスの料理を食べている席に氏が現れないわけはないだろう、という私の識域下の判断なのであろう と思う。

 6時半、起床。入浴して、7時半朝食。黒豆サラダ、カブとセロリのサラダ、野菜コンソメ。食べて自室に戻ったら、猫が寝室のベッドサイドに盛大にゲロをぶちまけていた。弁当受け取り、出勤。バス停は、琴・三味線教室の前にあるのだが、この家のガラス戸の中をのぞくと、座布団の上に、銀斑の猫が、実に気持ちよさそうに丸くなって眠っている。最初はあまりに可愛いので、写真など撮ってしまったほどだったが、それが毎朝々々、同じ座布団の上に同じ格好で眠っている。よく見ると、呼吸している様子もない。寝ている格好のぬいぐるみであった。見事にダマされた。

 バス、出口近辺の席にかける。ちょうど、車内に視線を向ける位置に、胸ぐりの大きくあいた服を着たお姉ちゃんが立っていて、ちと視線のやり場に困る。意識して視線をそらそうとすると、なおさらわざとくさくなる。お姉ちゃんも、ときどき、あきすぎたところを隠そうと、ぐいと服を引き上げたりするのだが、そうすると、たるんだ布地がすぐに下がって、なおさらアワヤな状況になる。少し植草教授に同情したくなった。

 9時10分、放送センター前着。NHKの垣根に植えられたツツジがいっぱいに咲き乱れている。北海道の家の庭にもツツジが植えられていたが、さすがにこちらのツツジは品種が違うのか土壌の問題か、色が比べ者にならないくらい鮮やか。そのかわり香りは北海道の方が強かったな、と思っていたが、今朝は陽射しが強いせいか、馥郁たる、ちょっと性的な感覚さえある花の匂いが鼻孔をくすぐり、毎朝庭の草木の匂 いを嗅ぎながら通学していた中学・高校時代が脳裏に甦る。

 コミビアの原作、十本くらいまとめて作ろうと思えば作れるのだが、毎日一本、決まりのようにして書く方が長続きするだろうと思われるのでそっちの方でやる。今日はちょっとそっちの方に時間がかかりすぎ、午前中を全て費やしてしまった。要領が 悪すぎである。弁当、サバの、今日は塩焼き。

 イラク人質事件緊急調査、日本政府の対応“正しかった”が64%、自衛隊撤退拒 否“正しかった”が73%。
http://www.asahi.com/special/shijiritsu/TKY200404160366.html
 小泉首相にあと一年、もしくはそれ以上の続投希望、73%。
http://www.asahi.com/special/shijiritsu/TKY200404200381.html
 ついでに小泉サンの靖国神社参拝、20代の若年層に“良いことだ”55%。
http://www.asahi.com/special/shijiritsu/TKY200404190343.html
 これ、読売や産経の調査ではない。“あの”朝日の調査である。朝日でコレ、である。敢えて発表した朝日も偉い。もちろん、小泉って人はこれまでも、必ず勝てるというデータが出た場合によくコケているから、参院選もそうそう楽観視は出来ないと思うが、まずあの騒ぎのすぐ後でのこの数字には驚かされる。……どうだろう、市民団体とかマスコミの皆さん、あなた方がさんざ人質をかばい、政府を批判し、抗議活動を行い、小泉や福田をクソミソにコキおろした末の結果が、この数字である。いや逆に言うと、郡山サンや今井クンのような人たちが、“ぼくらに、彼の地でなにが起きているのかを報せ、彼の地で日本が本来やるべきことをやってくれて(@いしかわじゅん)”いて、而してこの結果、である。ここから見えてくる結論と言えば、
「あなた方は嫌われている」
 ということなのではないか、国民から。

 あなた方の思想傾向がけしからん、とは決して言わない(違うんじゃないか、とは言うかもしれなくても)。むしろ、権力への反抗の姿勢は素晴らしいと思うし、同感する部分も大いにある。しかし、これだけ効果のない、むしろ逆効果となる行動を、これまでエンエンと続け、かつ向後も続けて行こうとするならば、それは自滅への道というより、単なる馬鹿としか言えないのではないか。今回のことは、あなた方が、自分たちの行動を見直してみる、いい機会、ひょっとしたら最後の機会になるかも知れない。あなた方がいなくなるということは、それはそれで私にとってはスッとすることではあるのだが、それではやはり困るのだ。もう一度、自分たちの行動を鏡に写してみて、考えなおしてみてほしい。

 上の調査で非常に興味深く、また私が嬉しく思ったのは、これだけ小泉政権とイラ ク派遣に賛成しながらも、
「米国のイラク政策には71%の人が“評価しない”と答え、今年1月の63%から増えた。“評価する”は1月の21%からほぼ半減し、12%となった」
 という結果が出ていることである。ああ、日本の戦後50年はムダでなかった、日本の国民もやっとここまで二枚腰の態度を使えるようになった、と私は涙がこぼれる 思いがした。

 マスコミはやかましく繰り返し繰り返し言う。市民団体たちも言う。
「ブッシュの言う“大義”など、イラク戦争には存在しない」
 と。こういうものを毎日読まされ、聞かされる国民の大半にとっては、いい迷惑でしかなかった。 国民はバカじゃない。
「そんなこたあ言われんでもわかっとるわ」
 なのである。例え大義なき戦争であっても何でも、
「生き残るためには参加しなければ仕方ない」
 のだ。戦争というのは正義だから悪だからといって行うものではない。やらないと生きていけないから行うものなのだ。司馬遼太郎の『関ヶ原』でも読んで欲しい。

 隣に北朝鮮という刃物を持ったキチガイがおり、さらには韓国、中国という、日本を追い落としたくって仕方のない国がすぐ側にある。軍事力を持たず、エネルギー資源も、国民を自前で飢えさせないだけの国土も持たぬ日本は、その中でギリギリの選択として、アメリカに尾をふっている。逆から言えば、アメリカを利用している。それを承知でアメリカも日本に利用されているんである。政治とはそういうものだ。国民は無知なわけでも情報を得ようとしないわけでもない。そこらへんの過酷な現実を見極め、ベストではないにせよベターな状況を、と思い、イラク派兵にOKを出して いるんである。

 市民活動に関わる人々は、今回の人質バッシングに対し、それが何故、起こったのか、これをまず、真摯に分析するところから始めないと、大衆に対し自分たちの意見を浸透させることはまず、永久に不可能だろう。何が悪いか。これは明らかである。“態度が悪い”のである。“平和”“善意”“子供たち”という、誰も否定出来ない言葉を楯にすることで、自分たちに賛同しないものは全て戦争の責任者なのだ、と無言で協調を押しつけてくる、あの態度が問題なのである。人というものは、反対できぬタテマエを突きつけられて同調を求められると、“自己の選択権を無視された”ととってしまう生き物なのだ。しかもそういう同調を求めてくる人たちは、自分たちの善意を否定されるという可能性をツユも脳裏に思い浮かべようとせぬ。

 もう三十年もの昔、中山千夏が自分たちの市民活動団体の選挙での敗北に対し、テ レビで
「なんで私たちがこんなに一生懸命に日本のことを考えているのに、誰も理解しようとしてくれないのか」
 と言っていたのを見て、左翼高校生だった私は市民運動ってのはダメだなこりゃ、と見極めをつけ、その思想を捨てた。自分たちの意見に同調しない大衆を、愚かなもの、もしくは敵としてしか認識していない。これでは一〇〇年たったって、その運動の成果が広がりっこない、と思ったのだ。まだ一〇〇年の三分の一くらいしかたってないが、市民運動の輪はあのときのレベルからさっぱり広がっていないし、これからも広がらないだろう。これは、言説の正しさとはなんの関係もない。人は結局のところ、正しさではなく、態度とか、ものの言い方とか、顔つきとか、そういうことで人を判断する。思想信条の異なるもの同士でも肩を組んで酒を飲むことは出来るが、態度の悪いもの、生意気なものとは席を同じくする気も起きないものなのである(ちなみに、これもちゃんと『関ヶ原』の中に書いてある。西軍の和を崩壊させたのは、結局のところ、“義は当方にあり。味方は当然”という石田三成の態度であった)。

 ここがわかっていない文化人も多い。代表が『SFマガジン』6月号の香山リカ氏 のエッセイだろう。
「問題の本質は“どうして彼らが危険地帯に行ったのか”ではなくて、“イラク国内にも自衛隊派遣に強い反感を持つ人がいる”ということだと思われるのに、いつのまにか議論はすっかり“自己責任論”にすり替わってしまいました」
 こういう、すぐ“本質に問題をそらす”論が一番悪質で、かつ間が抜けている。本質がどうだとか、イラクがどうだとか、ソンナことは今回の騒ぎにはナンの関係もない。世の人々はひたすら、“自己責任もわきまえず勝手なことを吹いているあの三人の態度”に腹を立てて、彼らを叩いたのである。そこがわからぬ限り、小泉も自民党 も、倒せるわけがない。

 1時半、コミビア原作一本。さらに、朝日新聞ピンホール・コラム原稿。5月1日掲載らしいので、初夏の季節感を出した語り出しから、徐々に私の本領の分野へと引き込んでいく。中で、柳家蝠丸さんからこのあいだ、中野での『ヒマラヤ無宿』鑑賞会の際にいただいた『あの頃の映画劇場』の中のネタを(もちろん蝠丸師匠のものだと断って)紹介させてもらう。他人のふんどしで相撲を取る形になってしまったが、宣伝と思って勘弁してください。

 僅々八〇〇字の原稿だが、いや、それ故に、文章構成にえらい手間がかかり、完成したのが5時過ぎ。あわてて、今日もう一本完成させるはずだった『漢字天国』二回目原稿にかかる。ネタは前からメモしてあったし、資料類はあるし、と、気軽に書き始めたのだが、途中でどうもイカン、と首をひねっている自分がいる。面白いのだがどうしてか、と何回か読み返してみて、話題の選び方と持っていき方が、前回(第一回)と同じなのだ、と気がついた。唐沢俊一と名乗っての連載なのだから、読む方も唐沢調を期待してはいるだろうが、しかし、同じパターンが続くとすぐ飽きられる。バリエーションは常にいくつか用意して、それを交互に出していくのが雑文連載のコツみたいなものなのだ。すでに2/3は完成していた原稿だったが、すぐに破棄(とは言ってもまた数回後に使えるからムダではない)して、新たなネタで書き始める。こちらもまず、いい具合に面白くなって、まずよかったとは思ったが、やはり時間切 れで、帰宅時間までに完成はさせられず、明日の朝に持ち越し。

 タクシーで帰宅。60代くらいの運転手、右耳がちょっと難聴だという。何だかは言わなかったが、右耳にイヤホンをつける仕事をずっとしていたためだそうで、イヤホンの音というのは、実は鼓膜に大変な過労を与えているのです、と脅かすような口調で言う。
「あの、ウォークマンで音楽聞きながら歩いている若者、将来、絶対耳に何か支障きたすと思うんですがねえ」
 だそうである。

 9時、家で夕食。薩摩揚げとナスの焼いたの、スズキのホイル焼き、同じくスズキの吸い物。薩摩揚げは札幌から冷凍して持ってきたものの残りということだが、酒に大変あう。DVDで『アタックNO.1』。第三話『新キャプテン誕生』。新キャプテンというのは当然鮎原こずえのことで、劣等生たちを集めて作ったチームでバレー部との試合に勝ち、キャプテンの座につくのである。話のメインはその試合なのだから、タイトルで、もう勝ってしまうことをうたうのはどんなものか。いや、大人気作品のアニメ化なのだから、もう見ている方もストーリィは知っているさ、と思っていたのだろうか。見ながら酒、浦霞燗して三合。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa