22日
木曜日
石橋ターザン
せっかくジャングルの王者になったのに病気のため二ヶ月で退陣。朝、6時に起きて、原稿をちょこちょこいじるが自宅のパソコンではやはりもどかしくてダメ。7時10分に入浴、半に朝食。パンプキンスープ、黒豆サラダ、レタスサラダ。パンは今 日からヌキにしたはずが、K子に焼いたパンが大きすぎたので、少し貰う。
8時15分出勤、25分のバス待つが、遅れて30分。いつもこのバスで会う、アパレル関係の営業マンらしい、20代の二人連れがいる。二人とも関西訛りなのは、大阪あたりから東京支社に転勤になったのか。まあアパレル業界人らしく、まったく似合わないほどおしゃれなスーツを二人とも身につけている(しかし、営業回り用の資料を入れたカバンはヨレヨレ)。会話などを漏れ聞いても、いかにも今風軽薄風の無教養な若者なのだが、今朝、その一人が、乗り遅れそうになって、発車寸前に駆け 込んでくるや、ハアハア息をつきながら
「ああ、しんど」
と、妙にベイシックな関西弁を使ったのに意味なく好感をもってしまった。
9時10分仕事場着。好天気で夏を思わせる陽気、とのことだったので半袖のシャツで来たのだが、室内だとやはりちょっとまだ寒い。原稿書きしばし。パソのトラブルで、保存しておいたメールがごっそり無くなっていた。例の現美の図録の文字数などが確認できなくなったので、あわててメールして再度送ってもらう。
1時、弁当。サバの味噌煮なんてものを45にもなる大人がウマイウマイと喜んで食べるのは情けなくもあるが、しかししみじみウマイのだから仕方がない。食べつつコミビアの原作、ネットの海外サイトの中から探し出して、ネタの形に整える。英語を翻訳して意味がとれてから吹き出した。久しぶりの経験。もっともそれは追加ネタ が必要だったので、今日は送らず。別のネタ二本ほど。
郵便局に出かけ、平山亨さんがらみでお世話になったファンの方への手紙を投函。それから、K子から頼まれていた郵便貯金の、定期を解約して普通口座の方へ振り込む手続き。終わって、肩が痛いほど凝っているので、公園通りのタントンマッサージに入る。このあいだはジャン・ロシュフォール似の先生が揉んでくれたが、今日の先生はチャールズ・ブロンソン似。このマッサージ店はヒゲの先生率が高いな。こちらを立たせたまま肩に手をやって、“あちゃー、ひどいな、肩って普通下から凝ったのが上がってくるんだけど、てっぺんからも凝りが降りてきてますねえ”と言う。ゴツい顔つきから、またキツく揉んでくれるかと期待したが、顔に似ず優しい揉み方で、その後の脳内快楽物質大放出がなく、ちょっと残念。帰宅して少し仕事続ける。
昨日、竹内均氏死去。映画『日本沈没』で、奇妙なイントネーションでマントル対流の説明をしていた先生、というのが第一印象で、その後この人が世界的地球物理学者であることを知って驚いた。この人を、日本に科学教育を根付かせた大恩人、と評価する人は多いが、私にはどうも、そうとは思えない。この人の教育論のモトというのは、著書である『修身のすすめ』(講談社)という本のタイトルからもわかるように修身教育である。その中で竹内先生は、勤勉、貯蓄、正直、中庸、感謝、報恩、修身、斉家、思いやりといった徳目を実行することにより、人は磨かれ、家は修まり、国は栄えると説いている。確かにこれは、秀才は生むかも知れない方針である。しかし、同時に、こういった堅苦しいワクから外れる天才をオミットしてしまう教育でもあるのだ(自分は『数学の天才列伝』〜ニュートンプレス〜なんて本を書いて、天才を礼賛しているのに)。……私は、科学という分野は(いや、科学でなくどんな分野にしてもそうだが)100人の秀才を育てあげるより1人の天才を見つけだした方がよほど効率のいい学問である、と思っている。東大名誉教授から代々木ゼミナール校長という、日本的秀才教育システムを何の疑問もなく渡り歩いたエリート学者の教育論では、わが国に天才は生まれない。それが、80〜90年代を通しての、日本の科学がパッとしなかった理由のひとつではないか? と勘ぐってしまうのだが。
今日は国際政治評論家桃井真氏死去。桃井かおりの父親。軍事アナリストとして有能な人だったが、ただ、この人、“海底戦車”説というトンデモ説に固執して、著書でいろいろ語っていた。二十年くらい前、この人の著書(手元にないが、確かカッパの『戦略なき国家は挫折する』だったと思う。後にサラ・ブックスからそのものズバリ『国籍不明・海底戦車の謎』という本も出した)で、北朝鮮は日本海の底を、水陸両用の海底戦車で蹂躙しており、それが時折新潟や青森の海岸から上がってきては、歩いている人間を拉致して行く。津軽海峡の海中写真には、海底の砂の上に、巨大なキャタピラの後が歴々として残っている……とか書かれているのを読んで、ガッチャマンの世界かこれは、とオドロキ、“そんなものが残っていれば北朝鮮にいくらでも証拠として突きつけられるだろうが”と心の中でツッコミを入れたものである。で、そのことを、その後『パンチザウルス』のエッセイコミックに書いたのであるが、それがいつの間にか、“唐沢俊一は昔、北朝鮮による拉致をデマであると書き、後に拉致が確定したとたんに、その作品を絶版にして知らぬ顔をしている”というあらぬ噂になって広まり、苦笑したものである。デマであると言ったのは海底戦車について、であり、絶版どころか、ちゃんと単行本『脳天気教養図鑑』にも入れ、文庫にして、今でも堂々と書店に並んでいるのである。そういう意味では、私ともご縁のあった人 であった。
結局、まとまった仕事何も出来ず。7時半、家を出てタクシーで新宿まで。そこから丸の内線で新中野。出たところで、今夜うちに来るみなみさん、モモさん、S山さんの三人にバッタリ。同じ地下鉄で来たらしい。サントクの先(新高円寺方向)にある酒屋で青島ビールの黒、というのを買い、家で食事会。すでにナジャさんが来宅。今日はモモさんが“セロリ料理を食べたい”とリクエスト、ナジャさんが“カボチャを食べたい”とリクエスト。ナジャさんは旦那さんがカボチャが大嫌いなので、家では食べられないのだそうだ。母はこういうリクエストに燃えるので、家に来る人は何か要望をおっしゃってください。
セロリとハムの揚げ春巻、カボチャと手鞠麩の煮物、カボチャのバタ煮、セロリとアスパラガスのパスタ、炙り鶏、それからおこげ料理。雑談快発、日教組の先生のいじめ方、とか(どういう話題だ)、広島の、校庭の鉄棒で三人並んで首つりというのは、中世の異教徒の死刑図に似ているのがあったとか、発見者の高校生、今時の子だから絶対携帯で写メールしたのではないか、とか、実にもってメシ食いながらするような話でない話を楽しげに。私が24日は談笑の独演会に行く、と言ったら、K子は当てつけのように、その日に“おれんち”を予約。くやしい。みなみさんの持ってきてくれた『菊姫』と『中々』に陶酔。11時まで。