2日
水曜日
蛍光灯対策
基本に帰りベイシック駄洒落。朝までずっと半睡半覚状態で、雑多な、ありとあらゆるイメージが脳裏に浮かぶ。これが初夢とすると、今年も雑事多々な状況になるらし。8時45分起床、風呂へ入って朝食、雑煮一椀。おせちの残りで少し酒。まぶしいくらいの日の光。
8時、NHKでノーベル平和賞受賞者へのインタビュー番組を見る。ユダヤ人で収容所体験のある作家のエリ・ウィーゼル、北アイルランド自治政府首相のデビッド・トリンブルなどが同時多発テロに触れ、テロには断固たる対抗措置が必要である、という態度を示し、ウィーゼルなどは明確にブッシュ政権の対アフガン攻撃を支持しているのが意外であり、また納得もする。どちらも、平和は戦い取らねばならないものだ、ということを“事実”として徹底体験している人物なのである。また、NHK欧州局長(とてもそうは見えないさえないおっさんだが)が、アメリカや日本ではこの9月のテロ以来世界は変わった、という論調が多いが、ヨーロッパの目から見ればあの事件の以前も以後も、テロ犯人たちは変わらず各地でテロを続けており、世界は何も変わっていない、という見解を述べており、これも私の持論と同じなことには意を強くする。一朝世界が変貌した、とはしゃぐガキたちにはつきあいきれんよ。
なをき夫妻は9時半過ぎに起きてくる。昨日食べ過ぎて胃の調子が悪いらしい。野菜炒めの朝食を彼らがとったあと、なをきと『マニア蔵』の対談。テープレコーダーが見つからない(学生時代から使っていたものがあったのだが、見当たらなくなっていた)。いろいろ探して、東芝のステレオデッキを見つけ、それを前に二人、昔使っていた勉強部屋で対談。三十分ほど話して、それを原稿用紙十枚弱に私がオコし、なをきが手を入れることにする。
対談終えて昼前になをき夫妻は帰京する。われわれ夫婦も一般のおしゃれ感覚とはかなり隔たっている服装センスであるが、この夫婦もちょっとユニークではある。唯一兄弟中の一般人である豪貴に言わせると、どんな集まりでも、唐沢の一家が集まっているところはすぐにわかるとか。昼は大晦日の残りのソバで鴨南蛮を。
3時、家を出て買い物に出る。タクシーの運転手が2週間前に稚内から出てきたばかりだという若い人で、“一方通行覚えないばダメだって言われるしょー、でも札幌の交通表示ってのはなしてだか覚えにくいんだよねー”と、ネイティブ北海道弁バリバリで、小学校時代を思い出して懐かしかったが、やはりイナカモノぽく、三越と池内を間違えて降ろされて少し歩かされる。暮からの暴食で胃がやはり荒れているので薬屋に飛び込みガストール買ってカウンターでのむ。効験いやちこですぐスーッとしてくるのは大したもの。母が『アフリカの女王』のビデオが見たいというので玉光堂など数点のぞくが、どこも品揃えが薄くてダメ。こういうところで、東京の至便さに慣れていると地方都市では不満が出る。オーロラタウンの紀伊国屋にクラシック映画ビデオのコーナーがあり、『アフリカの女王』はなかったが『或る夜の出来事』『会議は踊る』『皇帝円舞曲』など古物を買って帰る。銀行に寄りたかったが(大晦日に空港で下ろそうと思っていたら、空港内の銀行の端末に金が無くなっていて、おろせなかった)三菱銀行がどこにあるかが不明で下ろせず。
夜は手巻き寿司、スルメ漬けなどでまた酒。K子に買ってきたニジンスキーの記録ビデオ(ニジンスキーは自分のバレエ姿を映像に残していないので写真と談話で構成したもの)を見るが退屈。仕事らしい仕事をしないということがこれほど疲れるものかと思う。9時ころにもう寝る。