裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

日曜日

ビュッフォンでもニンジン

 博物学者、緑黄色野菜を語る。朝7時15分起床。死の直前の父と語るという(まあ、実際には語れなかったわけだが)辛い夢を見る。内容そのものは悲しいのだが、その話している親父の口元に、何か黒いものが見える。何だろうと目をこらすと、それは超小型のズボン吊りであり、父は前歯の差し歯を(父の前歯は実際に差し歯だった)ズボン吊り式のベルトで吊っているのであった。ここらへんが夢というもののワケのわからんところである。朝食、ゴボウサラダとトースト。昨日の食い過ぎで胃が 少し痛む。

 母から電話。その親父の一周忌、ホテルの会場がなかなか取れないそうだ。ちょうど時期がワールドカップにぶつかっているのである。部屋が満室というならわかるが何で貸会場も満室なんだろう。K子、旅行カバンにいろいろなもの詰めて出かける。フィン語のクラスメートと、長野の山奥でフィンランド人が経営しているログハウス に一泊なのである。

 だらだらと小室直樹『痛快! 憲法学』(集英社インターナショナル)など読む。小室嫌いのはずだった呉智英が絶賛していたので読んでみる気になったもの。なるほど面白いが、これまでの小室の著書でもだいたい似たようなことは語られており、それほどこの本独自の論考はないように思う。察するに呉センセイはあまりこれまで小室直樹の本は読んでいないのではないか。本来それを嫌いだったはずの人が絶賛すると、人はそれだけの内容があるのだろう、と思い込みがちだが、こういう落とし穴も ある。

 昼は新宿に出て、駅ビル地下の三崎まぐろ直営店というところに入り(すいていたので)、握りズシセットを頼む。まぐろ赤身五かん、天身一、中トロ一。まぐろのツミイレの汁がついて、うまいが何か黒っぽいオツユで、食欲はそそらない。紀伊国屋に行き、さらに伊勢丹で買い物して帰る。タクシーの運ちゃんから、休日の“伊勢丹渋滞”“高島屋渋滞”という用語を教わる。渋谷近辺は駐車場渋滞。いつもはガラガラの駐車場に、空き待ちの車の列が出来ている。ナンバーをみるとみんな地方からの流入車。岐阜とか京都などというのもある。袖ヶ浦ナンバーの車というのも、初めて見た。面白いなあ、と思って帰って調べてみたら、自動車のナンバープレートマニアの人たちのサイトがあった。やはりいたか、という感じであるが、それにしても、ナ ンバープレートのことだけでこれだけ盛り上がれるとは。 http://cgi.linkclub.or.jp/~kikuhide/number.shtml

 再び外出して、有楽町そごう跡のビックカメラ前にて野沢義範くんと待ち合わせ。人が矢鱈にたかっているので、新春のフクビキかと思ったらiMacの新製品の展示だった。カッコいいのか、これ。ただし、画面の高さや向きを調節できるのは便利かもしれない。3時半、野沢くんと落合って中田秀夫『仄暗い水の底から』(鈴木光司原作)試写。広い読売ホールがギッチリの超満員である。それもほとんどがアベックか女性の二人連れ(アベック招待であったらしい)。野郎二人というのは私らくらいしかおらず、おまけに野沢くんが例によってこまめな人で、イソイソと缶コーヒーなど買ってきてくれるので、ホモのカップルに見られやしないかと心配になる。

 で、映画であるが、いやあ、実に恐かった。似たような作りのマンションに住んでいる人は恐くて帰れなくなるのではないか。日常の中の不安定なゆがみ(すすまぬ離婚調停、子供の教育にあまりよくないような幼稚園、苦情に真剣に取り組んでくれない管理人など)の中に次第に忍び寄ってくる恐怖を、じっくりとカットを積み重ねて撮る中田監督の手腕はさすがホラーの第一人者で、リアルったらない。クライマックスのエレベーターのシーンでは、脇に座っていた女性がもう見られない、という感じで必死でうつむいて怖がっていた。ただし、恐怖感がそれだけリアル、ということはケレンがない、ということでもある。怖がるだけで悲鳴が客席から聞こえなてこないのである。観終わって出てくる客の、映画マニアっぽい人が連れに、“も少しビックリ箱にしてくれないと……”と漏らしていたが、私も同感である。給水塔や浴槽の中から……などというところ、客は怖がりながら、ハタシテどんなものが出てくるか、期待もしているのだから、それに応えて欲しかった。ビックリ箱演出にすると観客が笑いだしてしまう、ということを監督は怖れているのだろうが、そこで笑うスキを与えないのを演出力というのであるし、それを持ち合わせない中田秀夫ではないと信じる。中田監督は中川信夫を尊敬しているそうだが、中川映画がこれ全て、偉大なるケレン演出であることを思い出してもらいたい。要はこの映画、グランド・ホラーといううたい文句の割には地味すぎ、カタルシスに乏しいのである。ホラー映画は最初は怖がりに行き、次は楽しみに行くものだ。その二度目を呼ぶものがすなわち、カタルシスではないか? この映画に何度も足を運ぼうという人は、てっきりホラーファンというよりは黒木瞳(私はこの人と川島なおみの区別がつかない)の娘役の少女の、シャツがぐっしょり濡れて素肌が透けてみえる場面の透け具合の確認に行くマニアだ けであると思う。

 ロフトプラスワンの金子監督トークに直行するという野沢くんと別れ、地下鉄で帰宅。部屋を片付けたりして、夕食の用意。と、言ってもひとりきりなので、冷蔵庫の余りものやカンヅメをあけたりするだけ。おっと、今日は『本パラ』放送の日だったと思い出してテレビつけるが、ちょうど、私の出演シーンが終わったところだった。残りを見るが、やはり関口宏の番組は苦手である。酒を飲みながら、鏡陽学人編『内外珍談集』(大正四年・靖獻社)などを読む。中に台湾の総督をやった人が、生蕃の女を集めて、その部族に伝わる生首踊りというのをさせてみた話というのがある。手をつないで丸く輪になって踊るのだが、踊りながら女たちがずっとうつむいているので、恥ずかしがっているのかと思って聞いたら、本当は中央に切った生首を置いて、それを眺めながら踊るのでうつむくのだ、と教えられたそうな。このエピソードが妙に気に入る。

 読書に飽きると、全日本プロレスのチャンピオンカーニバルのビデオなどを見る。ビール、日本酒、老酒、ウィスキー、泡盛などいろいろ飲んで、“これが本当のチャンポンカーニバル”などとダジャレをひとりごちてデヘヘと笑いながら、だらしなく布団にもぐって寝る。K子から電話。あちらは山奥でメールも送れないとか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa