裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

土曜日

イボンヌでもニンジン

 イボンヌのような美女でも、満たされない夜はニンジンで代用を……(イボンヌって誰だよ)。朝7時半までグッスリ。ここ最近なかった熟睡。それでも夢は見る。だだっ広い屋根付きの亭みたいなところで薄緑色で大変きれいな三葉虫の化石を売っていた。朝食、K子にはマッシュポテト、私は黒パンとソーセージ。

 植木不等式氏のサイトが、まだ工事中ではあれどオープン。日記の充実度が凄い。夢声戦争日記を読んで感心した、という話をこないだ氏から八起で聞いたが、あれにカブれると長い日記を書きたくなるらしい(ただし、今中公文庫で出ている抄版は終戦の一年のみのもので、ラストも紀田順一郎氏が“この戦争の記録を締めくくるにふさわしい”と評した、神社で幼稚園児たちのお遊戯を無心に眺めるシーンまで至らず にカットしており、私としては非情に不満である)。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1492/index.html
 ここのコンテンツ、エッセイの『網景夢華録』は十二世紀北宋の首都、抃京(べんけい。抃の字は正しくはサンズイ)のにぎわいを描写した孟元老の『東京夢華録(とうけいむかろく)』のもじり、日記の『業務籠中記』は元禄時代、名古屋で尾張藩の御畳奉行を務めていた朝日文佐衛門の日記『鸚鵡籠中記』(中公新書『元禄御畳奉行の日記』で知られる)のもじり、ぐらいはわかったがサイトタイトルの『ダジャレルバンク天文台』にはうーん、と首をひねる。たぶんイギリスはリバプールのジョドレルバンク天文台のもじりなのではないか。こうなるとダジャレというよりはこちらの教養度をテストされているようなアンバイである。

 そんな植木氏であるから、その日記も、もう当然のことながら日々のタイトルが全部ダジャレである。これはどうも私のこの日記がモデルらしい。じゃんくまうすさんのところのがらくた日記もそうだし、他にもネット上には裏モノ日記がモデル、と称してダジャレタイトルをつけている日記がいくつもあると聞く。ひょっとして、私がネット界に残した一番大きな功績は、タイトルがダジャレになっている日記を数多く生み出した、ということになるかもしれない。この習慣は、実はもともとパソ通時代のニフティの書き込みがモトである。私らしくずいぶん意地悪な発端なのだが、某作家さんの主催するパソ関係のパティオで、ある書き込み者(この人も作家さん)が毎回の書き込みのタイトルを、“うがー”とか“ぐはー”としてアップしていた。そのことに主催者の作家さんが文句をつけ、そんなタイトルでは内容がわからない、いやしくも作家ならタイトルだけで人の目を引くようなものをつけたらどうだ、われわれ作家にとっては毎日の書き込みもプロとしての修行なのだ、と叱った。私はこういう真面目な説教を聞くとすぐ茶化したくなる性分で(我ながら……)さっそく、“人目は引くけど意味はない”タイトルとして、毎回の書き込みのソレをダジャレにした。それが今日まで続いているのである。考えてみればアホらしい発端だが、それが元で始まった習慣が今まで続いているのは奇縁である。

 昼は新宿まで出て、いくつか雑用をし、久しぶりにアルタ裏の通りのアカシア。1時半あたりだったが大混雑。なんとか並ばずに席につける。ロールキャベツとオイル焼き。マスターが大車輪で客をさばいている。感じが立川キウイの親父さん、というところである。ここの店は地下の調理場から料理が運ばれてくるが、その連絡が船のような伝声管を使って行われる。管の先のジョウゴみたいなところに向かって、“定食三ッツ〜!”とか“ロールキャベツひとつ催促〜!”とか、女店員が叫んでいる。

 伊勢丹で買い物し、帰宅。飯の量が多く、消化に血液が回ってしまって頭がボーッとしているので、ネットを少し回覧する。某女流作家対K書店事件がどんどん深みへと進行中である。この、社会常識を軽く飛び越えてものともせぬ執念はまさにエフコメ時代の彼女の再来であり、一瞬デジャ・ブを起こす。“なんでこんなに懐かしいんだ”状態である。彼女の変わらぬ人気の秘密は、こちらの期待を決して裏切らず、常に最も彼女らしい行動(と、それに伴う結果)を見せてくれるそのサービス精神にあるだろう。生来のエンターテイナーである。

 それにしても、“切られたのではなく自分から出版社とのつきあいをやめたのだ”と主張する作家さんは数多いが、その正反対に“向こうから自分を切ったのだ”と、あまりモノカキとして外聞のよろしくない主張をタテに争う、というのはなかなか奇抜千万なことである。彼女の起こす騒動というのは、これに限らず多くの場合、どう考えてもその動機がわからぬことが多い(だからつい、首をつっこみたくなる)のだが、よく観察すると、その原則のようなものが見えてくる。つまり、“小さなミスを認めたくないために大きな騒動を起こす”である。ニフ時代の彼女も、桂三枝の話題を自分のこととカン違いしたりとか、“酸性になる”と“酸性に傾く”を混同したりしたとかいうミスをカムフラージュするために、論点をずらしたり、相手の発言に異常にこだわったりして、会議室全体に火をつけ、野次馬たちを集めて発言数を増大させ、結果、その騒ぎのモトとなった自分のミスから世間の目をくらましてしまう、という手を常道にしていた。今回も、彼女の真意は切った切られたの問題ではなく、別のところにあるのではないか。日記の過去ログを見ると受賞後第一作がなかなか日の目を見ずに書き直し書き直しがあったようだし、出版予定が変更になったりしていたようだが、これは大いに彼女の自尊心を傷つけもしたろうし、また、作業しながら、“果して本当にこの作品は出版されるのか”という不安も増大していったのではないかと思われる(こういうことは私なども新人時代にはよく体験した)。そして、“書き上げた作品をボツにされてクビになるよりはトラブルを起こしてそれが原因で出版できなくなる方が自分のプライドは保たれる”と、意識的か無意識下にか判断し、わざと担当替え要求という行動に出て、出版社との関係をこじらせる方に持っていったのではあるまいか。どうも、そんな気がするのである。もちろん、腹のふくれた末の寝ぼけアタマに浮かんだ妄想ではあるけれど。

 SFマガジン、7時までかかってやっと10枚弱脱稿。時間のかかることである。9時、東新宿に出て幸永。ホルモン、ホッピー2本に冷酒。奥歯が入ったのをいいことに今日は豚骨タタキでも何でもガシガシと噛み砕いて食う。快感ではあるが、少しアゴが凝ってしまった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa