19日
土曜日
京都にいるときゃスノッブと呼ばれたの
あんさん、ほんまに俗物どすなあ。朝7時半起床。また夢の話。変身ヒーローものだったが、これが最終回で悪に負けてしまう(悪の首領〜ちょっと美形〜に呪術で石像にされてしまう)。ラストシーンは主人公が負けたと知らない仲間たちが彼を探して町中をさまようという、異様な感動というか何というか、トラウマになりそうな夢だった。朝食、ソーセージと黒パン。デコポン半分。テレビの報道で知ったが千鳥が淵のフェヤーモントホテルが廃業するとか。もう16、7年前になるか、一回だけ女性と泊ったことがある。女性と、というと色っぽい想像をされるかもしれないが、いや実際当時しばらくつきあったこともある女性ではあったが、そのときは色気も何もなく、ただ古いホテルのムードを味わいたいのでどちらからともなく誘いあって一泊したのだった。外人向けに作られた高い天井が、空調などをつけ足して改装したためにちょっと安っぽくなっていたのが残念だったがバーは実に趣きがあり、しかもバーテンダーが感じのいいお爺さんで、これでなくちゃ、と二人で喜んで眺めていた。その晩、確か青臭い議論(教育論だったかな)の末に彼女と部屋で大ゲンカになってしまったのを記憶している。若くて青くてバカだった。
朝、鶴岡から電話。東浩紀氏の顔はだんだんフィギュア王のヌカダさんに似てくるというような話。もちろん、もっとひどい話もいろいろ。11時、芝崎くんから連絡あり。明日のと学会運営委員会の件につき、いろいろ。扶桑社関係の仕事のこと、及びメディアファクトリー関係の仕事のことなどいくつか。
1時、神田に出る。日本教育会館ビル7階にて下町古書展。今年になって初めていく古書展である。ここの会議室は天井が低いのと、書棚で窓が全部ふさがれるため、いささか圧迫感を感じる。力道山関係の本などを数冊、あと何冊か。そこから歩いて書店街へ。改築中の古書会館から歩くのに比べ、教育会館からだとこれまで古書街を散策していたのとちょうど逆のコースになる。入る書店の順番が違うだけで、かなり気分が変わるものである。白山通りに回り、神田書店などに入り、それからいもやの天丼で昼食。もう3時近かったが、行列なのは大したもの。
ここは大将と女の子(子、ってほど若くもないが)の二人だけでやっている店であるが、私が入っていった時刻に、ちょうど大将の食事どきで、カウンターでまぐろの中おちでメシを食いはじめた。もちろん客は途切れないから、その間、一切を女店員が受け持つ。天ぷらを揚げて天丼をつくるのはもとより、お客に茶を出し、帰る客から代金を受け取り、食器を下げてカウンターを拭き、ミソ汁をよそい、下げた食器を洗い、積み上げ、さらに注文のときの御飯の多め少なめも記憶していなくてはならない。見ていて目が回るほどの仕事量である。一瞬たりと身体の動きを止めない。何かファーブルがジガバチを観察しているような気になってくる。
そこを出てさらに数店回り、最後に三省堂裏のキントト文庫。以前の店鋪もそうであったが、移転してからの新しい店鋪(パチンコ屋の二階)も、よくこういうイカニモのイメージのところを見つけたなあ、という感じ。ここに来ると、いつもため息が出る。私の首尾範囲とあまりに合致する店というのは、かえって落ち着かないのである。棚買いをしたい衝動をおさえて、十冊程度にする。かなりカバンがふくれあがった状態になる。
カバンをうんとこしょと抱えたまま、青山で買いもの。帰宅して少し休む。コミックスというダイレクトな名前の出版社から、ムックの原稿依頼。鉄人28号に関すること。面白そうである。しばらくネット散策。ナンビョーY子さんのBBSで、またまた『ハム太郎』報告。私の鑑賞時とまったく同じ状況だったらしい。何歳までがあれにハマるのだろう。上限は?
『樂歳齋主人のホームページ』というサイトがあった。松任谷由実の歌について検索していたら見つけたのだが、その中の歌詞研究コーナーで、中島みゆき、山下達郎、越路吹雪から加山雄三、PUFFYまでの歌詞を分析している。その分析がどうも何かユガんでいる。ヘンだと思ってプロフィールを見たら、ホンモノであった。なまじ京大理学部物理学科などを卒業しているものだから、文章がいやに論理的っぽく綴られているが、それだけにユガみぶりがひしひし伝わってくる。ことに、自分の書き上げた原稿(『文楽と歌舞伎の見方』)を講談社、新潮社、角川書店、文藝春秋各社に送って断られた(文中ではA社、B社という書き方をしているのに、注釈でそれを全部バラしているのが笑える)次第を述べ、相手にしてくれない編集者を
「私の経験から見て担当者は恐らく精神病であろうと考えて、関係する部長二人と社長にその旨通知しましたが、その後未だに返事が無いので、この三人も精神状態が正常でない恐れが強いと思います」
とキメツケているあたり、どこかで聞いたような文調で、いつの世にもこういう人は多いものだなあ、と感慨に耐えない。しかし、この人の文章には何かワビサビとで も言った感触がある。『床屋政談』というコンテンツの中にある、『瓢箪鯰』という文章など、実にいい。
「瓢箪で鯰を押さえるいい方法はありませんかね」。
「発想を変えまして瓢箪の品種を改良して疣瓢箪という皮に疣々(いぼいぼ)の有るのを作ります」。
「なるほどねえ。皮に疣々が付いているから滑らずに押さえられるわけですな」。
「そう云う事です」。
「鯰の方も品種改良して疣の有る疣鯰を作ると更に押さえやすくなりましょうね」。
「それもそうでしょう。押さえやすいから両方とも売れるかも知れない」。
「世の中には知恵の有る人もいるものだという評判になりますかね」。
「なるでしょうそれは。疣瓢箪で疣鯰を押さえると疣と疣が噛み合って持ち上げると鯰が付いてくるから鯰の瓢箪嵌めという漁法ができるでしょう」。
「いよいよ楽しみになってきました」。
「そうですねえ」。
……なにか、星新一の晩年の作品みたいな味わいがある。興味のある方は名前で検索して、訪ねてみていただきたい。面白くなって、夜までずっとネットで遊んでしまう。『王子の狐』という落語があるが、『狐の王子』という映画もあるんだなあ、と感心したり(オーソン・ウェルズがチェーザレ・ボルジアの役で出演している)。
8時半、家でメシ。去年買ったオーヴンを、初めて用いる。十分に空焼きをしてから、耐熱皿(柳川用の鍋を代用)の上にマッシュルーム、芽キャベツ、小タマネギ、レンコン、京ニンジン、アスパラガス、オクラなどを置き、上にオリーブオイルをタラリと垂らして、20分ほど。仕上げにサッとサラダスパイスをふったが、ほとんど味付けをしないのに、驚く程野菜そのものの味が濃縮されて甘くなっている。その他レンコンとイカ巻の煮物、湯豆腐。煮物はおでんダシで煮るが、思いついてコンソメの素を加え、うんと薄味で煮込む。イカ巻の風味と相まっておいしい。
コラムを頼まれている『モンティパイソン・アンド・ザ・シークレットポリスマンズ』を見る。イギリスのスタンダップ・コメディアンたちの、下品で意地クソの悪い笑いがたっぷり。それにしてもジョン・クリーズもマイケル・ペイリンもダドリー・ムーアも老けた。シワが痛々しい。若手のコメディアンが大ベテランのクリーズを徹底していたぶるコントがあって、しかもそのいたぶりのネタが彼の離婚(まさに当時コニー・ブースと離婚したばかり)や、そのダメージによる精神科通い、さらにその頃から目立ってきたハゲなどというマジなもので、日本でやったら“シャレにならない”“お笑いと言えども許されないことがある”“不快で笑えませんでした”などという声が殺到するだろう。笑いをとろうとする者はそのネタに容赦などを加えてはいけない、とれるものならどんな人非人なギャグでもやってしまうのが正しいという、これは証明みたいなもの。しかも、そのショーの主催がかのアムネスティ・インターナショナルなのだから、これはいかに国民性の違いと言っても、シャレの許容度というものにおいてのイギリス人の突出度がわかろうというものだ。そう言えば、かの貿易センターテロ事件で、アメリカでコメディ番組の放送を自粛するということになったとき、それに否定的なコメントをインタビューで述べていたのがやはりパイソンズのテリー・ジョーンズだった。