26日
火曜日
戦いすんで気がふれて
どこかでこのシャレ、あったようにも思うが。やはり睡眠サイクルの狂いは重症のようで、今日も朝、4時起き。せめてそのままじっとしていればいいのだが、無聊につい、本を読んだりパソコンをのぞいたりするものだから、そのまま眠れなくなって朝になってしまう。まあ、今日はトンデモ寄席なんで、それで調節しよう(こんなもので調節されるリズムというのもナンであるが)。
朝食、キノコのコンソメ煮とローストチキン。歯の調子悪く、チキンを気持ちよく噛めない。それから『Memo男の部屋』原稿。体調悪い割にはスラスラと行って、六枚、11時頃に完成。風呂入る。入り終わったころを見計らって、猫が必ずニャーと鳴いてくる。風呂場の床を舐めるのが好きなのだ。石鹸を舐めると体に悪いのであまり入れないが、いつまでもドアのところで待っているので、つい、情にほだされて入れてやる。それにしても、何故床など舐めるのが好きなのか。
12時、どどいつ文庫伊藤氏来。例によってネタ本となりそうなもの、いろいろ買い込む。雑談しているうちに、ビデオマーケットが来月にも店を閉じるかも、というウワサを伊藤氏聞いたそうで、ちょっと驚く。おとつい、行ったばかりだ。しかし、店内に従業員募集の貼紙もあったし、まだ閉店セールのお知らせも来てないし、果 たしてそのウワサはどうか? 仕事がら、あそこがなくなると非常に困るが、しかしまた、なくなればなくなったで、人のこころはのどけからまし、といった気分になるかもしれない。古書についてもよく言うことだが、古書マニアがいるから古書店があるのではなく、古書店があるから、人は仕方なくマニアになるのである。
その後、新宿行って銀行で金を下ろし、紀伊国屋書店で資料本を探し、ついでに輸入薬品の店を回ってデータを集め、アカシアでロールキャベツ食べて帰る、つもりでいたが、ついフラフラとベッドに倒れ込み、そのまま夕方まで、そのままの状態で、グッタリとしたまま過ごす。と、言っても動けなかったわけではなく、夜の落語会と二次会のために体力温存のためもある。睡眠時間調整と体力配分に頭を使ったわけである。今日どどいつさんから買った洋書のうち、『ウィアード・バット・トゥルー・トゥーン・ファクトイド』などを読む。マンガ悪趣味一行知識である。
「エスクァイア誌の調査によると、『原始家族』の視聴者のうち、58.2%がセックスの相手にベティ(隣家の奥さん)の方を選びたいと思っており、ウィルマ(主人公の奥さん)を選ぶ者はわずか30.4%である」
などというアホな知識や、本当に意外な知識が二百数十本。ベンジャミン・フランクリンからジョン・レノン、ボブ・ディラン、フェデリコ・フェリーニなどの有名人が描いたマンガなどが載っているのも面白い。
夕方まで、電話もほとんどなし。これは、旅行に出かける前に前倒しで多く連載原稿を渡してしまっているおかげだろう。講談社Webマガジンから連載の打ち合わせについて、一本。CSから出演日の確認が一本。あと、こないだのテレビ製作プロダクションから、今回は取材を見合わせるという電話があった。やはり“問題家族”というテーマにウチは合わなかったのだろうが、取材時はごていねいに手土産まで持ってやってきて、使えませんでした、というときは電話一本というのはどうも。本来、そっちの方が失礼にあたるのだから、丁寧な応対をすべきだと思うのだが。
昼は今日も食べそこね。ダイエットになるかも。5時、起き出してタクシーで新宿南口、それから中央線で中野へ。トンデモ落語会、見ると植木不等式、藤倉珊、志水一夫などというメンツが揃っていて、さすがトンデモを名乗るだけあって、と学会の例会みたいな感じである。席は補助出るほどでもないが、まず満席。女性の数が前回に比して少ないのは、志加吾の勉強会が数日前にあったからだろう。主演者いつもの如し、今日は中トリの談之助が『落語IT革命』を長口一席やったので、他の出演者は概ね短いネタ。談生はこの日記にすら書くのをはばかられる内容の話で、本日最高のインパクト。ここ以外のどこで演れるのか、このネタ。新潟、快楽亭もいつもながらの調子で結構。いま、記憶を探っても、快楽亭がいったいどんなネタをかけたか、やたら笑ったことだけは覚えているのだが、いつものあの表情と口跡だけが印象に残るのみで、内容が全く思い出せない。すでにこれは名人の域か? トリは志加吾、これだけの力演続きの後ではどうすることも出来ず、『立川流寄合酒』でなんとかまと める。
上記の演者(誰かは秘すが)の話の中にも出てきたが、談志の実弟で立川流の落語会のマネージメントをやっていた立川企画のM社長という男、談志に切られていま失業中なのだが、およそこれくらい演芸界で評判の悪い男もまず、いなかったろう。以前、初めて寄席の楽屋に通してもらったとき、評論家の花井伸夫さんが、そこらの芸能関係者を“あ、この人は悪の権化。こっちの人は詐欺師で前科一犯”などと紹介してくれて、エラい業界に足を踏み入れてしまった、と思ったものだが、その悪の権化たちですら、口を揃えて悪口を言っていたのがMだった。その後、うちと立川企画は何度も仕事を一緒にしたが、ホント、殴ってやろうかと思ったことが何回あったか。悪いだけではなく、無能なのである。無能の癖にいばっているのだ。立川企画は立ち芸の芸人さんとのつながりが弱く、うちがだいぶ助けていたが、“俺のおかげであんたのところにも仕事がいくんだ”という態度だった(まあ、力関係では実際そうなっ ていたわけだけれども)。
一度、国立の楽屋で、家元がヨーロッパから買ってきたキャグニーのビデオがパル方式なんで見られねえ、と怒っており、Mにパルが見られるデッキを買ってこい、と命じていた。するとMが知ったかぶりで“いや家元、NHKに問い合わせたらあれは一千万するそうなんですよ”などとちゃらっぽこを言う。呆れて、
「いや、専門機器ならそうかもしれないけど、家庭用でよければ数万円台からありますよ」
と脇から口を出した。口はわざわいのモトで、それからわざわざ秋葉原まで出かけてデッキを買って、根津の家まで据え付けに行かされた(その代金はオノプロが立て替えたが、今思い出してみるとまだ支払ってもらっていない)。とはいえ、Mがあまりにモノシラズなので、つい、脇から口を出したくなったのである。この件と、内田春菊がやはり国立の談志の会で演じた落語の原作を書いた件で、その後、私に対してはMの態度は幾分(あくまで比較級だが)改まった。一度、ぽつんと“私の不安も察してくださいよ”と、前後は忘れたがささやかれたことがある。自分の威が、虎のそれを借りただけのもの、ということを認識はしていたのだろう。ピンハネを繰り返していたのも、いつ談志に切られるかという不安のなせるわざだったのかもしれない。とはいえ、今回、その不安が実際のものとなって、ほぼ芸能業界全員が喝采を叫んだことだろう。出来れば、私がまだそっち方面の仕事をしている最中にこれが起こってほしかった。そうすれば、喜びも数層倍しただろうに(先日、森マネと盛り上がった話も、もとはこの件だった)。
あの池袋文芸座が年末に再オープンするそうで、そこの企画担当という人に挨拶される。東洋館の席亭システムではないが、ここでさまざまなプログラム企画などをやりたいそうで、大槻ケンヂなどがいま、企画を組んでいるそうだ。私にもそれをやってほしい、と頼まれる。名刺交換しておく。B級裏モノ映画大会とか、オタクアミーゴス推薦作品オールナイト、トンデモUFO映画特集など、やれば面白そうだ。
この会の打ち上げはたいてい、中野の“俺ん家”という居酒屋でやるのだが、この店、以前の店長のときはまあよかったが、最近、極端に味、というか料理の質が落ちて、われわれ(と、いうかK子と開田あや)が“あの店イヤ!”と言いだし、前回はわれわれのみ、いつも三次会で使う焼肉屋“トラジ”(ここはうまい)に直行した。しかし、それだとせっかく芸人さんたちと直で話す機会がなくなってしまうし、今回は年末に快楽亭と組んでこの中野でやる“秘蔵ビデオ寄席”などの打ち合わせもあるので、K子と官能倶楽部メンバーを先にトラジにやり、われわれは俺ん家へ。奥崎謙三のドキュメンタリー『神様の愛い奴』を撮った大宮イチ監督などと打ち合わせ。
それから、植木不等式、志水一夫氏などと学会系を引き連れてトラジへ。植木氏のけしからん傑作ダジャレなどを聞き(チャンコロナイズドスイミング、等)、談之助の撮ったブラウナウや熱海のわけのわからん博物館などの写真を見、奥平広康くんの三○歳バースディを祝ったりして大盛り上り。真露何本おかわりしたか、記憶にないほど。それで、出演者一同と奥平くんの分はもって、一人四○○○円は近頃珍しい格安のお値段。帰って3時、さて寝られるか。