21日
木曜日
ボルケーノ、お待ちなせえ
火山シリーズ第二談。三宅島近辺の方々にはお見舞い申し上げます。朝、5時半起き。少しづつ回復、か? 朝食、ニシンのスモークサンド、梨。オリンピックのサッカー報道、凄い騒ぎなので、勝ったかと思ったほどだった。そりゃあブラジルは、ルーマニアに負けて、さらに日本なんかにまで負けたら、クニへ帰れなくなっ ちゃう。必死なんですよ、彼ら。かないっこない。
日記、やっと旅行分のものを書き終わり、それからのものを一気にアップする。原稿ゲラチェック二ツ。打ち合わせ予約電話三ツ。来週の予定がギチギチになる。仕事やっていたら眠気がさしてきて、パソコンの上に突っ伏しそうになる。本数冊 抱えてベッドへ。
スピリッツ細野不二彦『ギャラリーフェイク』、ラストのモブの中の帽子とぐるぐる眼鏡は誰だ、ありゃ。・・・・・・まあ、本当に“オタクリスペクト”なんて言ってる奴が、金目当てで行動しているなら、こんな簡単なことはないよな(だったら私もイッチョカミしたいくらいだ)。問題は、連中が本当に、オタク文化をファインアートとして語ることをオタクにとっていいこと、と思い込んでいるところなんだが。もちろん、細野氏のこういうディフォルメは青年誌の一回完結マンガのゲストキャラの性格設定という(ヤクザや政治家の描き方と同じな)技術の範疇であるから、これはこれで、読んだフィギュアマニアが、あのワンフェスのときに感じた憤慨感(ナニサマだ、あいつぁ?)の代弁をしてくれた、と感じて痛快に思えばそれ でよし。それにしてもラストの・・・・・・(笑)。
スチュアート・スイージー『デス・パフォーマンス』(第三書館)。首吊りだの自己去勢だの四肢切断だのといった、死に直結する行為の中での陶酔感にとらわれた人々の事例。犯罪者に捕らわれたり襲われたりして拘束され、殺される、と意識した人々たちの脳内にほとばしる快感ハルシネーションの事例までたっぷり載っており、こないだのバスジャック事件や少女監禁拉致事件などを思い合せてもアブなくてアブなくて、面白いっちゃない本なのだが、もともとが精神分析医の報告書や警察のデータなどをやたら引用したものであることにくわえ、翻訳が生硬で読みにくいことおびただしく、まだ全部を読み切れていない。文章が下手というより、怪奇作家のエーベルスをエバースとしたり、前のページでコーツワラという表記で出てきた人物が、その後ではカッツワラになっているなど、チェックの甘さも(人の本のことは言えないが)読みにくさの原因のひとつとなっている。
チェックの甘さと言えば、渡欧前に記した日記のうち、病膏盲の読みは“やまいこうこう”と書いた部分に、一行知識コーナーで、“あれは盲、ではなく肓(横隔膜の上の方の部分)である”とツッコミが入った。これは言い訳のきかないカン違いで、これまでずっとそう思い込んできたもの。なんとも恥ずかしい次第だが、こういうところでまさに蒙がはれるのはありがたい。それにしても・・・・・・(今日はそれにしてもが多いな)。
昼飯食わず(K子にささきはてるさんと青山で食べないかと誘われたが)、仕事もせず。何度もパソコンの前に座るが、仕事したくない。前に読んだ心理学の本で“会社に行きたくない、とか仕事をしたくない、という理由で精神科の門をたたく人がいるが、そんなことはみんな思っているので、会社に行きたくて行きたくて、という人の方が異常である”と書いてあって、まさに、と膝を打ったことがある。仕事したくないのも、まあ、体の調子がイマイチのときの、正常な反応と思って今 日はサボろう。
デジモノ編集部からメールで、『ガン・シャイ』、やはり日本公開の予定はないそうである。リーアム・ニーソンが神経症になって下痢に苦しみ、トイレにしょっちゅう駆け込んでいる刑事、なんて役のものは日本のファンには幻滅ものだと思われるんだろう。あんなによく出来た犯罪トリックものなんだけど、日本人はまだブラック・ユーモアに理解がない。私はブラック・ユーモアに対する許容度が文化程度のモノサシだと思っているんだが、わが国のソレはかなり低レベルである。
BWPでAの書き込みのカン違いを、(彼が気がついたら)うまくギャグに誘導できるよう、撒き餌みたいな書き込みをする。もっとも、気がつくのは望み薄だがなあ。鶴岡も言っていたが、キチガイかおかまか、どちらかに対し許容ができない何かが裏事情であるのかもしれない(もちろん、鶴岡のことだからこれのさんぜんばいくらい激越な表現での指摘であったが)。
8時、パパズアンドママサンに行くが店が閉まっている。親父さんの容態に何か異変でも、と心配。花菜に行く。店員さんたちにこないだK子が(読みたいというので)単行本をあげていたが、そのお礼か、注文品の他に蓮根てんぷら、さんまのなめろうなどがサービスでついた。食べすぎて、〆のソバは頼まず。ビールと焼酎のソバ湯割三バイ。