3日
木曜日
おんどれはデル・サルト!
こん畜生が、トイレのシミを写生しろなんちゅうデタラメいいよって(『吾輩は猫である』参照)。朝8時起床。同人誌を商業出版で出し直すのに文章の校閲で苦労するという夢を見る。母はゆうべ『或る夜の出来事』をちょっと見たら面白くてとまらなくなり、3時まで見てしまったそうである。朝食はトーストと目玉焼き、自家製のマーマレード。
その後、資料本など読みながらフトンに横になったら、グーと寝入ってしまい、目が覚めたら1時だった。なんでこう寝られるか。司馬遼太郎『義経』など読む。中学時代に読んだときは気がつかなかったが、文章の技巧が司馬作品の中でも最も顕著な作品だろう(ことに前半)。司馬作品は日本の国民文学になっちゃったために逆に、こういう文章のワザがあまり注目されない。文学者としては気の毒なことのように思える。
朝からどうしようもないバラエティーばかり。……どうして最近のバラエティー番組はごく普通にしゃべっている言葉を字幕にして出すのか。そこまで視聴者はバカなのか、バカだと思って番組を作っているのか。作っているんだろうな。出版業界や映画界はそこまで読者や観客をバカ扱いできない。だからテレビにかなわない。バカと言えば、和泉元彌の日常を追った番組もやっていたが、この男、一連の結婚騒動を見ても、ここまで母親にのさばらせているというのはバカとしか思えない。舞台での演技にしても、せいぜいが優等生のソレであり、芸術家の狂気すら感じられる野村萬斎の足元にも及ばぬように思うんだが(こういう古典芸能の相伝システムに岡田さんがコミケのペーパーでカミついていた。私はあれとはまた別の意見を持っているが、東京に置いてきてしまっているので帰京後に述べるつもり)。しかし、萬斎人気は萬斎個人の人気で止まり、元彌人気では狂言自体のムーブメントが起こっている。バカ
は強いよ。
起き出して昼飯。カキ飯とカキのミソ汁。これはオフクロの工夫料理で、カキをまずダシをとった熱湯の中でぷくっとふくれるくらい温め、そのお湯を半分とり、酒と醤油、好みで砂糖少々を加え、やや煮詰める。その中に先程のカキを入れて一煮立たせして、ご飯の上に乗せ、汁の方をもう少し煮詰めて上にかけ、山椒の粉をパラリとふりかけて食べる。一方で残りのお湯でちょっと濃いめの味噌汁を作り、残りのカキを入れ、ユズの皮をあしらって香りをつける。炊き込みご飯より上品で、さっとおなかにおさまる。さっとおさまりすぎるのが欠点で、K子が食べおわって“もう?”と物足りなさそうに言っていた。
家の中でじっとしているだけなのに、あっという間に時間が過ぎる。『キートンのセブン・チャンス』などを見て、家から出てそこらをブラつく。足元が凍ってツルツルになっており、きわめてアブない。一回転んでしまった。ここらあたり唯一の大型書店『ブックスダイヤ』に立ち寄り、本数冊買う。15年前、ここで買った一冊のレディースコミック雑誌に載っていたマンガに目をとめたのが、私の結婚のキッカケであった。どうもショボい記念の場であるが、まあしょうがない。
二階で資料など調べ、降りてくると母がK子にワープロのタイピングの特訓を受けている。K子、はりきって自己流の教習本まで作っている。7時半、夕飯。ポテトグラタン、茶わん蒸し、小包籠、ローストビーフなど正月のあまりもので。母は早ければ年内にも薬局を引退するが、一年ほどニューヨークに住みたいという。発泡酒小一カンとワイン数杯で酔い、寝てしまう。テンション抜けた肉体というのがこうも情けないものか、と我ながら興味深い。ここ数日の日記を読み返してもそう思う。