13日
水曜日
太田胃散のおかげです
太田胃散よありがとう。朝7時起き。久しぶりに朝寝が出来たような気になる。と言っても早起きに変わりはないが、少なくとも起きてすぐチェックアウトの準備をしないでよろしい、というだけでかなり気が楽である。しかし、昨夜のベロ酔いのせいか、体力の低下が腸にきたか、痛みはないがかなりひどい下り腹。地下レストランでの朝食(8時)、品数もそんなにないがコンチネンタルで食べる。しかし、パンはイタリア風の固めだし、コーヒーもこれまたイタリア風のバカ濃いもの。なんか重苦しい。
今日はガイコツ寺へ回る。人骨で寺院内部を全て飾りつけたという、そのミチのマニアには有名なところ。昨夜通ったベネト通りに、ごくフツーに建っている。もっと人里離れたところにあるのかと思っていたから、こんな街中にあるとは意外。さすがはローマである。休館日があるというので、それにぶち当たらねばいいがと、昨日列車の中で話していた。談之助曰く、“骨休みというわけですな”。幸い、やっていて喜捨をいくばくか受付の箱に入れ、見学。カタコンベのようになっており、穴蔵のような作りのものが四ツか五ツ並び、真ん中の聖像も、飾り模様もみな、人骨で出来ている。天上のランプも、人骨製。天使の像は子供のガイコツ。修道僧のミイラがウス目をあけて飾られている。話に聞いたところでは、一寺院全てがガイコツ製、というようなことだったが、廊下に並んだカタコンベのみ。写真撮影一切禁止、というのでK子がフテて、オミヤゲも買わなかった。
その後、スペイン広場まで歩く。道の両側の店、ブティックばかり。日本語で(というか日本人の客引きが)呼び込みし、チラシを配っていて興ざめ。朝食のときはみな元気だったが、少し歩くともう、体力の低下が如実に出て、口も重くなる。スペイン広場の上から見えるローマはきれいで、むこうにバチカン宮殿のクーポラも見え、いい感じではある。昼飯、またこれでピザだのなんだのはとても食う気になれず、私の提案で、通りにある中華料理屋に入る。ローマって街は案外中華料理屋が多く、いろいろカンバンをかけている。その中の、『甘泉飯店』という店へ。中国人の経営である。スープ、炒飯、酢豚(トリ肉)、エビとセロリの炒めもの、それとドンなものか見てみようと好奇心出してラーメン。
スープがザーサイと蟹肉の、やたらしょっぱいイタリア人の味覚に合わせたものであったが、これが効いた。疲れがスーッととれて、こわばっていた筋肉や胃がほぐれていくような感じ。やはりアジノモトがいいのか? 炒飯は外米のパサパサでおいしい。炒飯のみは、絶対に海外で食べた方がうまい。日本だとどんな専門店でもジャポニカ米で作るため、ネバってしまって、このパラパラ感が出ない。酢豚の甘酸っぱい味付けがまた、食欲をそそる。イタメシに飽きたわけでは決してないのだが、アクセントがつかないと、やはり雑食民族のわれわれにはキツい。これで中国を一週間も旅したら、手近なイタメシ屋に飛び込むのではあるまいか。話もはずみ、和気アイアイという気分になる。現金なものだ。
談之助夫婦はバチカンへ回るという(奥さんがキリスト教関係者なのだ)。われわれはとりあえずホテルへ帰り、しばらく休む。テレビつけてチャンネルをいろいろ回すが、リモコン押す手がとまるのが、テレビショッピング専門チャンネル。ジェット水流で車の汚れを落とす掃除機だの、継ぎ足せば天井も楽に塗れるペンキローラーだのというどうしようもない製品を紹介して売るのは日本やアメリカでもあるが、イタリアのそれは、まずその説明がやたら長い。一個の商品に対し、二○分以上はエンエンと説明を繰り返す。たぶん、この説明中に電話をかけてください、という仕組みになっているのだろう。そして、その製品説明をするタレントが、その二○分以上の時間じゅう、ひっきりなしにしゃべりまくるのである。タンカバイなのであるが、日本のように節をつけてしゃべるというのでなく、とにかく、憑かれたように恐ろしい早口でしゃべりまくる。身振り手振り入りでいかにもイタリア風に大ゲサに、しまいには怒鳴るようにしてわめく。耳でだけ聞いてるとこんな感じである。
「トリエンテ、サクラエンテアンビーノ、クリエンテキランテマナヤーナ、ワンド、クアント、チェロキーノ、トリエンテ、ワンド、ミッテビント、ミッテミッテ、クリエンテ、クリエンテ、ワンドクリエンテ、アンビーノ! クリエンテキランテ、マダコルテ。ダッテバンテ、ワンド、クリエンテ! チャッチエンテトリエルテワンビーノクリエンテ! ワンド、バンテ! ワンド、ワンドワンド、ケスト、ワンド、イッタッタクンチーノ、ミッテトリエンテ! イライアニャーナ、クリエンテ、ワンドク アント、ミッテラーテ!(以下、エンエン続く)」
いろんな説明者が出てきては商品広告をするが、中でも人気タレントとおぼしき人物(彼のときだけ特別に似顔が出て、彼が勧める〜という商品、という形のコーナーをとっている)は、濃い口ヒゲをはやしたせんだみつおという感じの男性で、しゃべりまくりながら、途中で息継ぎにやたら苦しげな“ゼハー!”という音を立てる。聞いていても息がつまるようで、倒れやせぬかとハラハラする。おまけにしゃべりながらテーブルをヤケクソのようにバンバン叩く。まさにマカロニ式タンカバイである。こういう異様なものを見られるというのが外国へ来たときの楽しみ。
一時間ほど休んで元気回復。ロビーに降りていくと、安達Oさんがいるので“疲れは取れましたか?”と訊くと、まだ首から下が硬直している、とのこと。あの、ビルケナウでえんえん線路を歩いたのが応えたようだ。足の悪い私がそれほど足にはきていないのに、テニスや水泳で鍛えている筈のOさんがさりとは情けない。K子が例によってすぐ、“それは脳梗塞の前兆よ!”とツッコんでいじめていた。
再びベネト通りに出て(この途中にあるナイトクラブの“チカチカ・ブーン”なる店がちょっと気になった。どういう意味か?)、地下鉄に乗る。ローマの地下鉄は路線はそんなにない(少し掘るとすぐ、遺跡が出てきてしまうという、京都と同じような事情のため)くせに、キップの自動販売機の買い方が極めて複雑で難しい。ガイドブックにも、自販機は使わない方がいい、と書いてあったが、何とか買うことに成功し、映画で有名なチネチッタ撮影所の隣にある、大手スーパーの『ドゥーエ』まで出かける。ローマの地下鉄は、東京ともニューヨークともロンドンとも違った、これま た独特の雰囲気。
映画畑出の安達Oさんはチネチッタにやたら郷愁を感じている様子(昔、一人旅で訪れたことがあるらしい)。『ドゥーエ』は、しゃれた近代的なデパートと、大衆的スーパーマーケットが一緒になった総合ショッピングセンターで、面白げなものがいろいろ並んでいる。雑誌数冊、それからスーパーでそろそろギュウギュウになってき た荷物を入れる、シンプソンズのリュックを買う。値段がついてないので、別の商品 にしろ、とレジで言われたが、K子がねばってバートの絵のやつにする。あと、下着売り場で、メリーナというメーカーの女性用下着と寝間着。寝間着にはヘタクソな漢字で“宇宙感覚”、シースルーのショーツには前の部分に“友情”と書かれている。展示のところには、お椀に盛った米とハシが添えられており、日本ブームなのかも知 れない。
一時間半ほど買い物して、また地下鉄で帰る。ワキの処理をいいかげんにしたまま堂々と吊革にブラ下がってるねーちゃんも入れば、若いゲイのカップルもおり、K子が“あいつら絶対スリよ!”と断言したアラブっぽい連中もいる。子供連れたお父さんの物乞いもいれば、アコーディオンを弾く親父もいる。なかなかにぎやかなことである。ホテルに戻り、今晩のレストランを予約。8時からというので、一時間ほどま た休み、例のテレホンショッピング番組を楽しむ。
7時半にタクシー(6人乗り)呼ぶが、こいつもまたメーター倒さない。談之助が気づいて、メータープリーズと要求すると、チェッと思ったか、目印の教会とは違う教会の前で降ろされた。これだからイタ公は。もっとも、地図を頼りに歩いた路地がいろいろ物売りなど出ていてオモシロかった。今日のメシはパリスという、ユダヤ風イタリア料理というよくわからんところ。ガイドブックにはかなりのおススメとして出ていたので、同じガイドブックを見て来たらしい日本人客が何組もいた。例によって安達Bさんを交渉役にし、スープ、タタールステーキ、ドリーという正体不明の魚の香草焼(あとで調べたらマトウダイ)、キノコのフェトチーネ、フィレステーキクリームソースがけなどを頼む。Bさんはまたもや生ハムメロン、私もムール貝の塩茹 でをまた頼む。
ムール貝はまず、一個を取って身をせせり、次からはその空いた貝殻をピンセット代わりに使って食べるのが定法である。フォークなど使っていると無知と思われる。私も当然、この方法で食べていたのだが、食べ終わって、ふと向かいの方の席を見ると、ユダヤ人らしい一家が来ていて、そこの家長ふうのお爺さんが、いちいち殻をパキッと割り、残った方の殻の身を、汁と一緒にチュッと吸うようにして食べていた。これがいかにもうまそうであり、アア、俺も今度からああいう風にして食べよう! と決意したことであった。あと、タタールステーキというのは生肉かと思ったらそうでなく、細切りの牛肉を炒め、ルッコラと一緒にバルサルミコソース(もしくはレモンジュース)で食べる料理。これまで見たことも食べたこともない味。そのユダヤ人家族も食べていたところを見ると、ユダヤ風料理か。
なにしろ店の回りは人混みがすごく、混雑している。タクシー呼んでもらったが、なかなか来ない。来たやつに乗り込もうとしたら、順番待ち票を持ったイタリア人の婆さんになんかスゴいいきおいでまくしたてられ、降ろされた。もっとも、その婆あさんの呼んだ車でもなかったらしく、彼女も乗りそびれていた。