21日
火曜日
サティは南京玉すだれ
お耳にとまれば元へと返す(『ベクサシオン』)。朝方、コンテンツ・ファンドに出演したアーティストが、人の歯を仏像や動物に彫刻する人で、奥歯を彫刻にされて大いに困るという夢を見る。朝食、8時。イチジクとヨーグルト、スイカ。いしだ壱成関連の報道、親父の記者会見も、あまり突っ込んだことまで言及せず。一緒にやっていた連中にとって脅威なのは、彼が警察に“非常に協力的な態度をとっている”という発表だろうか。まあ、バーンとやられたら何でもしゃべりそうなタイプだし。
K子に弁当(こないだ好評だったウナギ入り卵焼き)作って、仕事にかかる。海拓舎原稿を大幅に改訂した第一章。既存の原稿を並べ替え、つなぎあわせるとがらりと違った様相の本が顔を見せる。映画の編集に似た作業だろう。伊丹十三の『お葬式日記』で、撮ったフィルムは素材であり、映画は編集によって作られる、とあったが、本でもそれは言えるかもしれない。このところ派手なイベント仕事続きだったので、こういう地道な作業が楽しい。イベントばかり回っていると、ちと狂躁的になる。考え方も、文章も。
で、イベント続きで狂躁的になっている鶴岡から電話。いしだ壱成のこと、SF大会でのこと。こいつの掲示板に私が“殴られた”とあるのは誇大表現である。背中をどんとおされて、帽子を飛ばされそうになったくらいのこと。しかし、あそこの書き込みで一番笑ったのは、“まさかあさりさんとは。本命・対抗は何をしている?”というやつ。
1時までに第一章構成しあげて(後半ちょっとおざなりになってしまったが)、時間割。考えてみれば先週一週間、一度も時間割へ立ち寄ってない。ずいぶん久しぶりのような気がするのは苦笑もの。藤井くんに原稿渡し、打ち合わせ。SF大会やコミケのことは、芝崎くんから連絡行っているらしい。
雨、まだそれほどでなし。一旦帰宅して、急いでお茶漬け一杯かきこみ(あまりあわてて、ゴハン炊いたのがあるのを忘れ、レトルトパックのを温めて食べた)、昨日スカをくわされた国会図書館に行く。図版用の資料を借り出し、コピーする。滞在時間総計45分。午後はいつももう少し待つのだが、台風のせいで利用者が少なかったので早くすんだ。
気圧がぐうっと体全体を押しつぶしているような状態。企画書をまとめる案を練らねばならぬこともあり、その場で予約して、新宿のサウナ&マッサージ。汗は雨垂れのようで、一時間弱で体重2キロ分を絞った。休息室のテレビで台風情報見る。マッサージは足の裏中心に丁寧に揉んでくれる。リラックスしすぎて、案はまとまらず。終わって出て、6時15分。時間が半チクなので、三丁目まで行き、まだ未見だった『ジュラシック・パーク3』を見る。加藤礼ちゃん御推薦のカイジュウ映画。スピルバーグ映画(監督は『アイアン・ジャイアント』デザインのジョー・ジョンストン)らしく、開巻五分もしないうちにもうガキが行方不明に。それを捜索に出かける一行のメンツを見ただけで、誰が殺されて誰が生き残るかが全部わかるという、何も考えずに見られる映画である。映画評で“ストーリィが物足りない”と書いていたやつがいたが、ジュラパにストーリィを期待しに行く方がバカではないかと思う。これは恐竜映画であり、見世物映画なのである。
ジョンストンの演出手腕は手堅いし、例によっての伏線の張り方(ヴェロキラプトルの共鳴骨や、ハンググライダー、衛星通信機、それを受けるローラ・ダーンの子供の使い方など)はシナリオ学校のテキストみたいだが、やはり冒頭の、サム・ニールが再び島を訪れることになるダンドリや、殺され役の見せ場作り、ラストの救出劇などはスピ親分には及ばない。ハッタリが効いてないのである。第一作のティラノザウルスの、歌舞伎の大看板なみに画面中央で見栄を切ってみせる(ホントに)ようなケレンが欲しいところだった。……とはいえ、何にも考えずに一時間半(この上映時間の快いこと! 女の子がゾウキンがけするアニメに二時間以上使うなよ)を過ごせるというのは、黄金時代の娯楽映画の基本だったと思う。内容なんかどうでもいい。確か『12人の怒れる男』の中で、記憶の確かさを自慢する男(E・G・マーシャル)が、週末のことを訊ねられて、女房と映画館へ行ったと答え、その映画の内容を訊ねられて、“まあ、よくある娯楽ものですよ”と答えたとき、誰もその不確かさをとがめなかった。ありゃ、内容を覚えておくものではないのである。映画館へ行くのが特 別なイベントになっちゃいかんのですね。
一旦家に帰る。まだ雨は本格でない。よほど足の遅い台風と見える。仕事関係のメールチェックのため戻ったのだが、あさりよしとお氏から、SF大会での行為に対する丁重な謝罪のメールが来ていた。前にも記したように、私はあさり氏に対し含むところは何もない。酒の上の悪いことは困ったものだが、それに腹をいちいち立てていては自分も酒を飲めはしないし。あさり氏の乱れぶりの原因は、いわゆるトークに対する、基本的な考え方の違いにあることが手紙からわかった(カラサワシュンイチともあろうものが、やけにウスい内容のトークをしてやがる、と腹が立ったのだそうである)。常に“いかに濃いか”を基準とする、これはこれでオタクとして尊敬に価する態度である。しかしながら、私も私で自分のトークへの対し方を、間違っているとは思わない。主体を自分の内部に置くか、観客に置くかは、演芸の仕事に携わったことがあるかないかの違いだと思う。花見客にとって、いきなり余興で談志が『芝浜』をやりだしたら、それはそれで迷惑なことなのである。
雨は驚いたことに一時やむ。タクシーで新宿にとってかえし、新田裏『すがわら』へ。白身、ウニ、コハダ、サンマなど。サンマの色が鮮やか。たとえ新しいサンマをおろしても、色が鈍いと捨てて、もう一度別なのをおろし直すという。この鮮やかさがイノチのネタだからだそうだ。こういう姿勢の店が無名なのがうれしい。隣に小指のない九州ヤクザ三人組が入ってきて、携帯で連絡とり、“ああ、葬式はこちらですませたけん……いや、この台風で向こうの鉄砲玉も上京してこられんけん、今日明日は休戦たい。ひさしぶりに枕を高くして寝られっとよ”などと、東映実録路線映画そのままのセリフをしゃべっている。まあ、こんなケンノンな客層じゃ、どんなにうまい店でもマスコミも騒げないわなあ。