9日
木曜日
別記
伊福部昭氏死去。
私は平成になってのゴジラ映画というものを基本的に評価しない。あんなものはゴジラではない、とさえ思っている。しかし、平成シリーズの大きな功績として、一時は過去の人として扱われていた伊福部昭に再び脚光をあて、どちらかと言えばそれまで音楽の専門家と一部マニアだけにしか知られていなかったこの巨人の功績を一般に知らしめたことがあげられるだろう。
なぜその名がそれまで正当な評価を得ていなかったかと言えば、この人の作曲術は全くの独学でなされたものであり、音楽学校で学んでいなかった(出身は北大農学部の林業科でアツケシザクラという寒冷地生の桜の木の“発見者”でもあるのだ。植物の学名に自分の名が入っている音楽家はこの人だけだろう)ためである。そして、西洋音楽の吸収と同化ということを目標としていた当時の音楽界において、アイヌ民族の土俗のメロディーを基調とした伊福部昭の曲は完全な異端だったのだ。そのためかどうか、伊福部メロディというのは技術よりもソウルが前面かつ全面に押し出されることが特長で、はっきり言えば“何を聞いても同じ”というイメージがある。しかし、それだからこそ耳の底に残り、一度聞いたら忘れられない音として、われわれの世代の一種の通奏音としていわば“日本のテーマソング”として認知されていった。私は伊福部昭の最高傑作は東映アニメ『わんぱく王子の大蛇退治』のテーマだと思っている。日本神話を原作とした国造りの物語のテーマを作曲するのに、伊福部昭以外の余人で適当する人材がいるとは思えない。
オープニングテーマもいいが、アメノウズメの踊りのシーンの音楽は、まさに日本人の日本人による日本人のための曲、という、力強さとファンタジーとユーモアにあふれた名品である。(東宝の『日本誕生』も伊福部なのだがこちらは映画の出来とシンクロしたか、大して記憶に残らない)。「ナショナルであることがインターナショナルなのだ」という、師・チェレブーニンの言葉はまさに伊福部により体現されたといっていい。“国民的作曲家”という名称は伊福部昭に捧げられるにふさわしいものだろう。まだ、今のように日本の映画音楽のレコードが出ていない時分、満を持してという感じで出た『伊福部昭の世界』を買い求めて、むさぼるように聞き入った(冒頭に収録されていた『サンダカン八番娼館』の頭が元テープから欠けており、てっきり欠陥品だと思って二回も取り替えにいった)ことをしみじみと思い出す。
昔、NHK『音楽の広場』で芥川也寸志と黛敏郎の二人が
「僕らが一緒に芸大で伊福部昭先生のもとで学んでいたとき」
と話していて、もう当時大家だったこの二人のさらに先生だったのか、と驚愕したことがある。そして、彼ら弟子よりはるかに長生きし、はるかに国民の間に浸透する曲を作り上げて、91歳の天寿をまっとうしてあの世へと旅立った。悲しみは深いが、芸術家としては完璧と言える一生だったのではあるまいか。ご冥福をお祈りしたい。