裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

土曜日

シンセ界紀行

 奥深いシンセサイザーの世界を気ままに旅してみましょう。朝、如例6時半に眼をさまし、風呂のお湯はりなどして、7時入浴。7時半、母の部屋に移動し食堂で朝食を摂る。毎朝アミールSを飲んでいるのだが、長島茂雄の一件もあるし、続けたものかどうかと思っていたが、母がその代替品として、黒豆のドリンクというものを飲ませてくれる。乾燥黒豆を使って朝食のサラダをしつらえたのだが、そのゆで汁のあまりにクエン酸の粉末を混ぜると、鮮やかな赤紫色のドリンクになる。砂糖を少し混ぜ て、冷やしてこれを飲む。

 昨日とはうってかわった好天。母はこれで上京してくる友人に桜を見せてあげられる、と上機嫌である。まさに、この日のために天が協力して、桜の開花をコントロールしたかのよう。ササキバラさんにいただいたDVDデッキを持って仕事場へ。母が予定している九段ほどではないが、バスの窓から見る代々木小公園の桜もなかなか結構である。3月最終日の日記をアップして、すぐまた家を出る。今日はお江戸日本橋亭の昼席への出演なのだが、楽屋入りする前に、神田の手打ち蕎麦どころ『松翁』で蕎麦を食べませんか、とIPPANさんからお誘いがあり、開田夫妻とそれに乗った のである。

 半蔵門線で神保町まで行き、店舗のある猿楽町へ向かう、まではよかったが、やや奥まったところにある店なので、ちょっと何度か地図を見直す。なんとか開店の少し前に店の前で待っている三人に合流できたが、たどりついて見ればこの場所は、以前によく通っていた場所。旧・青林堂があの伝説の材木屋の二階から場所を移して、一時この近辺に編集部を置いていたのである。打ち合わせに何度も足を運んだ場所なの であった。

 開店と同時(11時半)に入り、席につく。ガラス越しに、ソバ粉が電動篩い機にかけられているのが見える。開田さんとIPPANさんは天ざる(海老と穴子)、私とあやさんは銀宝天ざる。他の席の、常連らしい客が“ゆば刺しと日本酒”と頼んでいるのがうらやましかったので、こっちも酒を一合だけ頼む。天ぷら屋のように、揚がったものを一種類々々、持ってきてくれる。空豆、青唐、ゴボウ、それに銀宝。ぷりぷりで、箸ではなかなかちぎれないほど。蕎麦は蕎麦粉の香りのする手打ち。大盛というのはないそうだが、ボリュームもなかなか。もっとも、みんな蕎麦っ食いで、足りないので田舎蕎麦を追加で頼む。夜咄乃むらの田舎蕎麦はややボキボキであるがここのはなめらかで、変な表現だが洗練された田舎の風味で、結構。つゆは濃いのと薄いのがあり、濃いのを頼んだが、ちょっとみりんが利きすぎかも。今度は薄いのを頼もう。さすが名店らしくすぐ席が一杯に埋まった。となりの若い夫婦と子供連れの客は、夫婦ともに凄まじく濃い大阪言葉。こういう人がどうしてうどんでなく蕎麦を食いにくるのだろう。店を出て、ポカポカの好天の中を歩く。ゴミ屋敷みたいな家があり、その隣にクリーニング屋があったが、ここの表札に“山本弘”と大書してあっ たのに笑う。

 ポカポカの好天の中、地下鉄半蔵門線で日本橋まで。お江戸日本橋亭に12時20分過ぎくらいに入り。すでに外に行列が出来ている。みんなは並んで、私だけ楽屋口から。すぐ梅田佳声先生とその息子さんがいたので、挨拶。快楽亭、キウイの各出演者(キウイは出演でなく見世物)がいる。梅田先生と、しばらくまた紙芝居談義。大阪の児童文学館で紙芝居を見てきた、という話をすると、あそこの保存状態が今の日本では最もよいのではないか、とのこと。先生が以前作ってやったという、紙絵芝居の実物も見せていただく。芝居の登場人物を全部絵を描いて棒に貼ったもので、なかなか凝ってはいるが、いかにも扱いにくそう。“やっぱりこれでは語りがおろそかになっちゃいますね”と。消えていったものには消えていった理由がやはり、ある。

 快楽亭が、“センセイは花粉症じゃないんですか?”と訊いてくる。何かと思ったら、誰かに教えたくてウズウズしているそうで、“160円で花粉症を治す秘法”があるとか。このヒトの言うことだからふざけたやり方かと思っていたら、そうでもないらしく、中野武蔵野ホールのI支配人がこれで実際に花粉症を治したという。その方法というのが、“キリンの体質水”を飲むこと、なのだそうな。確かに体質水は、“春対策”とか言って、花粉症への効果を謳っているが、まあ、だいたい“体を健康にすれば花粉症は治る”程度のものである。ところが、それをI支配人は、酒場で、マスターに花粉症で弱るよ、とグチったところ、マスターが目の前に体質水を置いて“騙されたと思って、まあ飲んでごらんなさい”と言われ、飲んでみたら、ホントウに治ってしまったという。I氏はそれまで体質水のあのマグマ大使のテーマを使ったCMも知らなかったくらいで、プラシーボではないらしい。私は残念ながら、去年、何の原因かもわからず花粉症が治ってしまった人間なので試してみることが出来ないのだが、もしお悩みの方がいらしたら、トンデモも方便で、UFOでも見たと思って やってみてはいかがか。

 外は依然いい天気で、暖かいのでやたらノドが乾く。客はほぼ9分以上の入り。快楽亭のおかみさんによれば、昼夜通し券で来ている人がこのうちの半分近く近くいるという。出演者が言ってはいけないが、こういう春の日に他にやることもあるだろうにと思う。なにしろ、ヒルヨルで快楽亭を三席、キウイとブラッCを二席、川柳川柳を二席づつ、それぞれ聞くわけである。気が変にならないか? 睦月影郎さんはキウイ贔屓だからいいのだろうけれど。

 開口一番がブラッCで、“寿限無”、次がキウイで“お血脈”。この両人に共通することは、マクラはそれなりにキャラクターでウケがとれるが、ネタに入るととたんに客のテンションが下がること。ブラッCの、どこへ話がトンで行くかわからぬ『浮世根問』とか、キウイのくず屋が談志の半次にひどい目にあう『らくだ』とかが聞いてみたい気も、ちょっとしないではないのだが。川柳師匠が楽屋に入り、何やら原稿を書いている。彩流社から今度自伝が出るのだそうで、その原稿を、今日楽屋に編集 が取りにくるのだそうな。
「子供の頃読んだ小説の話でさア、海野十三のことを書いたンだけど、題名が思い出せないんだなア。なんてのがありましたっけ?」
 と聞かれたので、二、三、教えてさしあげる。

 その後が快楽亭の『文違い』、中入りを経て梅田先生の紙芝居。楽屋で見せてくれた珍品の落語紙芝居を快楽亭と私のリクエストでやり、それから戦前の因果ものを少し見せた後に、『ライオンマン』。そこまで客席で見て、そろそろ自分の出番でもあり、ライオンマンはこのあいだ見たから、と思って楽屋に戻ったが、これが、延々と続いていっかな終わらない。しかも佳声先生のノリ素晴らしく、こんなに張り切って大丈夫かと思われるほど声を張り上げ、客も引き入れられるように身を乗り出している。楽屋で快楽亭が“スイッチ入っちゃいましたネ、こりゃ”と。結局、50分以上の長講となった。今日は昼夜借りているからいいが、この日本橋亭は使用時間を10分超過すると追加料金をとられるシステムなので、昼だけだったら主催者の快楽亭は 大ヤキモキであろう。

 終わった時点で(紙芝居の片づけがあるので)急遽、幕を下ろした前に椅子を置くことにして、私と快楽亭のトーク。本来、今日の私は快楽亭が文化庁の肝煎りで在ネパールの邦人のための長期慰問に行くということで、“ネパールトリビア”を、という注文だったのだが、いろいろワケがあって、急遽訪問先が韓国になってしまったので、話すことがない。文化庁の仕事の解説(私が岡田斗司夫と去年の暮れに、ヒューストンとかを回って日本のアニメ・マンガ文化についての講演をしてくれないかと頼まれたのと同じクチらしい)と、韓国のトンデモ映画とかについての話題でお茶を濁す。それでもトークにしてはかなり笑いはとれたつもり。楽屋に戻ると、キウイが、時計を確認して“あれっ、20分も話してらしたんですね”と言う。“カラサワ先生と快楽亭の話というのはいつもポンポンと話題が進むんで、5分くらいしか話してないと思ってました”とのこと。

 そのあと川柳師匠、“圓生自宅ウンコ事件の真相”なる一席。紙芝居で疲れたかと思ったが、客はまだ余力残していて、ワッワと笑う。師匠も気持ちよさそうに話している。楽屋弁当でたいめいけんのカレーが出る。快楽亭、“昼夜の通しのお客さん、メシ食いに出る時間が30分くらいしかないのが気の毒ですネエ。昼夜通しは千円引きなンだけど、いっそ弁当付きにした方がヨカッたネ”と。トリが再び快楽亭、時間の関係でアッサリやるかと思ったら『マラなし芳一』をたっぷりやった。楽屋で川柳師匠、聞いて笑いながら“いいね、途中まで××みてエなつまらん咄をやるなあ、と思ってたンだけど”と。夜の部の談之助さん入って、“今日は打ち上げをK子先生のリクエストで焼肉屋にしないといけないんで、探してきます”とすぐ、出ていった。

 ここで昼席終わり、夜席には観客となるので楽屋を退出。すぐ入場始まって、どんどん入ってくる。と学会関係の人で、これまでトンデモ落語会にしょっちゅう顔を出していたのは藤倉珊さん、植木不等式さん、S山さんに開田夫妻、ひえださんくらいだったのだが、今回は植木さんが来ていないかわりに、猫耳法会さんや気楽院さん、FKJさん、I矢さん、大沢南さんや、H留さんまで来ている。他にもまた来ていたようだ。最初は前の方に席をとっていたが、これだけ人が入っては、“一応身内”なもので、後ろの方に席を移す。カワハラさんの隣に座った。談笑さんが今度の独演会にこの日本橋亭を使うが、ここの使用は初めてだというので、いくつか使用の際の注 意点などを教示して差し上げる。

 QPハニーさんや傍見頼道さん、安達OBさんたちも来ていて、ついには客、通路からもハミだして、高座の上に上げる騒ぎになる。まあ、トンデモの会ではありがちなことであるが。これだけ客が入ると演者たちも熱演、ブラッCはいつもの通りだったが、トンデモということでSFっぽいネタもちょこちょこと出し、客席の藤倉さん(ブラッCファン)の顔がちょうど斜め後ろから観察できたのだが、非常にウレシそうな顔をしていたのが印象的だった。

 キウイも今度はなかなか客を笑わせていた(まあ、ネタでなく自己ネタ漫談に終始したせいもある)。もっとも、トンデモは前の会のトリが次の回のサラにまわるという決まりなので、前回トリだった白鳥の代演の川柳師匠がサラ、昇輔の代演のキウイが仲入り後というすごい香盤であった。談之助は落語界トリビアでキチンと笑わせ、快楽亭もまた三回目の高座とも思えぬノリ。なにしろ客がこれだけ入れば、ゲッベルス効果で別に努力しなくても笑いはとれる。こんなに客が入ったのは初めてなのか、この日本橋亭の席亭さんが、あっちこっち興奮の趣ではしり回って冷房や補助席などの様子を見ている。ついには、法被姿で両手を揚げて壇上に出てきたので、何か演説でも始めるのかと思ったら、空調の具合を、手を天井に近づけて、確かめているのであった。

 今回のメインはやはりトリの談笑、いきなりマクラからアブナいネタの連発で、このままネタに入ってしまうとテンションが落ちないか? と心配したのだが、そこは談笑、さすがの力業で満場の客を自分の共犯者に仕立て上げてしまう。さすがであっ た。もっとも、ほとんど内容に触れられない。

 終わって打ち上げ、ゾロゾロ歩いて二次会場へ。途中、“居酒屋・新世紀”という店を見つけ、気楽院さんやQPさんと
「この店、椅子が全部パイプ椅子ぽいなあ」
「店員が客を囲んで“おめでとう”とパチパチ拍手したり、ね」
 などとヨタを飛ばしつつ。焼肉屋の座敷に45人が入れ込みになる。入り口近辺にいた親子連れの女の子が“わあ、まだ来る、まだ入って来る”とオドロいていた。一応出演者席で、川柳師匠とはす向かいになった。まあ、災難と言えば災難なのであるが、以前に比べると師匠も年をとってあまり荒れなくなった。いろいろ圓生の逸話なども伺う。あの圓生独特の、マリオネットみたいな歩き方、あれは“ケチだから靴の底を出来るだけ減らさないように”ああやって歩いていたんだとか。時折、弟子たちに靴を裏返させて、端の方が減ったりしていると(まあ、普通そうだが)“お前たちァ、歩き方がセコだからそういう不経済な減り方をするンだ”と、小言を言いながらも、持論の正しさを解説して機嫌がよかったそうである。

 あと、飯島友治氏の悪口も聞く。この人と、この人の率いる東大落語研究会のことは談志も『現代落語論』の中でクソミソに言っている。若手が飯島氏と学生たちの前で落語をやって、その批評を受けるというの試演会に行ってきた男に談志が、“どん なふうにやるんだい”と訊くと、
「例えばトックリを持つでしょう。すると、その持ち方は高いよ、もっと低く、もっと……てな調子でね」
「いいじゃねえか、トックリなんかどう持ったって。おもしろけりゃ、それでいいやネ……。そんな連中のいうことを聞いてると、売れなくなっちまわァね」
 ここが、まだ小学校のときに『現代落語論』を読んだときから今まで、一番この本の中で胸のすくタンカであると言える。

 飯島氏的な落語の、いや落語に限らぬ大衆芸術の受容の仕方を、私はひッくるめて“テキスト化”と言っている。テキストとは何か、というと、研究・分析用に形を整えられた物件である。これは社会学でも経済学でも政治学でもそうだが、とにかく学問というシステムの中でモノを解析するためには、まず基準となるテキストとして、対象物件をその“学”の中で分析できる形にフォーマットを整える必要がある。その段階で、雑多な枝葉(データ)が切り落とされてしまうのである。川柳やブラックの落語というのは、この、雑多な、解析不能のデータが非常に多い。と、いうより、全部がそういうもので成立しているとさえ言えるネタがある。要するに、研究対象にしにくいのである(談志の落語も、他者によるフォーマット化を非常に嫌う構造を持つという意味でそれがやりにくい)。飯島方式に反発を覚えるのは当然と言えよう。実際、現在もなお、東大の国語学で、飯島氏編の志ん生全集を教科書に使っている“話芸資料の構造分析”の講義では“聴衆にユーモアを感じさせるためのテキスト構造、それを分析するためのフレーム理論などの応用”などということを言っている(もっとも、さすがにその限界も認識しているようで、“テキスト化の問題点”についても語られるそうであるが)。落語の本質からはすでに遠く離れてしまったものと言えよう。いや、ことは落語に限らない。マンガしかり、ゲームしかり、映画・アニメしか り、どこの分野にも、
「そんな連中のいうことを聞いてると、売れなくなっちまわァね」
 的な評論家は山ほどいるのであるが。

 ワリを快楽亭からいただく。さすがに大入りだけあって、いつもの落語会ゲストの時の、ほぼ倍の額。昼夜で出た川柳師匠などはもっとよかったことであろう。それでゴキとなったか、立ち上がって、口演奏のジャズを一曲、披露してくれた。みんな、大拍手。と学会員たちが、まるで例会の打ち上げのときのようにハシャいでいた。談之助さんが今回は満席の中を走り回って、酒や料理の皿を持ってきてくれていた。このヒトはまあ、鍋奉行、焼肉奉行、宴会奉行なのではあるが、しかし真打ちにこういうことをさせるのはちょっと、気がひける。談笑さんなども、奥の席で身動きが取れ ない状況とはいえ、気が気でなかったであろう。前座たち、どこに行った?

 焼肉はまあ、そこそこの味だったが、最後に出たサムゲタンが、骨までサクサクと囓って食べられる柔らかさに煮込んであり、なかなかの味。騒いで話して食って、お開きがもう12時近く。快楽亭から、今度出る川柳・ブラックコラボレーションCDの、オビ文をボランティアで依頼される。それはもう、是非にと。地下鉄で新宿まで出て、タクシーで帰宅。そんなに飲んでいないつもりだったが、真露のウーロン茶割というのは味がほとんど無いからクイクイ言ってしまい、かなりアルコールが回っているような感じ。もっとも、こないだの例会帰りの某と学会幹部氏よりマシであろうとは思う。IPPANさんに蕎麦屋で聞いたところでは、“東京タワーの下で腹だし踊りをしだしたのでオドロきました”とのこと。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa