裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

土曜日

柴又昇る

 スタインベック、葛飾を描く。朝7時15分起床。銃を持ったキチガイの美少年が死について恍惚として語るのにつきあいながら、いつコイツがこちらに銃を向けるかとハラハラする夢を見る。朝食、サンドイッチ用のパンをトーストして2枚。キャベツのサラダとマーマレードで。こういう単純な朝食が床暖の入っている台所で食べると天下の美味となる。

 仕事、フィギュア王コラム8枚強。ちょうどテーマにあった昔のネット書き込みがこちらのワープロに入っていたので、それに手を加えつつ11時までに書きあげる。自宅で仕事するよりこっち(実家)でやった方が原稿がはかどるような気がするのは気のせいか? 明日はこちらの古本屋の友人たちと飲み会、明後日は朝イチに立つ予定なので、今日のうちに荷造りを終える。

 書庫からジェラール・ブランシャール『劇画の歴史』(河出書房新社)を持ってきて読み始める。箱入り豪華本で、1974年発行、3200円。当時の私(高校一年生)にとっては天文学的値段だったはずだが、無理して買ったのは当時からすでに将来、マンガについて何か語る職業につこうと思っており、そのための教養を仕込まねば、という使命感(?)からだったろう。ところが、買ってすぐにどこかの雑誌に、訳も図版もよくない駄本、という辛口の評価が載っていたのを読んで落胆し、背伸びして買った本にも関わらずそれから一回も開くことなく、書庫のホコリを積もらせっぱなしだった。今回、なんと買ってから28年ぶりに読んでみたわけだが、うーむ、やはりつまらん、という感想。内容もフランス人のこのテの本によく見られる大仰な文化史観と(マンガの歴史をギリシアの壷絵などから始めて威厳をつける、という事大主義はこの当時の文化人の常套手段だが)しち面倒くさく持ってまわった言い回しがハナにつくし、窪田般彌の訳(下訳者の訳)が生硬で読みにくい上に、訳語に首をかしげざるを得ないものが多々、ありすぎる。要するに、マンガにまったくくわしくない人物が訳を担当していることによる内容の未消化が露呈しているのだ。そればかりではない。その書評でも指摘されていたが、バンド・デシネ(絵物語)の訳に“劇画”という、すでに別の意味のある訳語を当てるのは、はっきり言って誤訳であり、これだけの高価本なのにも関わらず、図版の印刷が極めて不鮮明だし、その図版キャプションも、キャプション中に“図1、図2”とあるのに図版にそのナンバーが付されていないなどの不手際が多すぎる。編集者のチェックがまた極めていいかげんで、気になることおびただしい。どれくらいいいかげんかというと、242ページの章タイトルが『戦場におけるヒーローたちと《ピン・ナップ》の』という、チョン切れたようなものであることからもわかるだろう。これがインデックスにもそのまま記載されているのだ。

 昼はまた昨日と同じ時計台ラーメン。今日はクキワカメをK子の発案で省略。それとヌカミソのオコウコという変な取り合わせ。このラーメン、ひと玉が普通のラーメンの一・五玉くらいあるので、『男おいどん』のラーメンのすすりこみ方みたいな案配になる。評論家、向井敏氏死去、71歳。開高健、谷沢永一との読書鼎談『書斎のポ・ト・フ』や講談社新書『贅沢な読書』はずっと私の読書指針になっていた。つまり、立派な本というものはない、自分にとって面白いものがいい本である、という価値相対主義である。大学時代からの莫逆の友である谷沢・開高に少し点が甘すぎたのが瑕疵だったが、その直截な物言いはこちらの胸にモヤついている思いをスパッと言い切ってくれる快感があった。例えばSFについては“1950年代にピークを迎えて、その後衰退し、社会学や生態学などのヒサシを借りて、あんなに楽しかったセンス・オブ・ワンダーの世界を小難しい一部のマニアだけのものにして細々と命脈をつないでいるジャンル”という、ミもフタもない言い切りをしていて、その当時かなりディープなSFファンであった私は、逆に大笑いしてこの人のファンになってしまったほどだった。ワルクチを言うなら、ここまで言わなければダメである。

 2時、K子は志摩さんと待ち合わせて街へ出る。星さんも帰って、私ひとり、この大きな家に留守番となる。夕闇せまる中、滅多に自動車も通らず(通っても雪山が高く積もっていてわからない)物音も滅多にしない家で一人、テレビも見ずにじっとしている。子供のころからのクセが再発して、部屋の中を意味もなくグルグルと歩き回る。年寄りから昔、“動物園のクマじゃあるまいし”とよく叱られたクセである。これが無性に楽しい。

 5時半、タクシーで外へ出る。五番館西武でクツ下買い、店へ。K子も来て、母と豪貴と四人(優子さんはクラスメートと新年会)、すすきのへ出て東急インのケルンで食事。話題横溢、ワイン三本あける。さらにお決まりのコースで母の友人がやっているバーへ。水割り飲み過ぎ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa